第18話 読めるようになった声
その手紙が届いたのは、夕方の光が、机の上を斜めに切っていた頃だった。
「セントラ」
アルケインが、封筒を一通、机に置く。
「君宛てだ」
白い封筒。
見慣れた文字――ではない。
でも、紋章でもない。
私は、すぐに分かった。
「……お母さんだ」
胸の奥が、きゅっと鳴る。
手紙を手に取る。
少しだけ、紙が柔らかい。
何度も折り直した跡。
――前なら、ここで終わっていた。
読めないから、誰かに読んでもらうしかなかった。
でも今は。
私は、椅子に座り、封を切る。
震える指。
ゆっくり、紙を開く。
そこに並んでいたのは、
ちゃんと意味を持つ文字だった。
『トラへ』
最初の一行で、胸が、いっぱいになる。
『ちゃんと、食べていますか。夜は、冷えていませんか』
私は、息を吸い直して、続きを追う。
『家は変わりありません。鍋も、まだ使えています』
情景が浮かぶ。あの台所。あの匂い。
『あなたがいないと、少しだけ静かです』
――少しだけ。
母らしい言葉に、思わず、笑いそうになって、
でも、喉が詰まる。
『でもね』
そこで、一拍置くように、行が空いていた。
『あなたが、前に進んでいると思うと、この静けさも、悪くありません』
文字が、にじむ。
私は、目を瞬いて、続きを読む。
『文字は、難しいでしょう。でも、あなたは考えられる子だから』
『わからないところがあっても、恥ずかしがらなくていい』
『“中心”は、いつもあなたの中にあります』
――中心。
胸の奥が、温かくなる。
『帰ってくる場所は、ここにあります』
『焦らなくていい。比べなくていい』
『あなたの歩幅で』
最後の行。
『あなたの母より』
私は、手紙を閉じた。
しばらく、何も言えなかった。
アルケインは、何も聞かない。
ただ、窓の外を見ている。
「……読めた」
ぽつりと、声が落ちた。
「全部……読めました」
アルケインが、こちらを見る。
私は、胸に手紙を押し当てた。
「文字って……」
「声、なんですね」
アルケインは、少しだけ目を細めた。
「その通りだ」
「書いた人の思考を、時間を越えて、そのまま受け取る」
私は、うなずく。
もし、文字が読めなかったら。
この手紙は、ただの紙だった。
でも今は。
(お母さんが、ここにいる)
胸の奥で、何かが、ちゃんと繋がった。
「セントラ」
アルケインが、静かに言う。
「入学まで、あと三週間だ」
心臓が、跳ねる。
「準備は、いいか」
私は、手紙を丁寧に畳む。
怖さは、ある。
不安も、ある。
でも。
「……はい」
今度は、迷わなかった。
「行けます」
アルケインは、うなずいた。
「では、行こう」
夜。
私は、布団の中で、手紙を胸に抱いた。
母の声は、もう、読める。
そして私は、
もうすぐ――
自分の言葉で、世界に立つ。
転がる準備は、
もう、できていた。




