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01.なぐさめ陛下とくだまき王女

こちらのお話は「甘党男と酒やけ女」に出てきた男と女の前世の物語です。

よろしくお願いします。


 人々の陽気なざわめきが広がる酒場の一角。

 厨房にほど近いカウンター席の端に、一組の男と女がそこにいた。


 「…それでね、いきなりお見合いしろって言われてね」

 「ああ」

 「急も急によ?ひどいと思わない?」

 「そうだな」


 時折ジョッキを傾けながら酒やけのせいか掠れ気味の声で隣に座る男へ切々と語る女。

 くだを巻く女の話を、隣の男は相槌を挟みながら聞いている。


 「私はさ、次女だし、上に兄も姉もいるから家を継ぐっていう心配なく育ったのね。聞こえは悪いけど気楽な身の上ってやつ」


 兄は既に家を継ぎ、姉は一昨年の春に隣国へ嫁いだ。いつか自分も姉のように嫁がなければいけないと思っていたが、よもや見合い相手が悪すぎる。


 「見合い話はいつか来るとは思ってたんだけど、さすがにね」

 「そんなに相手の男が気に入らないのか?」

 「気に入らないっていうかなんて言うか…。私、夢があってさ」

 「夢?」

 「お酒、大好きなのよ」

 「それは、まあ、お前を見ていれば分かるな」


 男と話を始めてから女は既に麦酒をジョッキで5杯おかわりしている。男の持つグラスの中身はほとんど減っていないのに、だ。


 「で、見合い相手は大国のちょっと偉い身分の人なの」

 

 私もちょっとした身分の人だからさ。言葉少なに聞いている男に冗談めかした笑みを浮かべ、先日見合い話を聞かされた時の苦い気持ちを流し込むように女はジョッキを呷る。


 「私としては、そんな大国に嫁ぐなんて大それたことは他の人に任せて、酒蔵を経営している酒好きな人と結婚したいんだ」


 言外にこの見合いは荷が重いのだという思いが篭る。それを聞いた男は「何故」と問う。


 「酒蔵をやってるならお酒に強いだろうし、奥さんが酒好きでも恥ずかしくないでしょ?あと、自分好みのお酒も作ってみたいかなぁ。…お見合い相手と結婚しちゃうとそういうこと出来ないのよね。それにさ、相応しくないでしょ」

 

 女はヘラッと笑った。


 「相応しくない?」

 「女のくせにお酒が大好きだし、飲み過ぎて声なんて酒やけしてるし、がさつだし…」


 自分で自分に打撃を与え、カウンターへ突っ伏すその姿に男は女の頭をポンと叩いた。


 「酒好きでも良いじゃないか、その声も悪くないぞ。…がさつは個性だろう」

 「慰めなんていらないよう。酒好きな奥さんなんて恥ずかしいもの。私が相手だったらこんな嫁欲しくな……くはないか。一緒にお酒を飲めるならそれはそれで楽しそうかも」

 

 落ち込んだと思ったらすぐに浮上する。くるくると感情が変わる女の隣で男はひっそりと笑った。


 「確かにその飲みっぷりは毎日見ていても飽きないだろうな」

 「ありがとー。でもさ、隣に置きたい相手じゃないよね」

 「そうか?」

 「自由に育ちすぎたの私。…変わり者だもん」

 「変わり者、か」


 男は何か思うことがあったのか、遠くを見る目つきで手元に視線を落とす。


 「俺も、変わり者と言われている」

 「そうなの?」

 「ああ。お前の酒好き以上に知られると恥ずかしいかもな」


 そう言って苦く笑い、先付として出された炒った豆を口に放り込む。塩味の中にほんのりと豆本来の甘みを感じ、男は口元を緩めた。


 「…俺もな、家のために見合いをしろとせっつかれている」

 「おおー。お兄さんもなんだ」

 「二つしか違わんだろうが」

 「二つでも年上でしょ~」


 くすくすと笑う女は、残りの麦酒を飲み干して給仕に7杯目のおかわりを頼んだ。


 「本当によく飲むな」

 「だって美味しいんだもの!…呆れちゃう?」


 上目使いに訊いてくる女が妙に可愛くて。


 「いや、面白い」

 

 男はもう一度女の頭に手を乗せ、今度はその黒髪を優しく撫でた。




 「お兄さんは、お見合い受けるの?」

 「この歳までふらふらしていたからな。観念する時期ではあると思っているが…」

 「ふうん…ちゃんと考えてるのね」


 女は冷えたジョッキに浮かぶ結露を指でなぞり指先で遊ぶ。


 「ちゃんと考えていたら、この歳まで独身じゃないだろう」


 男は手に持つグラスを何とは無しに揺らした。


 「25歳かぁ。男盛りじゃない。お兄さんもてるだろうにもったいない」

 「嫌というほどもてるな。もてすぎて女性が恐ろしいほどだ」

 「うわぁ、言うね。でもガツガツしてる女性ほど怖いものはないなあ」

 「だろう?だから逃げ回っていたんだ」

 「怖かったね~?」


 女がよしよしと灰褐色の髪を撫でてやれば、男は肩を揺らして笑い出した。


 「本当に面白いな。頭を撫でられるのは子供時代以来だ」

 「良い子は頭を撫でてあげる。これ子育ての鉄則ね」

 「…俺は子供と一緒か」


 口を尖らせて拗ねたような男に、にんまりと女はまた手を伸ばした。

 が、その手に先んじて逆にわしわしと男に撫でられる。負けじと女も男の頭を撫で、思うさまお互いの髪を掻き乱し、腹を抱えて笑い合った。





 一頻り笑って疲れた女は再びカウンターに突っ伏していた。

 顎を乗せたまま正面を向いていた顔を男の方に動かし、その手元のグラスを見る。すっかり氷がなくなって薄まった琥珀色がもったいなく感じた。


 「…ねえ、氷溶けちゃったよ」

 「……ああ」

 

 ゆらゆらと分離した中身を揺らし、男は口元に運ぶ。ほんの少し唇を湿らせただけでグラスを元の位置に戻した。


 「あまり飲まないのね」

 「…まあな」

 「お酒、好きじゃないの?」


 ニヤリ。男は意地悪そうに口の端を持ち上げて笑う。


 「横に酔い潰れそうなお嬢さんがいるのに、俺が酒を飲めるか」


 そう言って、女の顔にかかっている黒髪をそっと掬い、耳殻を掠めるように左耳にかける。


 「ふうん、あわよくば持ち帰ろうって?」

 「見合いをする女を持ち帰るというのは、相手の男に悪いかな」

 「じゃあ、私はあなたのお見合い相手の女性に悪いことするわね」


 ふふっ。突然、女が肩を震わせて笑い出した。


 「どうした?」

 「あなたが悪いと思う相手は、今頃私に激怒してると思うよ」


 だってね、


 「お見合い、今日だったの」


 可笑しそうに、目じりに涙さえ浮かべて女は笑う。


 「逃げちゃった。お兄さんのこと、笑ってられないね」


 力無く目を閉じ、溜まった涙がころりと落ちる。


 「私さ、そんな器じゃないから、怖くなっちゃって…、待ち合わせの場所に向かう途中で、付き添いの人たちを振り切って、ここに逃げ込んだの」


 閉じた瞼から溢れる涙。それは疾うに笑って出たものではなく、懺悔の涙に変わっていた。


 「ほんとに、突然の話だったから、心の準備も何も出来てなくて、いきなり対面とか…、私のんべえだし、酒やけ声だし、頭が破裂するかと思って…」


 十分に体に回った酒が感情の箍を外し、女の口からとりとめのない言葉を紡ぎだす。

 ずっと不安に思っていたのだろう。浴びるように酒を飲んでいたのは、少しでも逃げ出した現実を忘れるように。


 拭うことを忘れた女の頬に、男はそっと指を伸ばして雫を払う。触れられた感触に目を開き、戸惑いの眼差しのまま男を見上げた。


 

 「ごめんね、今日会ったばかりのあなたに話してもどうにもならないのに、こんなこと…。でも、どうしよう、怒らせちゃいけない相手なのに、怒らせちゃった…」

 「…大丈夫だ」

 「あなただって、相手が見合いに来なかったら…、怒るでしょ?当然よね…」

 「怒らないさ」


 女の気を落ち着かせるように、男は優しく撫で、優しく語りかける。


 「何故、そう言える?あなたはあの方じゃないし、怒らないはずないっ。私は、なんてことを…っ」


 くしゃり、と顔を歪める。頬を撫でる男の手から逃れるように俯いた女に、男は深く息を吐いた。


 「……俺も、逃げてきたから」


 男の吐息と共に零れたのは、女と同じ懺悔の言葉。


 「な、に…?」

 「俺も今日、見合いだったんだ」


 その言葉に顔を上げ、涙に濡れた瞳で見上げる女に悪戯を白状するような面持ちのまま、言葉を繋ぐ。


 「俺は相手が来るのを待つ側だったんだが、直前になって抜け出した。それでここに逃げ込んだのさ」


 お前と一緒だな。そう言って男は笑う。


 「どうして…?」

 「変わり者って言っただろう?俺も相手にそれを知られたくなくて、逃げ出した。お前はさっき俺が考えてるって言っていたが、実際は何も考えてないのさ」

 「…それほど、知られたくないことなの?」


 コトン、と目の前に差し出されたのは男がずっと持っていたグラス。


 「それ、飲んでみな」

 「えっ」


 氷が溶けて久しく、温まった琥珀色の液体。水と酒が分離したようになったこれを、男は飲めという。


 「これを、飲むの?」

 「ほとんど口を付けてない。…温いし、味も薄まってると思うが」


 グラスの中身の見た目は薄まったモルト酒のように見える。女はおずおずと手を伸ばし、グラスを傾けた。

 最初に感じたのは水の味。だが琥珀色の部分が口に入った途端、女の表情が一変した。


 「甘っ!なにこれすっごい甘い!?」


 喉を焼くような味を想像していただけに、まるで砂糖水のような甘さに面食らってしまった。

 くつくつと声を殺しながら笑っている男。悪戯が成功した少年のような笑顔で、再び腹を抱えていた。


 「それ、俺のために特別に作った甘い茶だ」

 「は?!」

 「一見、普通の酒に見えるだろう?酒場で違和感なく飲めるように作らせたんだ」


 驚きの余りに涙も引っ込み、「意味が分からない」と女の顔にでかでかと正直に書かれている。目が零れ落ちそうな程に見開いて固まっている女の肩を引き寄せて、グラスを握る女の手に、男は己の手を添えた。


 「俺さ、甘いものが好きなんだ。子供が好むような菓子なんて、それこそ好物だ。その代わりというか、…酒が全く飲めなくてな」

 「え?」


 女の視線から逃れるように顔を反らした男の顔は、酒を飲んでいないはずなのに耳まで赤く染まっていた。男の重なった手は、しきりに親指を動かして女の手の甲を撫でている。


 「…大の男が甘党で、しかも酒が飲めないなんて、恰好つかないだろう。…呆れたか?」


 先ほどの女と同じく、上目使いで訊いてくる男。それをぶんぶんと勢いよく首を振って否定する。


 「そんなことない!お兄さんも面白いよ!」

 「そうか、面白い、か。ありがとう…?」

 「でも、いいの?知られたくなかったんでしょ?」

 「ああそうだな…、あまり知られたくない秘密だな」

 

 じゃあ何故私に話したのか。女はそう言おうと男の顔を見ると、そこにはまた、あのニヤリとした笑顔があった。


 「秘密を知ったからには、ただじゃ済まないな」

 「……は、い?」

 「俺と見合いしないかお嬢さん」

 「は?!」


 突然何を言い出すかと思えば。女は信じられないとばかりに身を引いた。


 「お互い相手をすっぽかしたばかりだ。見合いする相手が変わったと思えば良いだろう?」

 「よ、よくないわよ!」

 「何故?」

 「何故って、お互い素性も知らないっていうか、名前も知らないし!」


 そもそも偶然隣同士になった男と女。女が酒に酔って男にくだを巻かなければこうして話をすることもなかったのだ。


 「名前か。ここで言うのは少しばかり憚られるな」

 「そんな御大層な名前をお持ちなの?」

 「まあ。今はまだ、言えない」


 男は意味深に笑う。


 「で、こんな得体の知れない奴との見合いは、嫌か?」

 「それは…」

 

 男とは知り合ってまだ少ししか経っていない。話したことと言えばお互いの年齢と、見合いに対する愚痴だけだ。女が一方的に話していたと言ってもいい。


 だが話をしている間はとても楽しく、居心地がよかった。

 男に頭を撫でられるのも嫌ではなかった。

 男に頬に触れられるのも嫌ではなかった。

 …男の胸に引き寄せられたのも、嫌ではなかった。


 でも。

 逃げ出した見合いの席。双方の関係者に多大な迷惑を掛け、今また更なる迷惑を掛けることになる選択を、女の事情を何も知らない男を巻き込むことを、女は選ぶことが出来ない。


 「……私、…」

 「ああ、そうか。そうだったな」


 唐突に女の言葉を遮った男は、女のジョッキに手を伸ばした。


 「酒が飲めない男では、お前と見合いをする資格はないな」

 「え、ちょっと?」


 ジョッキにはまだ半分以上も麦酒が残っている。それほど強くはない酒だが、飲めないという男が口にするのはいかがなものか。


 「約束だ。俺がこれを飲みきったら、何も心配せずに、俺と見合いしろ」


 女が返事をする間もなく男はジョッキを呷り、中身を飲み干していく。

 ごく、ごく、と飲み下していく際に動く喉仏。

 時折呻くように喉を鳴らし、苦しそうに眉根を寄せているのだが、零すことなく最後まで男は飲みきった。

 空のジョッキを叩きつけるようにカウンターに置き、顔を真っ赤にさせた男は隣の女を見る。

 

 「……約束、だから、な」


 鬼気迫る様子に中てられて固まっている女を、座り始めた目で睨みつけた男は、ジョッキを握ったままカウンターへ突っ伏してしまった。


 「え…、ねえ、大丈夫っ?」


 慌てて女が確認すると、男は静かな寝息を立てていた。耳どころではなく、首筋までも真っ赤に染めて。


 「寝、てる…。あ…はは」


 もう、笑うしかない。


 「あははは……あ~あ。…とんだお子様ね」


 すやすやと眠る男の乱れた前髪を直し、そのまま頭を撫でる女の表情は、とても柔らかなものだった。

 どうしようもないな、彼も、私も。


 女はそっと、男の耳に唇を寄せて小声で囁く。


 「…私の見合い相手はね、この国の皇帝陛下なの。それでも、あなたも一緒に陛下に立ち向かってくれる?」


 深い眠りに落ちただろう男からの返事は無い。女も返事を期待したわけではなかった。


 「明日、陛下に今日の謝罪と見合いの白紙をお願いしてくるわ。そしたら多分、私は国から追放ね」


 追放ならまだしも、命が無いかもしれない。帝国に盾突いて無事で済むほど女の国は強くはないし、また自国も女を許してくれないだろう。


 女は男のグラスを持ち、ゆるゆると揺らす。


 「……もし命があって、また逢えたら、その時はお見合いしてね」


 カチン。

 眠る男が握るジョッキに女はグラスを当て、男が好むその甘い甘い琥珀色を不安と共に飲み干した。










 ―――昔々、ここではない、どこか別の世界で。

 甘いものが大好きな皇帝が、酒好きな王女と出会った物語。


 二人はまだ、互いを知らない。


 皇帝は幸せな夢の中。

 王女は明日への不安を抱いたまま。


 共に歩む幕が上がるのは、まだ少し先のお話―――。




初めての方は、初めまして。二度目の方は、またお会いできて光栄です。煤竹と申します。



小話「甘党男と酒やけ女」の過去というか前世編を脳内から引っ張り出してみました。

相変わらずの説明不足&名前すらまだ出てきていないこんな状態の陛下と王女ですが、これからどうぞよろしくお願いします。

その内に、きっと、たぶん、いろいろと出てきます。名称も、登場人物も。


連載方式にする必要があったのかはそれらをひっくるめてこれからの脳内妄想に賭けようと思っています。



最後までお読み頂きましてありがとうございました!

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