いつかの話 あなたに、花を
未来の家族のお話。
「母様」
とてとてと近寄ってくる小さな命。
小走りで側までやって来ると、後ろ手に隠していた花を、木陰で休んでいた女に差し出した。
「これを私に?」
はにかんだ笑顔でこくりと頷く。
ありがとうとお礼を言って父親譲りの灰褐色の髪を撫でると擽ったそうに笑った。
笑顔もよく似ている、とまるで夫をそのまま小さくしたような息子へ女も微笑みかけた。
女が受け取ったのは名も知らぬ赤紫色の小さくて綺麗な花。
辺り一面の淡い色合いの花畑からよく見つけ出したと思う。
「どうしてこの花を選んでくれたの?」
「母様の好きな色なんでしょ?」
はて、と思う。
確かに嫌いな色ではないが…。
可愛い、綺麗、という感想以外を述べるとするならば、葡萄酒が飲みたくなる色、だ。
不思議に思った女が首を傾げながら訊ねた。
「誰に聞いたの?」
「父様」
息子が振り向いた先に、一人の男がこちらへと向かってくるのが見える。灰褐色の髪を風にそよがせ、悠然とした足取りで妻と息子の下へ歩いてきた。
「こら、ネス。父を置いて先に戻るとは何事だ」
「だって、はやく母様にあげたかったんだもん」
「何?」
男の視線が束の間女の手元に釘づけになり贈られたばかりの花を見るや、その大きな手をまだ小さな息子へと伸ばした。
ぐりぐりと己と同じ色の頭を押さえつけると「キャー」と息子の悲鳴が上がった。
「父様、おもいっ」
男は本気で息子を押さえつけているわけではないが四歳の息子と力の差は歴然で。頭を鷲掴む父の手から逃れようと躍起になるが外すことは困難に思えた。
これは親子の触れ合いの一種であるが、幾許かの嫉妬心が含まれているのが男の表情から見て取れ、女が呆れたように息を洩らした。
「もうっ、自分の子供をいじめないの」
「これは教育的指導だ。抜け駆けしたこいつが悪い」
「抜け駆けって、花のこと?」
「ああ」
ぺいっと男が手を離すと息子がころんと尻もちをついた。柔らかな草のお陰で怪我もなく、むっとした表情で男を見上げる。
唇を突き出したようなその顔は、拗ねた時の妻に似ていると男は思う。けれど顔形は幼い頃の自分にそっくりで。もう一人の自分が妻に贈り物をしている気分になり、大人げ無いような感情が去来した。
「アウリス。ネスを睨まないで」
女が酒やけに掠れた低い声で男を咎める。
はっと気付くと地面に尻もちをついたままの状態で、息子が男の顔をびっくり眼で見上げて固まっていた。
いや、睨むつもりは無かった。ただ、自分にそっくりの息子が自分より先にお前に贈り物をしたのが気に食わないと思っただけで、顔に出てるとは思わなかった。
そんな男の心の声が伝わったのか、女が胡乱な眼差しを向けてくる。
男は「…悪かった」と反省し、ひっくり返っている息子を抱き上げて肩車をしポケットから飴玉を取り出して渡してやると、強張っていた表情から一転して笑顔になった。
現金な奴め、と男は心の内で呟いて、妻に少しばかりの言い訳をすることにした。
「言っておくがな、その花は俺が先に見つけたんだ。…ほら」
そう言って、背に手を回した男が隠していた小さな花束を差し出した。それは今しがた息子がくれた花と同じもので作られている。
「可愛い花束…。ありがとうアウリス」
花束を受け取った女が笑顔で感謝を伝えると、「…いや」と男は照れたように笑った。
「こんなに見つけるの、大変だったでしょう?」
「向こうの一角に群生していたんだ。リューディアが喜ぶかと思って摘んでいる間に居なくなったと思ったらこいつ。…まさか先を越されるとはな」
今度は男が拗ねたような顔になる。
肩に乗せた幼い息子を恨めしそうに見上げる男に、息子は「へへん」と誇らしげに笑いころころと口の中で飴玉を転がした。
「ほお…、父に向かっていい度胸じゃないか」
息子相手に頬を歪ませる男は、全くもって大人げない。大人げない、というよりは子供っぽい。息子と張り合う男はまるで大きな子供だ、と女は思う。
けれど、度が過ぎなければそんな父と子の関係も悪くないのでは、とも思ってしまうのだった。
それでも妻であり母である女が味方をすべきはもちろん、息子、なのは言うまでもなかった。
「まったくもう。良いじゃない、どっちが先でも後でも」
「なっ、お前はどちらの味方だっ」
「どちらもこちらも無いわよ。お父様は心が狭いわねー」
「せまいねー」
「お前たち…」
きゃっきゃっと笑い合う妻と息子に、男は脱力した。
無邪気に笑う二人を見ている内に、確かに俺は心が狭いな、と幼い息子に嫉妬まがいの感情を抱いた己に苦笑した。
息子が産まれてからはめっきり言われなくなったかつての渾名の一つが、今度は別の意味を持って男を苛む気がした。
まったく、俺はとんだお子様だ。
男が苦く笑っていることに気付いた女は、そろそろ彼も慰めてあげようか、とふふっと笑う。
女はそれぞれの贈り物を両手に持って、少し膨らんだ腹部を庇うように立ち上がり、
「二人とも、素敵な贈り物をありがとう」
手を伸ばして息子の頬を撫で、そして背伸びをして夫の唇に感謝の口付けを贈った。
―――その日の夜、夫婦の寝室で。
「それで、どうしてこの色が私の好きな色だとネスに言ったの?」
ベッド脇の机に置かれた一輪挿し。そこには昼間贈られた赤紫色の花が活けてある。
夜着に着替え、ベッドの縁に腰掛けた酒やけ皇妃は慈しむように花弁に触れながら、すでに寝そべっている甘党陛下へ訊いてみた。
「…お前の好きな葡萄酒の色に似ていると思ったからだ」
「そんな理由?」
―――呆れた。多分、酒が飲めない期間であるからせめて目で色だけでも楽しめたら、とかそういう理由なのだろうが、余計に飲みたくなるではないか。
皇妃がそんな表情で陛下の方を振り向けば、何やら陛下の機嫌が悪そうだった。
「どうしたの?」
皇妃が問うと、むすっとした顔で仰向けに寝ていた陛下がむくりと起き上り背後から皇妃を抱き寄せた。
「……何故その花をそこに飾ってるんだ」
「ネスからの初めての贈り物だから、嬉しくて。貴方の花束は向こうの部屋に飾ってあるの」
皇妃が何の気なしにそう答えると、はあー、と長い溜息が背に掛かる。
「…俺は相当に心が狭いようだ」
「ん?」
―――他の男からの贈り物を寝室に飾るなんて、許しがたい。
ぽつりと呟かれたその声は余りに小さく皇妃の耳に届くことは無く、「何でもない」と皇妃の肩に顔を埋めた。血を分けた幼い息子を男と認識してしまう己の狭量さもまた、許せない。馬鹿か俺は。陛下は心の中で己を罵った。
そして陛下は新たな命が宿っている皇妃の腹部に両手を優しく添えて、お前は母に良く似た娘であれ、とまだ見ぬ二人目に向かい強く願ったのだった。
完全な未来の話なので「いつかの話」としました。
陛下の希望も空しく二人目も陛下に良く似た男の子だと思います。念願の娘はきっと、三人目、のはず!
二人の息子ネスの本名はネストリィ・ヴォルフラム・ジェヴォークスと言います。
次代の皇帝の彼は両親のコンプレックス部分を受け継いで甘い物を肴に酒を嗜むことが出来る男になる予定です。甘党な父親を習って立派なスイーツ男子に育つことでしょう。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました!