4. 街へ行こう(2)
先生は慣れた様子でとあるお店の裏口であろう場所へと入っていった。見るからに立派なお店につい足が止まってしまうけれど、ベラ姉が大丈夫、と言って手を引いてくれた。
「すみません、シェラフさんと約束を」
「ああ、キハットさんですね?
すぐに呼んでまいりますので、こちらでお待ちを」
入ってすぐの場所に座っていた人に先生が声をかけると、すぐに応接室へと通してくれた。すごい。あまり外の人と接する先生を見たことなかったけれど、なんだかかっこいい。
「お待たせしました、キハットさん」
「いいえ。
今回は量が多くなってしまったのですが、大丈夫そうですか?」
「むしろ嬉しいわ。
最近は生活も安定してきて、服飾品にも皆気を配れるようになってきたみたいで。
売るものが足りなくなりそうだったんです」
「まあ、そうでしたか」
少し見せてください、と言っておそらくシェラフさん、と言う方が持ち込んだ品を手に取る。商品にするための布は、普段私たちが着るものよりも格段に良いものを使っている。それを主にロット姉が服や装飾品などを形作り、ものによっては先生やベラ姉が刺繍をする、という役わり分担で商品を作っている。いつかは、私も手伝えるといいな。
「これはロットさんが?」
「ええ、そうです」
「まあ、また腕を上げましたね。
それに刺繍も丁寧。
この出来でしたら良い値を示せそうです」
「それなら助かります」
「また、布や糸を買っていかれるでしょう?
少しお安めにしておきますよ」
「ええ、ぜひ」
正式な買取価格はまた明日、ということで今日は解散みたい。そこで商談ということで穏やかな中でも少し漂っていた緊張感がなくなっていくのを感じた。それにほっとして、つい握り締めていた手から力を抜いた。
「そちらの子は、もしかして?」
「ええ。
末の双子の一人、アンです」
「よ、よろしくおねがいいたします」
「まあ、利口ね。
それにとても可愛らしいわ。
良かったわ、元気そうで」
にこにこと笑うシェラフさんに勧められてお茶とお菓子を口にする。普段家で食べるよりもずっと甘いそれがおいしくてつい目を輝かしていると、くすくすと笑われてしまった。
「おいしいです」
「それは何よりだわ。
ねえ、今アンさんが着ているのももしかしてロットさんとベラさんが?」
「ええ、そうです。
少しは私も手伝いましたが、ほとんど二人が」
「そう……。
本当に、わが商会で働いてほしいものだわ」
「こ、光栄ですが……」
え、ベラ姉とロット姉、家から出て行ってしまうの!? 衝撃に二人の方を見ると、戸惑ったような表情を浮かべていた。
「ふふ、もちろん無理にとは言わないわ。
気が向いたらいつでも言ってちょうだい」
「ありがとうございます」
「それにしても、本当に素敵。
アンさんの可愛らしさも引き立てられているわね」
そ、そんなに褒められるとなんだか照れてきてしまう……。思わず目をそらしてしまうと、それにも笑われてしまった。穏やかな空気の中、シェラフさんはそうだ、と言うと眉をひそめて硬い表情となる。
「最近人さらいが出ているようだから気を付けた方がいいわ。
なんでも子供が特に狙われているみたい。
ベラさんはともかく、ロットさんもまだ幼いし、アンさんはそのきれいな瞳の色も相まって狙われやすいかもしれないから」
「まあ、人さらいが……?
この辺りでも被害が?」
「まだこの街では出ていないけれど、近くの方で。
その知らせを受けて領主様が兵の見回りを増やしてくださったみたいだけれど、まだ捕まってはいないようだし、警戒しておいて損はないわ」
「そうですね。
ありがとうございます」
なんだか物騒なことを話してらっしゃる。ちょっと気になったけれど、ベラ姉に勧められたお菓子に気を取られてしまっているうちに、先生たちの会話は耳に入らなくなっていった。
「すっかり長居してしまいましたね」
「久しぶりにゆっくり話せてうれしかったです。
宿はいつものところに?」
「はい。
以前紹介していただいたところを」
「そう、あそこなら安心ね。
商会のものに送らせましょうか?」
一応ね、と行ってくださるシェラフさんからは気遣いを感じる。先生はジャン兄たちがいるので大丈夫です、と断りを入れると明日の約束をして紹介をでた。
「アン!」
「リック!
もうそっちのようじはおわったんだね」
「明日また寄ることになりました。
その時に剣の手入れに必要なものも仕入れようかと」
「ええ、それがジャンに任せるわ。
こちらも明日また受け取りに来ることになったわ」
話しながら街の通りを歩く。どうやらこのままご飯を買って食べることになったらしい。
「二人は何が食べたいかしら?
気になるものがあったら言ってね。
でも、絶対にベラとジャンの手を離してはだめよ」
確かに人込みで手を離して迷子になってしまったら、もう二度と会えばないかもしれない。そんな考えが頭をよぎって、ベラ姉の手をぎゅっと握った。
街の通りはいくつか種類があって、シェラフさんのお店があったのは、主に上級階級や時には貴族を相手にするようなお店らしい。そこからずれて、平民がよく使うお店が集まっている通りへとやってきた。そこには屋台もたくさん出ていて、とてもいい匂いが漂っている。
何か面白いものがないかきょろきょろと周りを見渡していると、とある声が耳に入った。
「トルア!
どこ!」
それはトルアという子の母親らしき女性の声。あまりに必死に呼んでいるから、周りの人もなんだ、とそちらを見る。
「ベラ姉、まいごかな」
「ええ、そうね」
ベラ姉の手を引くと、眉根を寄せて心配そうな顔をするベラ姉の顔が目に入る。そのまま母親の様子を見守っていると、少し離れたところからママ! と叫ぶ声が耳に入った。
「トルア!
ああ、良かったわ。
本当に心配したのよ」
「ママ!
ごめんなさい……」
「いいえ、無事で良かったわ」
どうやら娘は無事に見つかったようで、周りも良かったな、と声をかけている。良かったよかった。それにしても母親……。お母さんのことはわずかにしか覚えていない。けれど、たぶん私とリックに愛情を注いでくれていた、と思う。お母さんは……、どうして、今傍にいてくれないんだろう。それに、お父さんのことは何も知らない。
「アン?」
いつの間にか足が止まっていたようで、くん、と手を引かれる。そんな様子を見ていた先生が私を抱き上げてくれた。
「寂しくなってしまった?」
「せんせい……。
ねえ、どうしてお母さんは、わたしとリックをおいていったの?
どうして、お父さんはいないの?」
ぽつり、と言葉がこぼれてしまった。あの家にいる皆が、本当の家族ではないことは知っている。それでも身を寄せ合って、家族として生きていることも。皆は大切な家族。それは胸を張って言い切れる。それでも。
「あなたたちのお母様は……、二人を置いていったわけではないわ。
最期まで二人を守ろうとしていらした。
私は詳しいことは存じ上げないけれど、それでもあなたたちを心から愛していらしたのは、きっと本当よ」
「まもろうとした?」
「ええ、そう……。
アンとリックがもっと大きくなったら、私が知っていることをきちんと話しましょう。
だから今はまだ……。
お父様のことは、私もまったく存じ上げないわ」
そっか、と先生にぎゅっと抱き着く。お母さんは、今何をしているんだろう。お父さんは、どういう人なんだろう。楽しいはずの気持ちが少しだけ落ち込んでしまった。
「アン、リック、見て。
あれとってもおいしそうだよ」
先生の肩に顔をうずめていると、ルーク兄の声がした。指さす方を見ると、串にささった肉が売られている。おいしそう、とつぶやくと買ってくるから待っていて、とルーク兄とロット姉がかけていった。はたとリックの姿を探すと、リックも寂しくなったのか、ジャン兄に抱き着いている。そこではたと目が合った。それがなんだかおかしくて。私たちは顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
ルーク兄とロット姉が買ってきてくれたお肉はおいしくて、いつの間にか寂しい気持ちはどこかへと消えていった。