会社、という怪物
アラフォー女性社員、事務。理不尽な社会の間で、雑草のように強く生きる。
物語の後は、ハッピーエンドになることを願って。最後までお読みいただけましたら幸いです。
「Fire達成!今日、辞表出してきました」
「1億円作ったので、会社辞めます」
「プチFireして、好きな仕事をしてハッピーライフ」
Xの投稿を流し読みしていると、こんな投稿ばかり目に入る。
若くしてこんなにお金を持っている人もいるんだ。正直言って、羨ましい。
この世の中は、お金さえあれば、9割の問題は解決できると本当に思う。
私は、アラフォー。そして、社畜。
時々思い出すのは、ある時知り合いのフランス人から、投げられたこんな言葉だ。
”Il faut pas travailler comme des bêtes”
(家畜のように働くな)
本当にそうだ。いや、違う。私は家畜以下だ。こんな言い方をすると、家畜たちにさえ、悪い気がする。
働き過ぎないでゆっくりしてねという優しい意味だよ、と知り合いは親切に説明してくれた。
でも、なぜか今の私には、家畜みたいに働いて馬鹿じゃないの、と蔑まれている気がしてならない。
「残業代は払わない」
社長に呼び出され、はっきりと言われた。
私の給与には、固定残業代として数万がつけられていた。
固定残業代から明らかにオーバーしている残業代の支払いを要求したのは数日前だった。
目の前の、エルメスのバッグとベンツのキーをもった社長は、堂々とそういった。
「払わない」
ある日、一人で訪れたお寺に、地獄絵図が飾ってあった。
細やかに描かれたその絵には、熱湯の大釜に投げ込まれもがき苦しむ人や、逆さまに吊らされ股を裂かれている人、さまざまな責め苦を受けている人々の苦悶の表情が、妙に生々しく描かれていた。
今の状況は、この地獄絵図のどこに描かれているのか、なんという名前の責め苦なのか。
思わず記憶の中で、地獄絵図の隅から隅を丁寧にたどった。
社長室から出て、歩き出した途端に、涙が頬を伝う。
私の傷ついた心を癒すかのように、いつまでも流れ続ける。
そう、歴史が証明しているではないか。
力を持つ者が、事実を自分の都合の良いように嘘で上書きし、真実にできるということを。
広い世界の中の、小さな日本の、そのまた小さな中小企業の、その一社員の、どうでもいい給与なんて、なかったものにできるのだ。誰が気にするものか。
私が入社したのは、何年前だったろう。もうかれこれ、ベテランの域に入っている。
そういえば、離婚してから、小さな子どもを抱えて仕事を探し、子どもが小さいからと面接で断られ続けた後、やっと雇ってくれた歯科医院でパートをしたことがあった。昭和初期から創業しているような古臭い服屋の隣にある、3階建てビルの最上階にあった。2ヶ月で、院長からのいじめに耐えきれず、自主退職した。
自宅から徒歩10分にあるスーパー銭湯に言って、頭につけれるだけのシャンプーをつけ、それを洗い流しながら、泣いた。泡が切れて、洗う必要がなくなっても、髪の毛を流し続けて、泣いた。
1ヶ月後、なんとか気をとりなおし、ハローワークで探し当てたのが、今のこの会社だ。
2年間はパート採用だったが、前の事務担当が辞めたので、真面目だけが取り柄な私が正社員に引き抜かれた。
それから、もうこんな年月が経ったのだ。
当初180名だった従業員数が、今では500名ほどになっている。
その事務を、変わらず私が一人で担っている。
朝8時出社、夜11時30分退勤。
「普通、最低でも従業員100人に対して一人の割合で事務員がいるよ。それ、やばいよ」
まともな企業に勤めている知り合いから言われた。
胃にポリープが5つできたのと、左薬指の関節が腫れたのと、左腕が腱鞘炎になったのと、毎週末寝込んでしまうほどに疲弊した体が、私へのボーナスらしい。
「早く帰ってね」と思いやりらしい言葉を放って、部長は17時に帰宅する。
私は、そこから起床したかのように、たった一人でひたすらに仕事をするのだ。
月の残業は、80から100時間。それが2年続いている。
帰宅しても、持ち帰りがある。それでも終わらない。
せめてその、タイムカードを切った時間だけでいいから、残業代を払って欲しいとお願いをしたのだ。
「払わない」
頭の中で、まるで大晦日の鐘の音のように、繰り返し繰り返し鳴り響く。
会社というものは、恐ろしい怪物だ。
人の時間と、体力と、幸福と、稼いだはずのお金さえも吸い取る。
気の弱いものや、頭の弱いものは、食い物にされる。
怪物のお腹の中には、何人の食べられた社員の死体があるのだろうか。
その年の忘年会は、豪華なホテルで行われた。
20人程度の正社員が集まって、上座には、社長と部長が仲良く並んで座っている。
まるでひな壇の御代理様とお雛様のような並び方だ。
「ぶっきらぼうなxxさんは、どっか〜んって爆発するんだよね」
どっかーんのところで、社長と部長は、振り付け師に振り付けられたように、揃って手を上に振り上げた。皆の前で。
この怪物の胃袋から、どうしても抜け出したい。
煮えたぎる感情と共に、私は進む。
あれから数年経ち、社長は傘寿目前、部長は定年間近。
以前は誰も入ることができないほどの蜜月だったこの両者に、今はヒビが入っている。
数百万円をあっけなく握り潰された私の、冷たく凍った心が、キラキラ光り輝いている。
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