テンジン様
これは、つい最近体験した話です。誰かに聞いてもらいたかったので、ここに書きこませてもらいます。
少し話が長いのと、言葉がおかしい所もあるかもしれませんが、そこはご容赦ください。
子供の頃、よく祖母に手を引かれ、家の近くにある神社へと参拝に連れて行かれた。
天神様が祀られていると、祖母は言っていたけど、その神社の周りは雑草に覆われ、掃除もされず風雨にさらされ続け汚れて黒ずんだ外観。賽銭箱や当時はガラガラと呼んでいた本坪鈴も無い。
今思えばあそこは廃神社ではないのかと言えるくらいボロボロだった記憶がある。
まぁ、小学生だった俺は、『祖母に連れていかれた神社』という認識だけでそこまで深く考えたり、興味を持つこともなく祖母の真似をして参拝するだけだった。
毎回のように、参拝をする前に祖母は言う。
「俺君(名前は控えさせてくれ。)。ここを参る際は、絶対に天神様にお祈りをしちゃいけないよ。語りかけてもいけない。ただ目を閉じて無心で手を合わせるだけにしなさい。」
毎回のように、参拝を終えると祖母は言う。
「俺君。ここは、天神様のお立ち寄り所で本殿ではないの。本殿はもっと奥にあるけど、人はそこに足を踏みこんではダメ。それは失礼になるからね。」
「俺君。行きは真ん中を通っても構わないけど、帰りは細い道だとしてもなるべく端を歩きなさい。首を垂れるように下を向きなさい。行きは天神様が上座に座る向きだから、そこに向かっている形だから真ん中でも構わない。けど、参拝を終えて帰る時、もし天神様が、神様の通る真ん中の道を登ってきていたとしたら、人がそこに真ん中を通って歩くと上座と下座の位置が変わる。それは大変失礼なこと。だから絶対に端により首を垂れなさい。」
「俺君。帰る時は、神社を出るまで絶対に振り向いてはいけないよ。誰かに呼ばれても、音が聞こえても、決して後ろを見てはいけない。その行為は、天神様をこの目で見てやろうとする傲慢な行為と変わらない。それは烏滸がましい行為なの。神様の姿をみれば貴方の目を潰されたとしてもそれは仕方のない事だからね。」
祖母は神社の階段を一歩、一歩と踏みしめながら淡々と説明するのである。
うちの家は、両親は共働き。祖父は畑仕事で朝からいない。
住んでる場所はド田舎なので、子供が少ない。学校は、親が仕事に行く途中に車で送ってもらわないといけない程離れてるいる場所にあり、そのせいで同年代で遊べる友達が近くにいない。
なので、日曜日や夏休みなどの大型連休などは、暇を持て余している子供の俺の面倒を、ニコニコしながら見てくれる優しい祖母。そんな祖母のことが大好きな俺は、神社で語る教えを、忘れないように破らないように言う事を聞いていた。
神社から出た後は、祖母と手を繋ぎ、家へとかえる。
その道中、祖母は毎回のように『通りゃんせ』の歌を歌ってくれた。
俺が歩き疲れた時は、おぶって子守唄を聴かせるように…。
俺が元気に歩いてる時は、俺の手の振りに合わせて散歩歌を聴かせるように…。
ーーーー
あれから年月が断ち、自分は田舎から都会へと移り住み社会人となった。
祖母は病気で他界。祖父は元気だが足腰も弱ってきて畑仕事は引退。母親は、祖父をみるため仕事をやめて家のことをしている。父はまだ現役ながらも、今の仕事をやめて、そろそろ畑仕事をして暮らしたいと話してることがあると母が言っていた。
そして、今日。大好きだった祖母の法事の為に、田舎の実家へと帰ってきた。
今回の法事は何回忌だったか…初七日や三回忌とは違い少ない身内だけで簡単に行う。お坊さんが来るのは午前中。お経を唱え、帰られるまでの時間は、お昼前に終了する。
俺は、お昼を食べ終えると、ただ呆然と時間が過ぎるのを待つだけとなった。時代は進んでも、ここがド田舎なのは変わらないようだ。どうにもすることがみつからない。
暇という事もあって俺は、当時を懐かしみたいと思い、「少し散歩してくる」と両親に伝え、家を出ることにした。
ーーー
昔よく遊んだ懐かしの場所、田舎なのもあってか年月が経ったとしてもその場所は何処も変わることはなかった。
いくつかを周って、飽きてきたのもありそろそろ家に帰ろうと踵を返す。…が最後に祖母と通った神社には参ろうかと寄ることにした。
ーーー
鳥居の前までくると階段を見上げる…。
思ったよりも急な石の階段。子供の頃はこれを登ってたのかと、一段一段歩を進める。
当時の俺は、行きは真ん中を通っていたが、思い出せば祖母は行きも帰りも端を通っていた記憶がある。
それを倣って端側を、ふぅふぅと息を上げ、汗をかきながら登っていく。
社会人になって体力が落ちたかと、流れる汗を拭いながら到着すると息を整え、社の前に立つ。
目を閉じて、手を合わせる。
『何も願ってはいけない。語りかけてもいけないよ。』
あの頃の祖母の言葉が頭をよぎっていく。
法事の後もあってか懐かしさが込み上げる。
大人になって考えてみると、これはただ近くを通ったから寄りましたと軽い会釈をしてるようなものかと思った。
……。
目を開け、さて帰るかと踵を返そうした時、ふと社の隣に小さな鳥居がある事に気づいた。
この社とは違い、随分と綺麗で真っ赤な鳥居だ。
子供の頃、何度もきた神社だが、初めてみる。
俺が田舎を出た後に建てられたのだろうか?
近くによって鳥居の先をみると綺麗な石畳で舗装され、奥に行けるようになっていた。
「……。」
今思えば、なぜあの時、鳥居を潜ったのか分からない。その時、その先に興味が湧いたとかではなく。なぜか自然と、そこを通らなければいけないという思いに駆られ足を踏み入れた気がする。
ーーーー通りゃんせ、通りゃんせ。
ただ細く長い一本道、キョロキョロと辺りを見回すわけでもなく、ゆっくりと真っ直ぐに歩を進める。
ただ無心で…。
ーーーーここは、どこの細道じゃ。
頭の中で歌が聞こえている…。
ーーーー天神様の細道じゃ。
歩いた先に、真紅の大きく綺麗な社が、少しずつ姿を表してきた。
ーーーーちっと通して、下さしゃんせ。
もう少しでそこにたどり着…。
『人はそこに足を踏み込んではダメ。』
歌と別に、祖母の思い出が脳裏をよぎった。
ハッ!と我に返った俺は、もしかすると目の前に見えているあの社は、本殿ではないのかと気づき、立ち寄ってはまずいと慌てて踵を返した。
ーーーー御用のないもの、通しゃせぬ。
『道の端により、首を垂れなさい。』
道幅は、人1人が通れる広さ。それでもなるべく端に寄ろうと、手入れもされていない腰の高さまで生える雑草の中へと足を踏み込み、首を垂れた。走らないように、なるべく普段の歩く速度を意識しながら、先ほど潜った真っ赤な鳥居へと向かう。
ーーーーこの子の七つのお祝いに。
ガッ!と、突然足に何かが絡みつき、危うく転びそうになった。
ーーーーお札を納めに、まいります。
草につまずいたのかと足元に目線をずらすと…。
ーーーー行きはよいよい、帰りは怖い。
「…ヒッ!」
思わず叫び声をあげそうになる。
足に絡まるのは。
ーーーー怖いながらも。
真っ白い、いくつもの、手、手、手、手…。
『神社を出るまで、決して後ろを振り向いてはいけないよ。』
ーーーー通りゃんせ。
祖母の言いつけ通り…いや違う。あれは危険だと本能が訴えてくる。決して後ろなんて振り向こうとは思わない。怖いもの見たさなんて気持ちさえも起こりはしない。
俺は、歯を食いしばり、手を払い除けるように大きく足を踏み出すと、そのまま早歩き…いや走って神社の外へと逃げていった。
ーーーー通りゃんせ。
ーーー
ー
その晩、神社での出来事を祖父に話した。
怖さを紛らすため、気のせいだと思いたいために、祖父から「何を馬鹿な」と笑ってもらおうと話をした。…が、祖父は話を聞き終わると、神妙な面持ちで語ってくれた。
それは、祖父の曽祖父にあたる人がまだ子供だった頃まで遡る。
その頃はまだ、この辺りの土地にも、まだそれなりに住んでる人がいた。
ある日、そこに住む者の1人が、山に行ったきり帰ってこないという事件が起こる。
山には急な崖などはなく、危険な野生動物がいるとも聞いたことはない。ましてや遭難するほどの、大きな山でもない。
皆、不思議がってはいたが、何かしらの事故にあったのだろうと、男一同が集められ山を捜索することにした。
しかし、消えた者を見つけることはできなかった。
その日から、事件は続く。
村の、遊びに出かけた子供…山菜をとりに出かけた女性…続々と山に向かったものが帰ってこないのだ。
困った村人は、近くの有名なお坊さんを呼んで、山を見てもらうことにした。
そして、山を見た坊さんは語った。
『山に、どこからか流れてきた怪異が住み着いている。』
『その怪異は、まず1人の人間を喰らう。次に、喰らったその者の魂を利用して近くにいる獲物を見つけては、次々に引き込んでは喰らっていくを繰り返しているようだ…。山一面に無数の手が地面から生えているのが視える。』
『これは私ではどうにもならない。ただ祈祷をあげ、その地に封じ、その山に留めて置く事でそれ以上の悪さを出来ないようにする程度しかできない。』
『祈祷を上げたのち、簡易の社を作りなさい。それ以降は手入れなどもしなくてもよいが、決してここに近づくことはしないように。』
村人は、坊さんの言う通りに社を作り、鳥居を目印のために作ると、その後はそこに立ち寄ることを村全体に禁じた。
時代が進むと肝試しをする愚かなものが出るかもしれないと、子供達には、人喰い熊が出ると、嘘を教えて近づけないようにもした。
もしもが無いように、念には念を入れて話し合い、しきたりを作ったとの事。
それ以降は村で、失踪するものはいなくなった。しかし自分らの住んで居る地域の近くの山に怪異が住む。
その不気味さに恐れを抱き、村を出るものは後を絶たなかったという。
この話を知ってるものに山の社は、誰を祀っているのかを聞けばこういうだろう。
彷徨う人の手を逆に呼んで『手ん人彷徨』と…。
祖父は語り終えると、今回は運が良かっただけ、今後は絶対にあそこには近づいて行けないよと、念を押された。
俺は二度とあそこには入らないと祖父に約束し、この話を終えることにした。体験した恐怖が抜けることはないが戒めみたいなものだと思う。
…あっ!
ただ最後に一つ気になって、祖父に聞いてみることにした。
祖母はその話を知らなかったのか?と、子供の頃によく手を繋いであそこに連れて行かれたことを話す。
祖父は、眉間に皺をよせて一言言った。
「何を言っている?あいつが死んだのは、お前が生まれる前だぞ?」
…。
俺は、いったい誰にあの場所へ連れて行かれてたのでしょう…。