10/VSゴブリン帝
ダンジョンボス。3メートルはあるゴブリン帝がうっすらと振るえている。
先程までいた部屋より一回り大きいコロシアムのような空間の中央で震えながらも刀を低く構えた。
距離は十分にはなれている。いきなり食らう事はないだろう。
「ゴブリン帝が震えてるわね。イレギュラーがよっぽど怖かったのかしら」
「ああ、チャンスだし殴ろう」
2人は構えていた。しかし、ゴブリン帝の刀はいつの間にか振り抜かれていた。
神速の斬撃は空振りだった。一目でアルクは直撃したら一撃で死ぬと悟る。恐ろしい事に空を切るその切っ先の方角が正確にサシャの首を向いていた。
魔力は感じない。でも気づけばアルクの体は動いていた。
「……サシャ!」
「……グッ!?」
アルクは直感に従いサシャの腹を扉側に向けて蹴りつける。
すると同時に飛んで来た空気の斬撃がサシャの首にあたった。
バギッ!
その音は、首の切れた音でも、蹴りで骨を折った音でもなかい。
サシャが吹き飛ぶと、金属音と共に首輪がひしゃげて落ちる。
奇跡的に血も流れておらず、サシャは軽く咳き込んだ。
「っホ、げほ、こほ」
アルクはゴブリン帝を見るも動きは無い。ちらりとサシャの様子を見て、僅かに驚いた。
サシャは軽症で直ぐにでも動けそうだ。しかし首は言うまでもなく急所。気づかない内に攻撃されて良いわけが無い。
反応が追い付かなかったサシャを前線には立たせれない。
「サシャは下がれ」
「……まだ動けるわ」
アルクは前方を警戒する。ゴブリン帝は先程とは違う中段の構えに移っていた。連続して飛ぶ斬撃は放てないらしい。
サシャを今の一撃で倒したと考えたか、アルクのみを警戒しているようで、にらみ合いが続く。
サシャへの警戒の薄さから、ゴブリン脳ならサシャは既に死んだと考えていてもおかしくはない。
「しばらくは死んだふりをしておけ。ゴブリン帝の意識が完全にそれてから動くように。攻撃は……死ぬ気で避けろ。死ぬなよ」
「……!?」
言葉は無いがアルクには「無茶苦茶言わないで!?」とサシャの内心が実際に聞こえた気がした。
ゴブリン帝は今にも次の動きを見せようとしており、アルクは前へ進みながら告げる。
「1人で勝てるとは思ってない。援護頼んだ」
「……ええ、そっちこそ」
走り出したアルクにはサシャの声は届かない。けれども何を言ってるかは分かった。
全速力でアルクがどんどん距離を縮めて、ゴブリン帝の持つ刀の射程距離に足を踏み入れると、ゴブリン帝は大きく叫び、刀を振るう。
「グヴヴァァァァァ!!」
アルクは大きく右に跳ぶが、ゴブリン帝の攻撃を避けるには足りない。体が僅かにアルクへと動くと、刀はアルクの首へと正確に届けられた。
「≪超回復≫」
神速の一撃はアルクには視認出来ない。アルクの首は綺麗に切断される。
しかし、頭は地に落ちずアルクは生きていた。
「≪超回復≫! インファイトに付き合ってくれよなゴブリン帝!!」
「グヴァァァ!!」
ゴブリン帝の切れ味の良すぎた一刀を受けて、アルクは斬られた後から回復をかけて首の接合を間に合わせていた。
魔族は簡単に死なない。タイミングさえ合えば回復出来る筈、視認できない以上食らうと考えたアルクは自身の超回復に賭けた。
賭けには勝った。ゴブリン帝がゴブリンである以上、ゴブリン脳だ。ゴブリン帝が切り札を持たない限りは、お互いに同じ行動を繰り返す長期戦に持ち込める筈。
「頼んだぞ、サシャ……!」
回復のタイミングをミスすると死ぬ中、それでもアルクは万が一の勝ちを目指した攻勢には出ない。
長期戦を狙う訳はサシャにあった。
アルクは首輪の外れたサシャを一瞬だけ見て、僅かに驚いた。その身から溢れる桁外れの魔力量に。
ゴブリン帝は気づいていない。サシャの一発が勝敗を決する事を。
☆
サシャはアルクを見送ると自分の体の変化を感じ、懐かしんだ。
落ちた首輪を見る。それはサシャをさらった奴隷商人から付けられた枷。
首輪が外れて魔力が一気に元に戻る中、サシャの頭の中に当時の記憶がよぎった。
『え、困った奴隷ですか? 見せなさいな。んんー? 何ですかこの子? レベル低いクセに魔力量が馬鹿みたいに多いですねぇ。うっかりレベルアップした拍子に魔法を覚えたらこっちが怪我をしかねませんし。抑えられるだけの魔術を付与した首輪を付けてやる程の商品価値は無い』
サシャに向けられる冷たい目。人間ではなく物を見る目。
『魔法使いの運用は諦めて、魔力量が100分の1になる首輪でも付けておいて下さい』
引き出しから雑に取り出される首輪が7ヶ月も付ける事になるなんて思いもしなかった。
『ああ、確か最近豚の獣人がよく奴隷を買っていくと言っていましたね。近々人間領を出ますし、適当言って買わせなさいな』
結果一応人間な豚貴族に買われた。今思い出しても腹の経つ連中。
サシャはハッとして自分の体に意識を戻す。
ぐるぐると体で魔力を循環させ、息を吐く。体が完全に魔力に馴染むまでもう少し時間が必要そうだ。
視線を前に移すとアルクが戦っている。
相変わらず無茶苦茶な戦い方で、飛ぶ刃をアッパーで逸らしていたり、どういう手品か首を刀がすり抜けている。進展のない繰り返しの戦闘は、何かのきっかけを待っているような戦い方で、きっとそれはサシャを待っていると確信出来た。
体内でぐるぐると魔力を循環させる。魔力はまだ操りきれない。
暫くアルクの殴りと回復魔法でようやっと均衡が保たれてる常態が5分。
サシャの正面にいた筈のゴブリン帝は少し右を向いていた。
アルクが誘導しているのだ。飛ぶ斬撃がサシャ向かわぬようにではないだろう。それは死ぬ気で避けろと言っていた。
目的はゴブリン帝の死角から最大魔力を込めた≪サンダー≫を当てる事だ。
ゴブリン帝の意識はアルクにだけ向いている様子で、サシャが後ろに少しずつ回り込むように左側へ移動してもばれなかった。時間はかかったが位置取りはゴブリン帝の真裏。
魔法を覚え魔力の効率的な動かし方が分かったサシャの体
は、今までに無い絶好調だった。
☆
アルクの残り魔力は1割を切った。
ゴブリン帝はうっすら浮くし、斬撃は飛ばすし、今アルクが戦えているのはゴブリン特有の知能の低さからだ。
最初にアルクが首を切られてから10分。
ゴブリン帝は目の前の人間を刻む為の激闘で、初撃で吹っ飛ばしたサシャの事を一切気にする素振りはなかった。
既にアルク、ゴブリン帝、サシャの順で直線上に並んでいるが、まだサシャもアルクも動こうとはしていない。
そんな中、アルクのパターン染みた行動に合わせてもう何度目かになるゴブリン帝の中段の構え。
2人はこれを待っていた。
このパターンで出される中段の技はカウンター。近づかなければ3秒間ゴブリン帝は動かない。
アルクはゴブリン帝越しにサシャが魔力を掌に集めだしたのを確認して、右拳にありったけの魔力を唱える。
「≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫!!」
サシャは構える。最高の位置取り、最高のコンディション、落ち着いて3秒心の中で数える。
後2秒。
「≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫!!」
後1秒。
「≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫≪超回復≫!!」
アルクはゴブリン帝へ一直線に駆け出した。
0秒。
「≪サンダー≫」
合わせた手の平から一直線に漏れでた眩い貫光はゴブリン帝の一振よりも早い。
ゴブリン帝の顔目掛けて飛んだ雷を、直感だけでゴブリン帝は首を傾けて回避した。
──カクン。
だが、急に雷は顔の真横で90度角度を変えてゴブリン帝の眼球へと直撃する。
「グヴァァァッ!!」
眼は蒸発し、顔の表面が抉られたように焼け焦げる。
だがゴブリン帝のもう1つの目には諦めは無い。目一杯の怒りと殺意だけだ。
しかし、中段に構えたままゴブリン帝は動かない。いや、動けない。
枷の外れたサシャによる全力で打った≪サンダー≫の追加効果は、指1つ動かす事も叶わない痺れ。
アルクが中段に構えられた刀を踏みつけてゴブリン帝の眼前に跳躍する。
「≪超回復≫!」
握られた右拳には余剰な超回復のエネルギーが宿る。
赤く光っていた拳は気づけば白に変わっていた。
「≪超回復≫ッ!!」
白光する拳が生み出す爆発的なエネルギーの奔流はゴブリン帝に風穴を開けた。
☆
「つ、かれ、たー」
「お疲れさま。毎回体がえらいことになるわねぇ」
サシャの声で右腕があった場所を見る。最後の一撃でアルクの右腕は消失していた。
この腕は、魔力が顔への超回復で丁度底をついたから治せなくなったのだ。明日魔力が回復すればちゃんと生えてくる。
「回復できるから無茶がきくんだよなー。ヴァヴァヴァヴァ。ああ、久しぶりにレベル上がった」
「ビビビビッて感じよね~」
ダンジョンを攻略した高揚感と地上に帰れる安心感で2人はとことん気が抜けていた。
ぐだぐだ喋っていると部屋の中央に魔方陣が現れる。乗れば地上へと転移出来る陣だ。
「ふふふ、喋ってないで帰れってことかしらね?」
「まぁ、扉の向こうに“イレギュラー”居るしなぁ」
“イレギュラー”はダンジョンのルールを無視する物。セーフティに侵入出来る存在がダンジョンボスの部屋だから入れないってことは無いだろう。
もし入れるとすれば、漁夫の利を狙っているのか、重厚な扉が開けられないのか。
「笑えないわね、チャキチャキ出ましょう!」
「いや動けん。…………いででででで! ……うっ!」
サシャがアルクを引きずって、転移陣の中央に立つと魔力が2人の体を包んだ。
アルクの意識は落ちた。