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むすひなんて、家には要らない。

作者: 文殊

古事記における「神産み」。

また某有名作の登場人物をにおわせる描写があります。

一切、何事とも関係ありませんので、ご容赦ください。

「こうして、イザナミがカグツチを産んで亡くなったことを怒ったイザナギは、カグツチを殺すんだな」

国語の授業というのは、つまらなくない。

だけれど、今の私はどこから見たって上の空にしか見えないだろう。

國美は、プリント上の文字をぼんやりと眺めて思った。

『子供を殺したって、奥さんが生き返るわけじゃないのに……』

回したシャーペンの芯が左手の指をかすったせいで、少し痛む。

國美の弟をこの世に産んで、母は亡くなった。

それと似たような話は、いろんなところに存在するのだ。

イザナギとイザナミという神の話を、一度くらい聞いたことがあるんじゃなかろうか。

大切な妻が、産んだ子のせいで死ぬ。

先生ははっきりと言わなかったけれど、カグツチは火の神だ。

産んだ時に陰部に火傷を負ったせいでイザナミは死ぬ。

そう言って、今の年代の学生が全員本気に聞く訳もないだろうし、と思って詳しくは言わなかったのかもしれない。

結局、怒ったイザナギは世に生を受けた子供を、殺してしまうのだ。

「殺された子供カグツチからは、多くの神が誕生した」

そういう行為を「むすひ」と言うのだ、と先生が口にすると同時に授業を終わらせる鐘が鳴る。

イザナギは、むすひを考えてまで子供を殺したのだろうか。

どうだっていいことだけれど、気分は重くなる。

ヒルコ、淡島、大八島……さまざまな神。

國美と弟。


母が亡くなって、國美の弟に名前を一人でつけただろう父。

名前はよほどのことがない限り、その人間が永遠に所有するものだ。

弟は、輝彦という名前がつけられた。

『かがやく、男……』

國美の勝手な深読みだけれど、嫌な感じがしてならない。

「輝く」というのは、かぐや姫なんかにもでてくるけれど「かぐ」というのに通じている。

そして、「輝彦」と重ねるあたりが本当に嫌だった。

どうしたって、恨んでわざわざ探してつけたようにしか思えない。

このことを思うたびに、國美は憂鬱な気持ちにならざるをえなかった。

誰にも言わない。

『だって、深読みのしすぎとしか思われないだろうし』

考えすぎじゃない、と言われるのはまっぴらごめんだった。

でも、友達の弟が似たようなことを言っていたのには、驚いた。


いや別に、友達の弟はカグツチになぞって名付けられた訳でもない。

そもそも、姉弟の母親は健在している。

名前は伏せるけれど、大体の人がわかるんではないだろうか。

読み方こそ違うけれど、漢字で書くと有名な漫画の主人公の弟になる。

勉強ができ、運動ができ、人当たりがよく、優しい性格。

しかし、交通事故によって死んでしまう。

その漫画を読んだときに、彼はそっと姉に聞いたそうだ。


『俺にさ、交通事故にあってこい。って言ってるのかな』


「馬鹿ばかしい、とか言ってやりたかったけど」

心配性で傷つきやすいから、そんなことないよ、ってしか言えなかった。

話を聞くだけでほとんど顔をあわせたことはないけれど、その彼は勉強も運動もできる。

人当たりはきついけれど、本当は怖がりなだけなんだよ、と笑う彼女の顔は嘘をついていないように國美には見えた。

「……不安に、なっちゃうのかもね」

あまりにも、似ているから。

本人に自覚はないだろうけれど。

自分と同じ名前の人は、たとえフィクションでもこの世のものじゃなくなると、ぞっとする。

二人の両親は、人間的に素晴らしい少年のようになってほしい。

その一心で付けた名前。

子供と言うのは、時にそれを曲解したり、深読みしてしまったりして疑心暗鬼になることもある。

というのは、國美だけの意見かもしれないが。


輝彦は、姉の贔屓目で見たって本当によくできた弟だと思う。

勉強や運動ができるがイコールで良い人間ということでは、ないけれど。

そうなるための努力を惜しまず、決して自分の力をひけらかさない。

言いすぎかな、と思うくらいだが、余計なことばかり考えてる自分とは違う、と國美は思っていた。

玄関の扉が開いて、靴を脱ぐ音と一緒に外の空気のにおいがした。

「ただいま」

「おかえり、今日早かったね」

部活は、と聞くより先に、答えが返ってくる。

「部活が自主連だったから。こういう時くらい、手伝いでもしようかなって思って」

「そっか」

國美が家事をするのは、祖母が亡くなる前から当然のことだったし、別段気にしていない。

それを輝彦が手伝うのも、ごく自然にされてきたこと。

そして、父がいつも遅くまで仕事をして帰るのが遅いこと。

ある程度の時間からは部屋で勉強する輝彦と、顔を合わせないこと。

『全部、いつものこと……』

國美は思いながら、不意に心が重くなったような気がした。

早く帰ってこい、なんて思えない。

血は見ないだろうけれど、それでも輝彦が辛い思いをするのは嫌だった。

父よりも弟である輝彦をかばってしまう自分に、ため息をつく。

扉の開く音に、肩が上がった。

どうして、今の時間に。

そう思う心はあせりで物事が考えられなくて、心臓は痛いくらい早く鼓動を打つ。

「ただいま」

「おかえりなさい……」

やっとのことで絞り出した声は、震えてないだろうか。

血の繋がっている父親を、まるで恐ろしい人間のようにとらえる自分は最低だ。

頭の中で、國美は『そういえば、輝彦は……!』と思った。


「おかえり」

「あぁ、ただいま」

普通に言葉を交わす二人に、國美は目を疑った。

それどころか、会話は続く。

「誕生日、どこか食いに行くか?」

「あー……。久しぶりに焼き肉でも行きたいかな」

誕生日。

誕生日を、覚えている。

高校生にもなった息子の、生まれた日を。

仕事ばっかりにかまけてるような、父が覚えている。

覚えているんだろうが、思い出したんだろうが、この際はどうだっていい。

とにかく、國美はその一瞬に父の愛を見たような気がした。

『馬鹿、あたし』

國美は自分を、頭にある精一杯の言葉で罵倒した。

誕生日を覚えている父親が、お祝いの食事をしようと言う。

國美にだって言うし、輝彦にだって言う。

口にしなくても、そういえば毎年最低二回はどんなに仕事が忙しそうでも外食に連れて行かれたじゃないか。

これのどこが、イザナギとカグツチのような関係だって言うんだか。

『そうだよ、そうだ』

父と母が二人で決めて産んだ子を、どうして殺すほど憎んだりするだろうか。

いや、國美の頭の中ではそういうふうになってしまっていたけど。

この二人は、違ったんだ。

頭の中で色んなものが複雑に絡んで、離れて、國美は泣きそうな顔をした。

気付かれないように、冷蔵庫を開けて何かをさがすふりをして。

「たまには、いいよね!」

「國美も、焼き肉でいいの?」

もちろんと言うより早く、涙がこぼれる。

卵を握る手がかすかに震えた。

國美は冷蔵庫の方を向いてて二人が見えないのに、微笑んだ。

「良いに決まってるでしょ、アンタの誕生日なんだから!」

やった、と嬉しそうに言う輝彦の声の後ろで、父の笑い声がした。

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