プロローグ
記憶に残っている一番古い記憶は、口角の上がった女性の口元と体を包み込む温かい手。
まどろみの中にいるような安心する気持ちも一緒に思い出す。
『アンシェル』
そう呼んでくれた声は誰だったのか、もう顔も思い出せないけれど、その人のことが大好きだったことは覚えている。
「アン!
そろそろおきて」
「……リック?
おはよー」
「うん、おはよう」
がたがたと揺すられる感覚と自分を呼ぶ声に、まどろみから意識がうかびあがる。とたんに消えていってしまった姿にどうしようもない悲しさが浮かび上がった。
目を開けると目の前には生まれたときから一緒にいる、見慣れた片割れの姿。もう起きる時間みたいだ。
「あら、おはよう、アン、リック」
「おはようございます、せんせい」
「もう少しで朝ごはんができるから、顔を洗って着替えてしまいなさい」
「はーい」
顔を洗うために庭先に出ると、そこにはベラ姉の姿。私たちの姿を認めると、そばかすのある頬を緩ませておはよう、と口にする。
「ふふ、少しお寝坊だったね、2人とも」
「ちがうよ!
僕はちゃんとおきたもの。
おねぼうだったのはアンのほう!」
「ちょっとおくれただけだもの……」
たしかにいい夢を見ていたから起き難くて、いつもよりちょっと遅れたけれど。でも、逆にリックの方が遅れることもあるんだから、そんな風に言わなくてもいいじゃん。口元をむっとさせていると、ベラ姉がくすくすと笑みをこぼした。
「仲が良くて何よりだけれど、ほら、早く準備しないと。
手伝ってあげるから」
「「はーい」」
「いい返事」
ベラ姉が引き上げてくれた井戸水を使って顔を洗う。前までは顔を洗うだけで服に水がかかっていたけれど、今日はあまり濡らさずに顔を洗えた!ばっとベラ姉の方を見ると、よくできました、と頭を優しく撫でてくれた。
それから二人で着替えをして朝食を食べに行くと、既にみんなが揃っていた。挨拶をしてから、パンを手にとって小さくちぎる。そしてスープに浸してから口にいれると、じゅわっとスープのおいしさが口に広がった。
普通に食べると私には固すぎるパンは、少し前までは自分でちぎることすらできなかったけれど、ようやくできるようになってきた。
それが嬉しくて、朝食も美味しくて。その気持ちはきっとリックもおんなじで。リックの方を見ると、リックもこちらのほうを向く。おいしいね、と2人で顔を見合わせて笑った。
もう朝目覚めた時の寂しさは感じられなかった。
「なんだか今日は二人ともご機嫌だね」
「本当に。
あーー、もう可愛いんだから」
「ちょっ、やめてー!」
「こら、今は食事の時間よ!」
ルーク兄の言葉に反応したロット姉に、リックが頭を強く撫でられる。それを先生に叱られると、ロット姉は途端におとなしくなった。それを見守っていたベラ姉がくすくすと笑う。マイペースなジャン兄はもくもくと朝食を食べているし。
親替わりの先生と4人の兄姉、そして片割れのリック。記憶の片隅にしか残っていないあの優しい手を、微笑みを、失ったときからこの人たちが私の家族となった。
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