第13話 あなたの名前の理由
家に戻ると、夕方の光が床に長く伸びていた。
古い家。
いつもと同じ匂い。
私は、封書を胸に抱いたまま立っていた。
「……トラ?」
母の声に、はっとする。
振り返ると、
鍋を火から下ろした母が、こちらを見ていた。
「どうしたの、その顔」
私は、ゆっくり息を吸って話し始めた。
街で起きたこと。
馬車のこと。
助けたこと。
そして、アルケインという男のこと。
母は途中で何も挟まず、
ただ静かに聞いていた。
最後に、推薦の話をすると――
母の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……そう」
それだけ言って、封書を受け取る。
王都の紋章を、じっと見つめる。
私は、不安になった。
「……やっぱり、無理かな」
思わず、弱音がこぼれる。
「遠いし……それに、私なんか……」
母は、ゆっくり首を振った。
「違うわ」
そして、私を見る。
「ねえ、トラ」
静かな声。
「あなた、自分の名前のこと、ちゃんと聞いたことなかったわね」
「……うん」
母は、小さく笑った。
「あなたが生まれたときね、私がつけた名前が
ーー“セントラ”」
胸が、どくんと鳴る。
「“中心”という意味よ」
私は、息をのんだ。
「どうして……?」
母は、少しだけ目を細めた。
「私ね、あなたを初めて抱いたとき、とても安心したの」
「この子がいる場所が、“ちゃんとした場所”になる、って」
母は、私の前にしゃがみ込む。
「中心ってね、強いとか、偉いとかじゃない」
私の手を、そっと包む。
「周りを、ちゃんと見て。支えて。繋げる場所」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
「だから、そう名付けたの」
母は、微笑んだ。
「あなたは、世界の真ん中を見る子だって」
私は、ぎゅっと唇を噛んだ。
「……でも」
声が、小さくなる。
「学校に行ったら……お母さんと、離れるでしょ」
少し間を置いて、続ける。
「……寂しくない?」
その言葉を言うのが、いちばん怖かった。
母は、驚いたように目を瞬き
ーーそれから、私を強く抱きしめた。
「寂しいに決まってるわ」
即答だった。
「私も、寂しい」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「でもね、トラ」
母は、少しだけ力を込める。
「離れることは、いなくなることじゃない」
耳元で、優しく言う。
「あなたが進める場所が、増えるだけ」
母は、私の額にそっと触れた。
「怖いなら、怖いでいい」
「迷っていい」
そして、はっきりと。
「それでも行きたいって思ったら――私は、ちゃんと送り出す」
涙が、こぼれた。
「……ひとりに、ならない?」
「ならない」
迷いのない声。
「あなたは、セントラだもの」
母は、笑った。
「中心はね、どこへ行っても、ちゃんと“戻れる場所”があるの」
その夜。
私は初めて、
自分の名前を帰る場所のある名前だと、誇らしく思った。




