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【番外編】鳥籠に咲いた愛の花  作者: 朝凪


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白いハンカチ

エレオノールが、紫苑と出会うちょっと前の話ーー


黄金の鳥籠の中では、夜が朝で、朝が夜だった

厚いカーテンの向こうで太陽が昇っても、この屋敷の廊下は薄闇のまま

灯りは最低限に抑えられ、音もどこか遠い


エレオノールの1日は、いつも規則正しい

夕方に目を覚まし、身支度を整え、食事をとる

自由時間は読書をし、刺繍をし、庭の空気を吸う

夜明けが近づけば、再び眠る

ーーその秩序は、檻の中の平穏であった


その夜も、エレオノールは小さな作業机に向かっていた

白いハンカチが膝の上に広がっている。柔らかな布は白く清潔な色合いをしていた


細い針を指先で持ち、糸を通す

選んだ糸は紅。深く、甘い色ーー彼女の目の色にも似た紅だった

まずは、自分の名前の頭文字を

布の隅に、ひと針ずつ“E”の文字を刻んでいく


(……わたくしの名前、わたくしの印)


刺繍は大好きだ

無心になれるし、心は自分自身の深いところへ沈んでいく

針が進むほど時間の感覚が薄れていくのも、エレオノールは好きだった。外の世界を知らない自分が、どこかへ行ける唯一の方法のようで


次に、花を刺す

紫苑の花ーー何処かで聞いたことがある。理由はわからない

庭でその花を見たのかもしれないし、本で読んだのかもしれない

何故かその花は胸の奥に引っかかっていた

花弁を1枚1枚と形作るたび、綺麗な花が浮かび上がる


そして最後に、小夜鳴鳥

夜に歌う鳥。歌えば人の心をほどく鳥

エレオノールはその姿を、繊細な線で縫いとっていく

鳥の胸元に少しだけ膨らみを持たせ、翼に流れをつける


(……外で自由に飛べたなら、どんな気持ちになるのでしょう?)


そう考えるたび、胸の奥がちりちりと痛む

けれど、痛みは不思議と嫌ではない

痛みがあるということは、自分の中に“何か”が生きている証拠だから


ちくちく ちくちく


針が布を貫く小さな音が、部屋の静けさに吸い込まれていく

エレオノールは夢中になって、糸の色の濃淡まで確かめながら、僅かな歪みも許さず指先を動かしていく


ーーどれほど時間が過ぎたのか

ふいに、背後から声がかかった


「また完徹刺繍か?」


驚いて肩が跳ね、エレオノールは振り返った

扉のそばに立っているのは、兄のオーギュストだった

月光を集めたように整った顔立ち、妹と同じ紅い目。けれど、その目は妹より冷たく影が差している


「お兄様!……あの、いま何時でしょうか?」


オーギュストは窓の方へ視線を流した

カーテンの隙間から、ほんの僅かだが白い光が差している


「もう日は登っている。……お前は刺繍となると、時間が見えなくなるところがあるな」


エレオノールは目を瞬いた


「え……?もう、朝………?」


自分の身体は疲れを感じていない。呼吸も乱れない

けれど、心だけがどこかで無理をしているのがわかる

吸血鬼でも、眠らずにいれば心も身体もすり減ってしまう


「でも」


エレオノールは小さく笑って、ハンカチを見せた


「お兄様から頂いたハンカチですもの。早く刺繍をして使いたいのですわ」


オーギュストの表情が、ほんの少しだけ緩んだ

ただし、それは喜びというより、複雑そうな笑みだった

彼はエレオノールの手元を見つめる。紅い糸で刻まれた“E”、紫苑の花、小夜鳴鳥


「………綺麗だぞ」


短く、けれど確かな声だった

エレオノールの胸が、ポッと温かくなる


(褒められると、嬉しいですわ……)


オーギュストは一歩近づき、机の上に残された糸や針を見て、眉をひそめた


「……ほどほどにしておけ。お前が倒れたら、俺が困る」


その言い方は相変わらず不器用で、優しい

「困る」と言いつつ、本当は心配なのだとわかる

エレオノールは頷いた


「はい、お兄様」


返事をしたのに、指先はまだハンカチを離さない

あと少しで、小夜鳴鳥の羽が完成する。もう少しで

この小さな“完成”が欲しかった。この鳥籠の中で、何かを成し遂げたという証が


オーギュストはその様子を見て、ため息をついた

そっと彼女の肩に手を置く

触れられると、体温の差が際立つ。兄の手は氷のように冷たい。けれど、その冷たさが安心を呼ぶのも事実だった


「エレオノール……無理をしてまで、何かを早く手に入れようとしなくていい。ここでは、時間はいくらでもある」


ーー「時間はいくらでもある」

その言葉が、エレオノールの胸にちくっと刺さった

外の世界も、出会いも、未来もない代わりに、時間だけが積もっていく

その重みを、兄は気づかぬふりをしているのだろうか。それともーー気づいているからこそ、彼女を外に出さないのだろうか

エレオノールは微笑みを崩さずに言った


「……はい。わたくし、わかっております」


嘘ではなかった

ただ、わかっているのと、耐えられるのとは別物だ


オーギュストはそれ以上何も言わなかった

そして、彼女の髪に指先を滑らせた


「おやすみ、エレオノール」

「はい、お兄様」


髪にキスをすると、オーギュストは部屋から出て行った

部屋に静寂が戻る


エレオノールはもう一度だけ針を持つ

最後のひと針

小夜鳴鳥の羽が、綺麗に舞う

完成したハンカチを両手で広げると、素晴らしく精緻で美しい刺繍が出来上がっていた


(……いつか、このハンカチを、誰かに渡す気がします)


根拠のない予感

けれど、確かに感じる


エレオノールはハンカチをそっと胸に抱き、ベッドに向かう

横たわると、うとうとと眠気が襲う


鳥籠の中の幸せな時間

ーーそう呼べる時間が、確かにここにはある


エレオノールは目を閉じる

胸の奥で、小夜鳴鳥が小さく羽ばたく


ーー歌いたい

まだ知らない、誰かのそばで


そんな願いを胸に隠して、彼女は眠りに落ちていった

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