27:2日目 愛の神殿にて
慌ただしく街へ戻ったジーナは、門を抜けると北西を目指した。
「ナイト君、愛しのディアナちゃんは愛を探しているっていう話だったろ」
「……ええ」
また茶化されることを警戒してハルが答える。
「だったら最初に当たらなきゃいけない場所を忘れてたよ。上品なカリームが絶対思いもつかない場所だ」
街の北西部へ足を踏み入れた瞬間、路地の空気は一変した。石畳は無く苔と泥に覆われた道、通りのそこかしこに座り込む得体のしれない男たちや物乞い、そして立ち込める麻薬の甘い香り。
「ここだ」
それは古びた神殿だった。
この世界の信仰の中心は主神クラウスだが、彼が制圧し従えた小神たちの中には、今もわずかな信者に支えられている者たちがいる。
この神殿が祀る”愛の神パクマン”は典型的な落ちぶれた神のひと柱だ。
「今じゃ……まあただの娼館みたいなもんだな」
神殿の扉を開くと、そこは薄桃色のタペストリーが無数にかけられた酒場のような場所だった。
柱やタペストリーには淫猥な絵が描かれ、薄布をまとった厚化粧の男女が場違いな二人を見てくすくすと笑いあっている。
なんという穢れた場所だ……ハルは顔をしかめた。
「いらっしゃいませ。立派な騎士様、今宵の愛のお相手をお探しかしら」
声をかけてきたのは頭に羊のような角がある妖艶な女だ。
ぬらぬらと光る、目を疑うほど布の少ない衣装に身を包んでいる。
その女は可愛らしい顔をしているが、近づくだけでハルはえずくような不快さを感じた。
「オリビア。そいつは客じゃない。あたしの相棒だ」
「あらジーナじゃない。ついにあたしの”提案”に乗りに来てくれたのかしら?」
オリビアと呼ばれた双角の女がジーナにウインクで返す。
「んなわけないだろ、その話を今度したらお前の大事な神さまの顔をキレイに整形してやる」
オリビアの背後には愛の神パクマンの像がそびえたっていた。その顔はカエルにそっくりで、長い舌を垂らしていた。これに比べればギルドの太っちょナドゥですら美男に思えてくる。
「愛の神への冒涜は許さないわ。ほかに用件があるのなら早く言って」
「ああ。こっちだってこんなとこにはいたくないんでね。ここにホムンクルスの女が来ただろ。教えろ」
「ホムンクルスですって?」
「そうだ。『愛をください』って来ただろ? そしてお前は何も知らないお人形を、神の名の元に”愛のお相手”をさせているんじゃないのか」
「ちょっと、ジーナさん!」
ハルは本気で怒っていた。
「そんなわけないでしょう。人形に愛があるわけがないわ。もう帰って」
オリビアも険しい表情となり、ジーナは形勢不利となった。
「わかったよ。邪魔したな」
愛の神殿を後にして、しばらく二人は無言で歩いていた。
「あの……ジーナさんが無神経な事言いだしたのでつい口を出してしまいましたけど……」
ハルがおずおずと口を開く。
「あのオリビアという女は、何か隠しているようにも思えました」
「そうかな。ディアナの事は本当に知らないように感じたけどな」
「そもそも、あの女は何者です?」
「あいつは愛の神の司祭であり……サキュバスだ」
「えっ……魔族ってことですか」
「そうだ。一応、正式に登録された神殿の司祭だから存在を許されている。しかしあたしからすれば男女問わず簡単に手篭めにできるような危険なやつをのうのうと街に置いとくのもどうかと思うけどな」
ジーナはそこで少しだけ苦笑した。
「……まあ、同類みたいなあたしがいう事じゃないか」
ハルは門の衛兵達がジーナに向けた警戒の視線を思い返した。
「さて、あたしはこれから色々準備があるから一旦ここで解散だ。昼過ぎにギルドで落ち合おう」
「わかりました」
ハルの返事を待たずに、ジーナはすたすたと歩き出す。
そして一度だけ振り返ると、イタズラっぽく笑った。
「トラビスが困り顔でハンマーについて聞いてきたら、適当にごまかしといてくれ!」
ハルにとって、それは騎士としても人としても、なかなか難しい指示だった。しかし何か言う前にジーナの姿は小さくなってしまっていた。
ハルと別れたジーナは人目を避けるように裏通りを抜け、薬草屋の裏口から中へ入った。
表から入れば平凡な店だが、裏から入れば街でも知る人ぞ知る”何でも屋”だ。
店主はまだ若い男で、黒髪をきっちり左右に分けた髪型が几帳面な性格を感じさせた。陰のある雰囲気で、なかなかの美男子だ。
「なんだジーナか」
「グレゴリー。例のヤツを買う決心がついた。まだあるか」
グレゴリーは目を細めてニヤリと笑う。
「大物潰しのクエストか」
「トロールだ」
「20万ゴートだぞ。赤字にならないのか?」
グレゴリーがカウンターに置いた黒光りの武器をジーナは迷わずポケットに仕舞い込む。
「うまくいけば50万は稼げるさ」
その後もジーナはいくつかの瓶や袋を買い求め、ポケットに詰めこんだ。
彼女は店を出ると、迷うことなく別の路地へと向かった。
その表情は、仲間と話すときの軽さとはまるで違う。静かで、冷たくて、なにより鋭かった。
「準備は半分。あとは……」




