37:2日目 単独行
雨は上がってきた。
曇った気持ちのまま歩き続けたジーナは、歩みを停めた。
どこまでも広がる広大な木柵。
昨晩、賊の狼藉を許したピギー牧場だ。
ジーナがここに辿り着いたのは無意識だった。
彼女にとってクエスト解決は日常であり、心が落ち着かず何も考えられない時でも、その脚はクエストポイントへ向かう。
「とはいえ、何してんだ。あたしは」
五分間、夜風で頭を冷やしたらギルドへ戻ろう。
そう考えた瞬間――柵が破壊される音がした。
遠くはない。
ジーナは駆け出した。
走りながら、ポケットの炸裂弾発射銃の準備をする。
「感謝するよ。あたしが、最高にもやもやしてたこの時に来てくれた事にね」
その表情は、とびっきりの凶暴な笑みだった。
農場の柵は今まさに破壊されていた。
しかし、そこには何の人影も存在してはいなかった。
ジーナが目を凝らすと、雨上がりの水たまりが音を立てている。
「見えない賊……幻術か」
希少な存在なのでこいつ自身が幻術使いである可能性は低い。
おそらく対価を払って幻術を付与されたのだろう。
そっちがそう来たのなら、こちらも手札を切るだけだ。
ジーナはポケットから虎の子の探知術石を取り出すと、ためらいなく力を解放する。
この魔法は半系十メートル以内の魔力を探知した箇所が青白く輝く。
果たして柵の近くで、トロール級の巨大な人影が浮かび上がった。
ジーナは躊躇する事なく、銃を構えると見えない巨人の足に炸裂弾を発射する。
見えない脚が燃え上がり、あっさりと巨体が崩れ落ちる。
「何だよ、こりゃ」
幻術が解けて巨人が姿を現す。
それはハリボテ――木と金属でつくられた箱を組み合わせたような、不恰好な代物だった。
燃え上がる箱巨人の中から、男が飛び出してきた。
これが見えない巨人の正体か。
ハリボテの内部には、ペダルやレバーのようなものが備えられており、こいつが中で操作していたと見える。
ジーナのムチがうなり、男は顔を押さえてうずくまる。無防備に腹を見せたところに、ジーナのブーツが尖った槍のようにめり込む。
「ぐふぅっ!」
見る限り男は戦闘員には見えなかった。しかし、どんな奥の手が残っているかわからない。それにこいつは街の敵だ。そんな事をぼんやりと考えながら、ジーナは、もう一度蹴りの追撃を食らわせる。
「一応聞いてやる。なんでこんな手の込んだマネを?」
「う……うるさい。うちの農場の豚の方が質が高いのに……お前らの豚は不当に評価されている……」
「は? 意味が分からん」
「うちの農場の豚が最高なんだ! お前らソシガーナのアホ共にはわからないだろうが……」
男はジーナの前で言ってはならない事を口走ってしまった。
街への罵倒は、ジーナを怒りの魔人と化してしまう。
とりわけ、今夜の彼女の前では、特に慎むべきだった。
「つまりお前は街の敵ってわけだ」
ジーナは再び、男を蹴り始めた。
男の前歯が吹き飛び、骨が折れる音がする。
完全に動かなくなってから、ジーナは蹴るのをやめた。
「いけねえ。やりすぎた……」
幸い男には息があった。
しかし、無防備な男を痛めつけ続けた自分は、言い訳のしようもないほど“魔人”だったのではないか。
『ジーナ。君が誰かと笑い合うことなんか無いよ。当たり前だろ?』
「ああ、カール。そうかもな」
カールの婚約破棄から今まで――誰かと心を交わしたことなんて、一度もなかった。そうする資格が自分にあると思えなかった。自分は一皮むけば怪物になる、という意識が常にあったから。
ジーナはガラクタの巨人に腰掛けると、ポケットから芋チップスを取り出して口に運ぶ。
何の味もしなかった。
騒ぎを聞きつけて、農場の人々が松明を手に近づいてきた。
「あっ、冒険者ギルドの方……ですか?」
農場の主らしき男が、おずおずと尋ねてくる。ジーナが正式な冒険者である確証が持てなかったのだろう。
「そうだ。この男に見覚えは?」
血まみれの顔に松明を近づける主人は、少し怯えているようだった。
「うーん、農場同士の会合で見た顔ですな。たしか隣街の……関係者ですね」
ジーナは静かに頷く。おおかた、この街の農場の評判を落としたかったというところか。
もうこの男の正体も、何もかもがどうでも良かった。
「クエスト完了だ。じゃあ後は頼むよ。こいつの手当てと、衛兵が来たら引き渡してくれ」
そう言い残すと、ジーナは帰路へとついた。
どっと疲れが出ていた。
飛び出してきたので、夕食も食べ損ねて腹も減っていた。
今夜は適当に何か腹に入れて寝てしまおう。
それでこの最低の誕生日も終わりだ。
街の門をくぐる時、衛兵にピギー農場に向かってくれと伝えると、ジーナは寝床のギルドに向かう。
夜も更けてきた。ハルも宿に帰っている事を願う。今夜はもう何だか合わせる顔がない気分だった。
ギルドの一階はまだ灯りがともっていた。
ナドゥあたりが酒を飲んでいるのだろうが、声をかけられても無視して真っ直ぐ二階に上がれば問題ない。
スイングドアを開くと、正面の受付にクリスが座っていた。
「おかえり。ジーナ」
「……何だ。まだ残ってたのか」
「お帰りなさい。ジーナさん」
ハルも正面階段から降りてきた。これで行手を阻まれた形となった。
二人のジーナ包囲網だった。
「お腹空いているでしょう。食堂へどうぞ」
「いや、あたしは……」
力なく拒絶するジーナに有無をいわせぬ勢いでハルが食堂へいざなった。
そこへ近づくごとに、抗いがたいほどの食欲をそそる香りが漂ってきた。
食堂には誰もおらず、唯一カウンターの奥でコックのルピタがこちらを見て微笑んでいた。
中央のテーブルには大きな布がかけらている。
「ジーナさん」「ジーナ」
ハルとクリスが声を併せて呼びかけると、布を取り払う。
そこには色とりどりのご馳走が並んでいた。
「お誕生日、おめでとうございます!」
魔人ジーナは、今自分が何をされているのか、理解が追い付いていなかった。
「これは……つまり……」
「さあ、椅子に座って。ケーキもありますよ!」
様々な感情がぐちゃぐちゃに押し寄せて、処理できないままジーナは腰かけた。
ジーナは、人に祝われるという感覚を、いつからか置き去りにしていたようだ。
ただひとつ確かな事としては、カールの忌まわしい幻の声は完全に消え失せていた。
クエスト完了
■子豚盗難事件
農場の柵が破壊され子豚が盗難されている
子豚泥棒を捕らえるか、不可能な場合は殺害せよ
報酬:5万ゴート
発注者:ピギー牧場




