35:2日目 見舞い
日が暮れようとしていた。
ジーナは精霊剣士カリームの見舞いに来た――はずだった。だが宿の前まで来たところで、すでに十分以上もぐずぐずしている。
「今日はもう遅いし」「別に今日行くって決めてたわけでもないし」
そんな言い訳がいくつも頭に浮かんでは、ぐるぐる回って消えていく。
魔物の巣だろうが、犯罪者の巣窟だろうが、なんの躊躇もなく飛び込めるくせに、見舞いの一つがなぜこんなに億劫なのか。理由は明白だ。――カリームと向き合うのが、とにかく苦手だった。
彼は万能の精霊剣士。人望も厚く、常に周囲の賞賛を浴びている。
一方の自分はといえば、場当たり的に生きて、魔人として忌避され、ただ目の前のクエストを片付けるだけの日々。別に卑屈になっているわけじゃないが、そんな彼が自分にだけ向けてくる妙な好意だけは、本気で理解に苦しんでいた。
ハル・ブラッドレイの好意のように、相棒としての信頼ならば、最近ようやく慣れてきた。けれどカリームのそれは、どう見ても“男女の好意”だった。不気味で、たちが悪い。
おまけに今日は――自分の誕生日であり、あの“婚約破棄”の記念日でもある。
よりによってこんな日に、誰かの好意を真っ正面から受け止めるような気分ではなかった。
「とはいえ、終わらすしかない」
借りを作らないのはあたしの流儀だ。ジーナはゆっくりと宿の階段を登っていった。
〜〜〜
カリームの高熱は続いていた。
肺も焼けるように熱く、今暑いのか寒いのかもわからなかった。
精霊達の声も、もうほとんど聞こえなかった。
街一番の白金級冒険者も流行病という運命の前には無力であることが思い知らされた。平均寿命三百歳とも言われるハイエルフの自分の命も、ここで尽きる可能性もないではない。
その場合の心残りは――
朦朧とする意識の中、口元に妙な感触がした。
何だ? 熱を帯びて柔らかいモノが口に押し当てられている。
「ジーナ?」
美しい銀髪。
艶やかな褐色の肌。
そして透き通った瞳。
麗しのジーナが、スプーンで私の口に粥を押し込めようとしている!
「何をして……うぐっ」
口を開いた拍子に、粥が放り込まれる。
塩味が強すぎるし、何より熱すぎる。
「もっとフーフーしてもらえるとありがたい」
「うるせぇ。飲まず食わずで倒れてると死ぬぞ」
カリームはこんな不器用な見舞いは見たことがなかった。
しかし、何もかもが彼女らしいではないか。
胸の中に暖かなものが溢れ、カリームは微笑んだ。
気分も信じられない程良くなってきた。
「返事がないから勝手に鍵開けて、勝手に炊事場も使ったぞ」
「ふふっ……さすがは鍵師ジーナだ。君ならいつでも……大歓迎さ」
「じゃあ、あたしはこれで。早く良くなるといいな」
「待ちたまえ!」
立ち上がるジーナを留めることにからくも成功した。
「……もう少しだけ、いてくれないか。お願いだ」
〜〜〜
ジーナはカリームの側の椅子に腰掛け直してしまった事に後悔しながら、所在なげに部屋を見渡した。
きちんと整頓された部屋に、自然をモチーフとした趣味の良いタペストリーや、観葉植物が飾られている。
執務机の上には、正確に記録簿が並べられ、書きかけの紙にはクエストの進行がびっしりと書き込まれていた。
ジーナが心配していたカリームからの鬱陶しい好意の押し付けのようなセリフはなかった。彼の調子が悪いせいか、気を遣ってくれているのかはわからないが、沈黙はありがたかった。
「クエストの事、聞かないのか?」
「……聞く必要はないよ。君はいつだって解決してしまうから」
いよいよもう一度立ちあがろうか、と思ったジーナは一つだけカリームならわかりそうな事を思い出した。
「カリーム。お前はあたしよりこの街が長い。ハルのじいさんの《不景気英雄隊》について教えてくれないか?」
「ふふっ。それは聞く相手が正解だ。私より彼等に詳しいものはいないだろう」
カリームは自分の知る事をすべて教えてくれた。
ジーナはその内容に驚愕した。
「助かったよ、カリーム。あたしはもう行くが、大丈夫か?」
「ああ、行きたまえ。愛しのジーナ……」
言い終わる前にジーナの姿は消えていた。
カリームは枕元に置かれた、冷めた粥を一口すすった。
ひどい味だ。しかし、これはおそらく歴史上でも貴重となるであろう「ジーナの手料理」だ。
カリームは目を閉じながら、もう一口すくうと満足気に微笑んだ。




