21:1日目 仲直り
遠くで風が木々を揺らしていた。
ハルは、重い瞼を開けた。
鈍い痛みが体中を走る。頬、腹、腕……あちこちが腫れている。
見上げた空は夕焼けから夜の色へと変わりつつあり、傍らには焚き火の小さな炎が揺れていた。
その向こうで、ジーナが座っている。膝を抱え、何かをじっと見つめていた。
「……生きてるか?」
ジーナの声は、意外なほど柔らかかった。
「……一応、はい」
ハルの顔には濡れた布が当てられており、ひやりとした感触が心地よかった。
近くにいたゴブリンが、ハルが目覚めたのを確認してジーナのいる木陰に慌てて隠れる。
「デストロが小川の水を汲んできて冷やしてくれてたぞ。礼は言っとけよ」
「……ありがとう」
素直な気持ちで礼を言ったがゴブリンは木陰から出てはこなかった。
「あいつは、突然変異なのか知らないが知能が高くてデカい。あっという間に群れの首領になってね」
ジーナは思い出し笑いをする
「あたしは昔、偵察クエストでここに来たんだ。討伐に備えてね。でもさっきの洞窟、見たろ? あれ、本当に今も巣なんだよ。気配も足跡も残さず潜んでる。恐ろしいだろ」
ハルが見張りを命じられていた洞窟はハルを欺くための囮だと思い込んでいたが、違った。
ジーナは嘘はついていなかったのだ。
「そんな普通じゃない指導力をもつゴブリンの巣に入って勝てると思うか? もし討伐隊と戦いになればどちらもタダではすまなかっただろうね。でもデストロは話がわかるどころか、街との共生すら考えている首領だった。だからあたしはデストロと約束を交わした。ゴブリンは街の人間は襲わない。あたしはできる限り街の注意がこいつらにいかないようにする。万が一討伐クエストが発生しても私が受けちまってうやむやにすればいい」
たしかに恐るべきゴブリンだ。無理に巣に踏み込めば軍でも返り討ちになるかもしれない。その上彼らは人間を襲っていない、無害な連中なのだ。……今のところは。
「でもキミのいうこともまた正しい。デストロが寝首をかかれたら次の首領は普通の邪悪なやつかもしれないしな」
ジーナは深いため息をついて続けた。
「普通の人間ならこんな選択はしないよな。やっぱりキミが言うようにあたしは……」
ハルはふらつきながら立ち上がると、頭を地面に打ちつける勢いでひれ伏した。
「ごめんなさい、ジーナさん。私はあなたに酷いことを言ってしまいました」
「誰よりも街を守ることを考えているジーナさんに……私は最低でした。未熟者です」
ジーナはハルの肩にそっと手を置いた。
「未熟なのはお互い様さ」
「それにしても夕陽の中で殴り合いとかガキしかやらないぞ、普通」
「……いいえ、子供でも普通は男女で殴り合いなんかしませんよ」
ジーナがそりゃそうだ、と噴き出すとハルも笑った。
デストロは二人が仲直りをしたのを見届けるとそっと巣に戻っていった。
それからしばらく丘の上で二人は横に並んで倒木に座り、夕闇が迫る森の景色を眺めながら身体を休めていた。
「それにしてもさっきのパンチ、凄かったですよ」
ハルがあざだらけの笑顔で伝える
「馬鹿いうな。相手があたしを捨てた婚約者野郎だったらこんなもんじゃないよ」
「しゃれになってないですよ、ジーナさん」
「……ずっと気になってたけどさ、ジーナでいいよ。呼び方」
「冒険者の先輩ですから、ジーナさんはジーナさんです」
「いや、ここは素直に変えるとこだろ」
「じゃあジーナさんこそ、私をナイト君って呼ぶのやめてハルって呼んでください」
「……考えとく」
「ほら、変える気ないじゃないですか」
「待て、おいあれ」
ジーナが指す先には、森の中から狼煙が上がっていた。
黄色い煙はギルドの冒険者である事を表していた。
「行こう、ナイト君」
「はい、ジーナさん」