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花街の娘

火曜、木曜(~19時)に更新です!

食卓の上に散らばっているのは、いつか万屋のじいちゃんが無償でくれた暦だ。

じいちゃんは、もし体調を崩すようなことがあれば、この薬師を訪れるといいと口を酸っぱくして言っていた。


(薬師……華欄。体調が思わしくないなら、王都リーヴェンへ)


薄い竹を重ね合わせた刺 《シ》には、流麗な字でそう書いてある。


それから長々と住所が隙間なく記され、末尾には

“重ね重ね失礼、もし窮乏なのであれば、王都に席を設けることができる”とまで添えられていた。

千代チヨは、背に掛けたシトネを思わず剥ぎ取り、穴があくほどじっどソレ”を見つめた。


「男の時は御曹司を。女の時は…令嬢として迎え入れる」


けれど、千代チヨは貧乏な生まれで、御曹司という言葉さえ知らず、王都の風習もさっぱりだった。


薄汚い湯文字ユモジを一枚まとっただけのこの小娘に、一体何ができるというのだろう。


しかし、千代チヨはもう花街での生業に心底うんざりしていた。

書き入れ時の物日ですら、ただ所在なく夜を待つばかりの己の境遇に、嫌気が差していたのだ。


「こんな借財だらけのうちでも、いつか王子様と結婚できるかなあ」




――それは、まだ私が「千代」と呼ばれていた頃の話だ。




鉛のように重い瞼を押し上げると、視界に飛び込んできたのは豪著なシャンデリアの眩光だった。

かつて輝いていたドレスはドレスは、今や見る影もなく無残に引き裂かれている。


「あら……見苦しいわね」


(うち……私は今“リリア”なのか……)

記憶が混濁する中、突きつけられたのはあまりに惨めな現実だった。


王都での“リリア”は、見るに堪えない虐めの標的。傲慢な悪役令嬢は、口を開けば誰かの不満ばかり。

その鬱憤を晴らすかのように、リリアに対して一方的で容赦のない“いびり”を繰り返していた。


「悪役令嬢」として名高い伯爵令嬢――フローネ。

そんな彼女が今、目を吊り上げて私を咎めている。無理もない。


かつて格下だった私が、今や『完璧侍女』として名を馳せているのだから。

何より、彼女が執着してやまないリヴァース皇太子の傍らに、私が平然と控えていること。

彼女はその噂を聞きつけ、はやての如くスライディングを決めてきたのだ。


そして、その周りに『金魚のフン』のごとく群がっているのは、彼女の取り巻きたちだ。

きっと彼女たちは、本気で『フローネ信仰教徒』の一会員として、今日もその活動に励んでいるのだろう。 ……私への嫌がらせも、彼女たちにとっては崇高な「布教活動」の一環なのだ。



取り巻きたちが壁のように立ちふさがり、一斉に扇子を広げる。

スゥゥゥゥゥ……ハァ……「「「参りますわよ」」」


「見てご覧なさい、あの惨めなお姿。王都の華と謳われた面影もありませんわ」

「泥を這う虫がお似合いですこと。ようやく身の程を知ったのかしら?」

「貴方がリヴァース様と恋仲だったという噂もありましたけど、誤謬デマだったのでしょうか」


(早口すぎて……何言ってるかわからない……)


降り注ぐ罵声の雨。

フローネはどれを至高の音楽であるかのように楽しみ、わざとらしく私のドレスの端を踏みつけた。


グシャッ…ビリッ…。


会場がざわめき始める。

「またフローネ様だわ」「人の衣装を痛めつけるなんて」と、観衆の令嬢たちがこの“茶番”を品定めし始めた。


……こうして彼女が醜態をさらすのを見るのは、これで八十二回目だ。

この数字は、いかなる悪役令嬢の悪行であっても、軽く氷河する。あまりの学習能力のなさに、周囲の空気さえも絶対零度まで凍りついていく。


突如、フローネの表情が――少し異国風な例えだが――「なまはげ」のように歪んだ。


「…どうせ、誤謬デマじゃないんでしょ。リヴァース様と貴方の関係は、もう突き止めているわ!」


スライディングの勢いそのままに、彼女は指を突きつけてそう言い放った。

出任せであることは、すぐに分かった。

確かに彼女の持つ権力を使えば、調べられないことはない。けれど、それは「優秀な部下」を使っていればの話だ。


彼女の周りにいるのは、自分を脅かさない、自分より能力の低い者ばかり。 「自分より劣る者を従える」――悪役令嬢にはよくある話だが、そのせいで彼女の諜報網は穴だらけだ。


「この舞踏会の主催者も、リヴァース様なのでしょう」

「ええ、そうですね(取り巻きC)」


フローネは頬を紅潮させ、勝ち誇ったように言い放った。


「つまり、これは……私とリヴァース様の婚約決定! みたいな? そういうサプライズなわけね!」


(……出任せの次は、超強靭メンタル発言……)

……一瞬、周囲の空気が物理的に数度下がった気がした。

主催者だからといって、なぜそこまで強引に自分の婚約に結びつけられるのか。


彼女の脳内にある『空想』は、もはや現実世界の法律や常識を超越し、独自のファンタジーを紡ぎ出しているらしい。きっと、恋愛もののフィクションの見過ぎなのだろう。


ヒロインが劇的なサプライズで愛を誓われる――そんな安っぽい物語の筋書きを、あろうことかこの極寒の現実に持ち込もうとしているのだ。



(リヴァース、このままじゃ……本当にフローネと貴方の婚約報告になってしまうわよ)


胸の内でそう毒づきながら、私は、ほくそ笑む。


ここまで来たのだ。

名ばかりの伯爵令嬢として蔑まれ、泥水を啜るような侍女の下積みを経て、私はこの座を掴み取った。 爪を研ぎ、感情を殺し、誰よりも完璧な「道具」としてリヴァースの信頼を勝ち得てきたのは、すべてはこの瞬間のため。


周囲からは、

この惨劇の結末を待ち望むような、あるいは次なる主役の登壇を期待するような囁きが漏れ聞こえる。


「……噂の、リヴァース様はまだなの?」


その瞬間、会場の空気が爆ぜた。

会場の喧騒を切り裂くように、重厚な黒檀の扉が「ギィ……」と、深淵の底から響くような音を立てて開かれた。


その瞬間に溢れ出したのは、圧倒的な覇気。

氷の彫刻を思わせるその横顔は、一切の無駄を削ぎ落とした非の打ち所がない造形。月光のように冷ややかで、同時に見る者を射すくめる鋭い眼光を湛えている。


この場に集う者たちの呼吸さえも支配し、全ての権力をその掌中に収める、文字通りの**“支配者”《ルーラー》**。


リヴァース皇太子――。


(あ……。リヴァース……!)

張り詰めていた私の心に、一筋の熱が灯る。 それまで氷河のように冷え切っていた私の瞳は、彼という太陽を映し、みるみるうちに希望の光で満たされていった。

ずっと「舞踏会」をぶどうかいって書いてて、変換されないなあ、って思ってたら。まさかのぶとうかいでした。(笑)

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