2:プロローグ(時が過ぎて現在)
その女は魔との混血――“魔人”だった。
名は、冒険者ジーナ。
かつて初恋の婚約者と無邪気に笑い合っていた少女は美しく成長し――
今や、他人の家に勝手に上がり込み、長い脚を無造作に机の上へと投げ出し、ポケットに手を突っ込んでふんぞり返っている。
今やジーナの姿は、“魔”との融合の影響により変貌を遂げていた。
黒かった髪は煌びやかな銀髪となり、青白かった肌は艶やかな褐色の肌となっていた。
長い髪を無造作に後ろで束ね、引き締まった身体を包む特殊繊維の服は、その豊かな曲線と鍛え上げた輪郭を隠しきれていない。
本人にその気はなくとも、その身体はひと目で視線を奪う存在感を放っていた。
だが美しい顔立ちには不釣り合いなほど、その目つきは警戒心に満ちた獣のようだった。
人を信じることを、どこか遠くに置き忘れてしまったように。
さらに特徴的なのは、羽織る外套だった。無数のポケットがついたそれは、まるでうらぶれた路地に重ね貼られたポスターのように無秩序な配置をしている。この外套が彼女を不気味な存在に見せていた。
ジーナは右手をそのポケットの一つに入れたまま、左手で別のポケットから大判の硬貨のようなものを取り出した。
――いや、それは硬貨ではない。
薄く切った芋を揚げた菓子、チップスだ。
彼女は闖入した民家の部屋の中で、無遠慮に軽快な咀嚼音を響かせた。
「な……何だ、あんた! 人の家で勝手に!」
ここは王都から遠く離れた地方都市ソシガーナ。
街に最近引っ越してきたこの家の主である中年男が、恐怖を滲ませながらも声を絞り出した。
だが、ジーナはどこ吹く風で、二枚目のチップスに手を伸ばす。
「鍵はかけていた。どうやって家に入った?」
「どうやってって、あたしは鍵師だ。開けられない扉なんて無いけど」
「その髪の色……魔族との混血だな。気味が悪い。何者だ?」
「あたしはこの街を守る冒険者だ。ネタは上がってる。大人しくしとけ」
「俺が何をしたっていうんだ」
「ふん。あたしの推理によれば、お前は十七歳の少女マイラをたぶらかし三十万ゴートを騙し取り、あろうことか侮辱して自殺に追い込んだ」
「た……確かに金は借りてたさ。この街に引っ越してきたばかりで必要だったから……。でも返すつもりだったし、死んだのは、お、俺のせいじゃないっ!」
ジーナは机の上の銀の酒杯を取り上げた。
「他の女を連れ込んで、こんな洒落た杯で乾杯か? いい暮らししてるじゃない」
続いて、机に敷かれた布を摘み上げる。
「これ、テーブルクロスっていうんだっけか? こんな上品なもんを使ってる奴は、この街じゃうちのギルマスくらいだぞ」
「汚い手で触るな!」
「マイラはお前のことを愛していた‥‥かわいそうにこれまで色恋に縁のなかった小娘がお前をクズと見抜けず信じちまった。そんなお前に醜いだの近寄るなだの言われりゃ死ぬ理由としちゃ十分だろ」
「そ、それが罪になるのかっ……?」
男の動揺がはっきりと見て取れた。先ほどまでの余裕は影も形もない。
「とにかく、殺したのはお前なんだよ」
ジーナは確信に満ちた口調で断言しながら、酒杯を眺め続ける。
「あんなうるさい女、殺したからって何が悪いんだよっ!」
男は突然、手練れの動きを見せた。長い袖から鋭い短剣が飛び出し、電光石火でジーナに襲いかかる。
しかし、それを上回る速さで、ジーナはポケットから右手を引き抜いていた。
黒いムチが、男の短剣を弾き飛ばす。
「っ……!」
男は痛みにうずくまる。ジーナはゆっくりと立ち上がり、違うポケットからロープを取り出す。
「言っただろ、あたしはこの街を守る冒険者だ」
手際よく、男の両腕を縛り上げる。
「かわいそうなマイラだって、この街の一部だ。それに手を出した時点で、お前は詰んでたんだよ」
両手を縛られてもなお、男の罵詈雑言だけは止まらなかった。
「この化物との混血のクズめ!なぜ街をうろついている! 呪われるがいい!」
「はいはい、こちとらとっくに呪われてるよ」
「筋肉しか能のない下品な女! 男に愛されたこともないだろ! 負け犬!」
「ふふっ、そいつも当たりだ。やるじゃないか」
「クズが! こんな街、来るんじゃなかった! クズのためのクズ街! 冒険者もクズなら、住んでる奴らもメシも三流……」
その悪態は最後まで続かなかった。
ジーナの右足がムチのように振り上げられ、大木を斬る木こりの斧よりも速いスイングで、鉄製のブーツの踵が男の顔面にめり込んだ。
「が……っ」
顎が外れ、切れた口内から血が噴き出す。
「あたしの前で、街の悪口は余計だったな」
ジーナは、男のテーブルクロスで靴についた血を拭った。
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ほどなくして、街の衛兵たちがやってきて殺人犯の男を連行していった。
「ふん。魔人冒険者、お手柄だったじゃないか」
衛兵隊長はねぎらうが、その目は笑っていない。
「お前ら衛兵が働かねえから、あたし達はクエスト解決の専門家になっちまったのさ。推理も冴えるってもんだ」
「まあ、その推理とやらが外れてたら、不法侵入罪で牢屋行きだったのはお前だったかもな。せいぜい気をつけな」
ジーナの無策ゆえの強引な推理は、偶然にも核心を突いていた。自殺に見せかけた殺人―彼女は真相など知らず、ただ男を脅して罪をひねり出すつもりで家に侵入していたのだ。
そんな事実は、衛兵どもに教えてやる義理はない。
「あー腹減った」
ジーナは三枚目のチップスを口に放り込み、殺人者の家を後にした。
次のクエストに取りかかるため。
愛する街を駆けずり回るため。
ここまでプロローグで次回から本編です