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世界は、彼女の解釈で転がる  作者: 白澄


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第2話 丸なのに、違う

 その晩、私はなかなか眠れなかった。


 布団に入って目を閉じると、毛糸玉が浮いた瞬間が何度もよみがえる。 ふわり、と。 ほんの一瞬だったのに、頭から離れなかった。


(どうして、浮いたんだろう)


 考えようとすると、胸の奥が少しざわつく。


 嬉しい、よりも、怖い。


 わからないものに触れてしまったような、不安。


 朝になっても、その気持ちは消えなかった。


 窓から差し込む光で目を覚ますと、台所から木の器が触れ合う音が聞こえてきた。


「トラ、起きてる?」


「……うん」


 布団から出て、髪を手で整えながら台所へ向かう。

 

 母は、昨日と同じようにパンを切っていた。


 いつもと同じ朝。


 なのに、私は知っている。


 ――昨日までと、もう同じじゃない。


「ねえ、お母さん」


「なあに?」


「……中心、ってさ」


 言葉にした瞬間、自分でも驚いた。

 

 昨日から、頭の中にずっと居座っている言葉。


「中心って……どこでもいいの?」


 母は手を止め、少し考えてから、パンを机の真ん中に置いた。


「いい質問ね」


 そう言って、包丁で軽く印をつける。


「たとえば、このパン。真ん中は一つでしょう?」


「うん」


「でも、切り方を変えたら、真ん中に見える場所は変わる。 それでも、“中心そのもの”は、ちゃんとあるのよ」


 私は、パンをじっと見つめた。


(ちゃんと、ある……)


「等距離、っていうのもね」


 母は、パンの縁をぐるりと指でなぞった。


「ここからここまでの長さが、どこも同じ、ってこと。 ぐるっと、巡っている感じね」


 ぐるっと。


 私は、指で小さな円を描いてみる。

 

 昨日まで、ただの難しい言葉だったものが、少しだけ形を持ちはじめた気がした。


 朝食のあと、母は棚の奥から一冊の古い本を取り出した。


 表紙は擦れていて、文字も薄い。


「これ、私が子どもの頃に使ってた本よ」


「え……?」


「文字と、数と、形。学校に行く前に、少しだけ勉強するための本」


 私は両手で、そっと受け取った。

 

 本は、思ったよりも重い。


(……知識って、重たいんだ)


 ページをめくると、丸、線、角。

 

 見慣れない記号が並んでいる。


 その中に、円があった。

「……これ」


 指先でなぞると、不思議と、毛糸玉と同じ感覚がした。


「トラ、無理しなくていいのよ」


 母は優しく言う。


「でも……知りたい」


 自分でも、驚くほどはっきりした声だった。


「知らないままなの、ちょっと怖いから」


 母は目を細めて、微笑んだ。


「そうね。 知ることは、怖さを小さくしてくれるものよ」


 その日の午後、私は机に向かった。


 文字はまだ読めない。

 

 でも、丸なら、わかる。


 円。 

 

 ぐるっと巡る形。


 私は、紙の上にゆっくりと円を描いた。


(中心……)


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


 ――何も起きない。


 紙は、ただの紙のまま、机の上に横たわっていた。


「……なんで」


 もう一度。 

 

 何度やっても、同じ。


 胸の奥が、すとんと冷える。


「やっぱり……ゴミスキル、なのかな」


 その声は、自分でも聞き取れないほど小さかった。


 私は、毛糸玉を手に取る。 

 

 少し歪んでいて、ふさふさしている。


 それでも。


 ぎゅっと目を閉じ、集中する。


 中心。

 

 真ん中。

 

 そこから、同じ距離。


 ――ふわり。


「……っ!」


 毛糸玉が、また浮いた。


 指一本分ほど、確かに。


 すぐに落ちたけれど、心臓が大きく跳ねる。


 紙の円はダメで、毛糸玉はできる。


 同じ“丸”なのに。


 床に散らばった紙と、手の中の毛糸玉を見比べる。


(……何が、違うの?)


 紙の円は、線だけ。

 

 毛糸玉は、中身があって、触れて、そこにある。


 形が似ているだけじゃ、足りない。


 その夜、母が部屋を覗いた。


「トラ、まだ起きてるの?」


「……うん」


「ねえ、お母さん。同じ丸でも……違う丸が、あるのかな」


 母は少し考えてから、優しく笑った。


「あるんじゃないかしら。形が同じでも、中身が違うものはたくさんあるわ」


 その言葉が、胸に残る。


 ――形だけ、似ている。


 紙の円と、毛糸玉。


「……“描いた丸”じゃ、ダメなのかも」


 答えは、まだわからない。

 

 でも。


 ゴミだと思っていたスキルは、


 私に「考える理由」をくれた。


 知らないことだらけの世界で、


 知ることで、きっと変わるものがある。


 ――来年、学校に行けば。


 そう思うと、胸の奥に、ほんの小さな灯がともった。

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