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世界は、彼女の解釈で転がる  作者: 白澄


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第9話 浮かせた日

 朝の台所は、いい匂いがしていた。


 焼きたてのパン。


 ほんのり甘くて、あたたかい。


「トラ、このパン、テーブルに並べてくれる?」


 かまどの前から、母が振り返って言う。


「うん!」


 元気よく返事をして、私はパンの入った籠をのぞきこんだ。


 丸いパン。


 ころんとしていて、表面は少し硬そうだ。


(……丸)


 最近、私はいろんなものを転がせるようになってきた。 前より遠くまで。


 前より、迷わずに。


 石も、瓦も、木の器も。


 重さを意識することも、ほとんどなくなってきた。


(これなら……)


 私は、籠の中のパンをじっと見る。


(転がす、だけじゃなくて……)


 ふと、考えがよぎる。


(……もしかして)


(浮かせられるかも)


 胸の奥が、きゅっと鳴った。


 石ころより軽い。


 丸くて、形も整っている。


(できるかどうか、じゃない)


(ちょっと……試すだけ)


 私は、そっとパンに意識を向けた。


(中心)


(等距離)


(……上へ)


 ――ふわっ。


「……え」


 声が、ひっくり返った。


 パンが。 


 本当に。


 空中に、浮いている。


「え、え、えっ!?」


 心臓が、一気にうるさくなる。


(ほ、ほんとに浮いた!?)


(転がすだけ、だったのに!!)


 慌てて、意識を戻そうとする。


 でも――


 ふわふわと揺れるパンは、言うことを聞いてくれない。


「トラ?」


 母の声。


 振り返る余裕なんて、なかった。


(落ち着いて……)


(大丈夫……)


(今度は……)


(中心……)


(等距離……)


(した……あっ)


 集中が、ぷつりと切れた。


 ――ころころ。


 パンは床に落ちて、小さく転がった。


「……」


 一瞬、台所が静かになる。


 私は、床のパンと、母の顔を、交互に見る。


「……ごめんなさい」


 小さく、言った。


 母は一瞬、目を丸くして―― 


 それから、ふっと息を吐いた。


「……浮いたの?」


「……うん」


「転がしたんじゃなくて?」


「……うん」


 母は床のパンを拾い上げ、


 ぱんぱん、と軽くはたいて籠に戻す。


「びっくりしたわ」


 でも、その声は怒っていなかった。


「でも……できたのね」


 私は、うつむく。


「……勝手に、浮いた」


「勝手、じゃないわ」


 母は、私をまっすぐ見る。


「呼びかけたから、返事をしたのよ」


 胸の奥が、きゅっとなる。


「ただ――」


 母は続けた。


「浮いちゃったから、びっくりしたのよね」


「……うん」


「でもね」


 母は、少しだけ笑った。


「できることが、増えたじゃない」


 そう言って、私の頭をやさしく撫でた。


 私は、床を見る。


 パンは、もう動かない。


 でも、さっき確かに――


 空に、浮いていた。


(転がすだけ、じゃない)


(私……知らないうちに)


 胸の奥が、ざわざわする。


 嬉しい。 


 それに、母の嬉しそうな顔が、少しだけくすぐったい。


 このスキルは――


 条件はあるけど。


 私が思っているより、ずっと。


 ずっと、自由なのかもしれない。

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