じゃん王との一騎打ち(パート3)
―――”残り時間 10分追加”
―――”3戦目 開始”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
現代じゃんけん決勝トーナメント三回戦。
―――”残り時間 9分”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
デデン―――!!!
―――ふふふ……
僕はグラスから着信音が鳴っても、脚気検査のように、画面を反射的に覗くことはない。
しかし僕は動じない。
だってそれは、彼の策略だから。
彼は影響力を駆使し、ニュース記事や動画を流行らせて、僕を誘導しようとしてきているのだ。
「―――ふふふ……」
「くそ……」
じゃん王は動揺していた。
「……」
何故なら、対戦相手が、自らの戦略に絡め取られているようには見えないのだ。
堂々と足を地につけ、自分の意思を持って、この現代じゃんけんに挑んでいる。
今の空富士鋏姿は、じゃん王の双眸には、
「もしかして……」
どうやら俺の作戦がバレているようだ。
でもどこで、どうして、バレたんだ……?
考えても、考えても、思いつかない、
「一体、どうすればいいんだ……」
じゃん王は想定外の展開に狼狽えながら、頭を回転させる。
すると、
「……は!」
頭の片隅に忘れかけていた、とっておきのプランを思い出した。
「そ、そういえば……こういう時の為に、最終兵器があったんだった……」
じゃん王は最後の抵抗として、ある準備に入った。
「ははは……やつには危ない所まで追い込まれたが、これで俺の勝利は確定だ……!」
再び、彼の口元には歪んだ微笑が刻まれた。
―――”残り時間 5分”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
デデン―――!!!
―――ふふふ……
繰り返し鳴る携帯電話からの着信音。
僕はそれを弾き返す。
「ふぅ〜」
満席の東京武道館の真ん中で、思いっ切り、深呼吸してみた。
いっぱい空気を吸って。
「はぁ〜」
吐いて。
「ふぅ〜」
「……」
良い気分だ。
視界明瞭。
頭脳明晰。
息の詰まるこの会場で、僕は存在の意義を主張した。
―――”残り時間 4分”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
デデン―――!!!
―――ふふふ……
着実に自分の人生への制御を取り戻しつつある。
僕は己の運命の舵取りになったのだ。
インフルエンサーに惑わされず、自分の意思で決断を下す。
「……」
思えばこれまでずっと、僕はグラスに縛られていたのかもしれない。
四六時中止まない着信音に反応、結果として、僕は刺激を与えられ続け、まるで実験動物と何ら変わらない生物に成り下がっていた。
でもこの現代じゃんけん大会、お婆ちゃんの教訓を通して、生まれ変わること出来た。
今の僕は、影響から解き放たれて、自由の身。
―――あぁ、なんて現代じゃんけんは素晴らしいんだ。
「ふふふ……あれ……?」
ふと、目の前に広がる景色が僕の意識を射止めた。
広大なアリーナ。
沢山の観客達が熱狂する姿。
有名なインフルエンサーが目の前に立つ姿。
それは東京武道館だからということで、僕が意識を傾けているのではないと思うんだ。
何かもっと、特別な意味がこの景色には込められているように感じる。
より根源的な何か。
これまで僕は人生を生きてきたはずなんだ。
でも同時に、生きてこなかった。
全ての経験がグラスを通して、霞んでいた。
そして今日、全てが変わった―――
―――だって、僕は生まれ変わったから。
「……」
僕は今、ここに存在しているはずなのに周囲と時空間を切り離されているような錯覚に襲われている。
それは決して嫌な感覚ではない。
寧ろ、心地が良い。
「…………」
何だろう。
この感覚。
不思議だ。
「………………っ」
宝石……?
すると、眼前に映し出される景色が宝石のように輝き出した。
「………………」
―――人生で輝ける唯一無二の瞬間、自らの双眸に描かれる光景を、心の中で永遠に捉えた。
そして、こんな確かな思いが、胸のどこかにあった。
―――この景色を生涯忘れることはないだろうと。
―――僕はその景色を大切に胸の中にしまった。
絶対に、手放したくなかった。
僕の軌跡、生きた証だから。
―――それは現代じゃんけん大会決勝トーナメントで起きた僅か一瞬の出来事だった。
「―――ははは……」
しかし。
僕がゆったりしているその時、じゃん王がほくそ笑んでいた事に気づくことはなかったのだ。
そして事件が起きたのだ。
―――”残り時間 3分”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
このまま時間が過ぎて、制限時間になったら、僕は
デデン―――!!!
―――ふふふ……
と画面を覗かず、堂々と構えていると。
「おい、これ見てくれよ」
「うわ、これやばくない」
会場全体がざわめき出してきたのだ。
それは確実に、声援とも異なる種類の喧騒。
「ふふふ……え?」
まるで事件でも発生したかのように、会場の人々が囁き始めたのだ。
「ねぇ、これって本当かな……?」
「本当だったら、やばいな……」
僕は少しだけ気になって、移動してみる。
僕と距離が一番近い観客はグラスを見ながら、隣の人と何かを耳打ちしているらしい。
「現代じゃんけん終末論だよ」
「これで、現代じゃんけんはもう終わりなんだ」
どうやら最後の着信音の時に更新されたニュース記事を、みんなが見ているらしいのだ。
「一体、何を見ているんだろう……」
段々気になってきて、僕は堪らず、グラスを使いたくなった。
「これであのガキも、終わりだな……!」
「良かった!じゃん王の勝利!」
え!?
どういうことだ!?
僕は危機に立たされているだって!?
会場全体から、ある特定の単語が繰り返し聞こえてくる。
「えっ!!!」
そして遂に、我慢できず、僕はグラスの画面を覗いてしまった。
ニュースフィードのトップにあったのは、
―――”緊急速報 東帝大学研究チームが”現代じゃんけん必勝法”を発見しました”
「な、何だって!!!」
僕はその記事の見出しを見た瞬間に、金切り声を上げた。
現代じゃんけん必勝法!?
さっきまでずっと穏やかだった心中が一気に不安に駆り立てられて、ニュース記事をクリック、
つまり、現代じゃんけんにおいて、絶対に勝てる方法があるということ。
「嘘っ―――!!!」
反射的にそのニュースに対して懐疑を投げつけた。
だって、有り得ない。
「本日の午前未明、東帝大学現代じゃんけん研究会のチームが―――」
え―――?
東帝大学……?
言わずともしれた、もちろん日本の最高教育機関だ。
その中で現代じゃんけんが研究されていて、そして必勝法が開発されたというのか?
胸の中で渦巻いていた嫌疑が消え去り、確証へと姿を変えた。
それなら信じるしか……。
「……」
……い、いや、待て。
確かめる方法があるはずだ。
「ははは……」
「え―――?」
血走った双眸でグラスの画面を見ていると、じゃん王の笑い声が聴覚を刺激した。
「―――残念だったな、空富士鋏、俺の勝ちだ―――!」
僕の前に屹立し、高らかに宣言した。
「俺は今、現代じゃんけん必勝法を、グラスに導入したんだ!」
「な、なんだって!?」
どうやら彼は既にその現代じゃんけん必勝法を取り入れたらしい。
「ははは……諦めたらどうだね、潔く」
「……」
「そ、それなら!」
本当かどうか、その真偽を確かめればいいだけ。
「なんじゃこりゃ!?」
ニュース記事を追ってみると、必勝法を証明したという論文に繋がるURLが載ってあった。
それをクリック、そして論文を開いてみた。
「一体どんな仕組みで、証明されたのか、全く分からない……」
宇宙人の言語のように、ただ難しい言葉が並んでいるだけ。
数学、コンピューター科学の専門用語だらけで全く理解できない。
それに言語が英語で、さらにちんぷんかんぷん。
「くそ、で、でも、僕もこれをグラスに導入すれば……」
論文から、記事に戻り、現代じゃんけん必勝法を取り入れようと、ダウンロード場所を探すが、
―――”関係者以外には使用禁止”
「え!?」
どうやら、東帝大学以外の人間には、公開されていないらしいのだ。
「つ、つまり僕は……」
そ、そんな。
あんまりじゃないか……
折角ここまで頑張って勝ち抜いてきたのに―――
―――現代じゃんけん必勝法で負けてしまうなんて……
「……」
さっき迄の至高の一時から、絶望に急転直下、僕は両手で頭を抱えながら、その場に蹲った。
デデン―――!!!
―――うわっ!!!
繰り返し炸裂する着信音。
つまり新しいニュースが入荷したとのこと。
「えっと、えっと……」
心の中が抉れている僕は、直ぐに画面を覗き込み、新鮮なニュースを確認した。
「うそ―――!?」
そこには、衝撃的な見出しがあったのだ。
―――”あの有名インフルエンサー、じゃん王の汚い手口”
―――”じゃん王はスポンサー会社から、チョキで勝つことを契約されている”
「え―――!?」
僕のフィードに飛び込んできたのは、なんと、じゃん王に対する暴露記事だったのだ。
公開されて僅か数分で爆発的な人気を博し、トップニュースに踊ったということらしい。
「ふむふむ……」
記事を開き、光の速さで内容を読み流していく。
キーワードになりそうな単語を掴まえて、要らない所を飛ばしながら。
「じゃん王って、スポンサー契約してたんだ……」
記事によると、ある企業がお金と影響力を使って、東帝大学に、嘘の研究結果をでっち上げるように、指示を出したらしい。
さらに記事を読んでいくと、現代じゃんけん系ユーチューバーはスポンサー契約を交わしていると書かれていた、
そして商品を広告するために、勝利時にチョキを出すようにと指示を受けているらしい、との事だった。
「これは、本当なのだろうか?」
う〜ん
どっちが良いのだろうか。
ここで潔く諦めて、お金を確実に確保するか。
それとも、勇気を出して己の決断に委ねるか。
「……」
取り敢えず、これまでお婆ちゃんから学んだ事をまとめてみよう。
「―――現代じゃんけんにおいて、情報は力」
「まずはこれが、現代じゃんけんの基本ね」
これが最初の教訓だった。
そして、僕の疑問。
「でももし、情報が嘘だったら、どうするの―――?」
答えは、
「―――いい、もし情報が偽なら、それを見分ければいいだけ」
ただ情報は鵜呑みにしてはいけない。
そして、さらなる疑問を呈す。
「それじゃ、どうやって情報の真偽を確かめるの―――?」
その答えは、
「―――まずは、情報を分析する必要があるの」
「で、でも……」
あれ?
後は何だっけ?
「……」
頭を叩きながら、思い返そうとする。
でも何も出てこない。
「はっ!」
しまった!!!
教訓を忘れてしまったのだ。
何かを基準に情報分析をしろって、言われたような。
「えっと……」
そういえば、確か、変な言葉だったような。
英語とか、授業とか、何とか。
「……」
「はっ!」
そうだ!
「5W1H!!!」
そうそう、英文法のあれだ!
「―――WHEN、WHERE、WHO、WHAT、WHY、HOW、情報を分析してみなさい」
ようやく大事な所を、思い出した。
「……」
また実践してみよう。
現代じゃんけんで、これまで学んだことを全て、当てはめてみるんだ。
「えっと……」
僕が情報分析に取り掛かろうとすると、
―――”残り時間 一分”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
「うわぁ!!!」
グラスの画面を見て、叫び声を上げた。
「もう時間がないじゃん!!!」
どうしよう。
情報分析を諦めて、このまま運に任せようか!?
「えっと、えっと……」
その場に彷徨いながら、思考を巡らせていると、
「あ、そういえば……」
昨日の夜、確かお婆ちゃんはこんな事も言ってくれた。
「―――時間が無い時は、特に、WHO、WHY、この2つの分析をしてごらん」
「よし!近道を辿って、情報分析をやっていこう―――!」
「―――えっと……」
まずは誰からこの情報が発信されているか。
つまりWHO、に当たる。
グラスを素早く操作していき、さっきの暴露記事から、情報発信元を探してみる。
―――”日本じゃんけん協会”
「これか!」
かなり前から設立された協会らしい。
ホームページに概要が載っている。
設立年、会員数、設立目的、運営方針などなど。
でもなんか、普段訪れるウェブサイトに比べると、滅茶苦茶質素で、つまらない……
「ふむふむ……」
このリーク記事は、極めて信用に足る組織から発せられたものだった。
特定の組織や機関から支援を受けていない、独立的な団体なのだ。
これでWHOの分析は完了!
「ふぅ〜」
と安堵していると、
―――”残り時間 30秒”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
「やばい!もう制限時間ぎりぎりだ―――!」
「―――えっと、次は……」
WHYに当たる部分。
ホームページに記載されている情報を眺めていく。
―――”設立目的”
―――”日本じゃんけん教会の歴史”
―――”我々の活動内容”
「どれにしようかな……」
―――”設立目的”
「これかな……」
かち。
設立目的という、ホームページの脇に並べられている項目欄をクリックすると、
格調高く、長い文章の一番上に、堂々と記載されている。
「これか……」
―――”我々の組織は、情報の平等性を重んじて”―――
―――”他の企業からは、寄付を受け付けない””
「なるほど……」
この組織の設立目的は、お金の為ではなく、情報の平等性の為に作られたそうだ。
―――”残り時間 10秒”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
それに対して、あの現代じゃんけんの終末論を述べた記事は、タブロイドから発行されたニュース。
これまでも似たようなニュースを量産して、評判が極めて悪い。
「情報を分析して、遂に結論が出たぞ!」
結論。
暴露記事の発信源は、少なくとも、あのタブロイドよりも、信用できるはず。
そして信用できるこのリーク記事は以下の事を証言している。
先程の現代じゃんけん終末論は、真っ赤なデタラメであると。
故に、僕はこのリーク記事を信じる。
「これに決めた!」
絶対に途中で脱落したり、投げやりになったりしない。
―――だって、その先に見える光景が見たいから。
―――だって、生きた証を残したいから。
―――あの時から、僕の答えは変わっていない。
そして僕は右手の指の先端を画面上に近づけていき、
―――”残り時間 1秒”
―――”現代じゃんけんの手を選択してください”
「ふふふ……」
僕の指先が選択肢に触れた時、笑みが零れた。
それは確信に満ちた、揺るぎない笑み。
―――”残り時間 0秒”
―――”現代じゃんけんの手を選択されました”
「ふふふ……」
「ははは……」
沈黙が迸る満員の東京武道館に、二人の笑いが再び錯綜する。
今度はどちらも自信に溢れ、その信条には揺るぎはない。
―――”結果発表”
「ふふふ……」
「ははは……」
二人の笑い声は深まっていく。
―――”じゃん王 パー”
―――”空富士鋏 チョキ”
「ふふふ……」
「ははは……」
じゃん王はそのアナウンスを耳にすると、全身をわなわなと振動させ、狂人のように血相を変えた。
笑い声は大きく震えている。
―――”勝者 空富士鋏”
―――”おめでとうございます”
一人の笑い声が、東京武道館を支配した。
「ふふふ……」
「……」
それは空富士鋏の勝利の音色だった。
「「「―――じゃん王が負けただと!?」」」
「ひぃ!!!」
すると、一気に大地が真っ二つに割れるような轟音が会場全体に響き渡った。
僕は、大逆転の勝利の喜び、そしてその余韻にじっくりことこと浸ろう、などと考えていたのだが、
その計画は今、木っ端微塵に砕け散った!
「「「あのガキ!!!また不正したに違いない!!!」」」
どうやらじゃん王のファン達は、僕に怒り心頭らしく、
「近代じゃんけん青年!今直ぐ逃げろ!!!」
「空富士!!!今直ぐ逃げなさい!!!」
「え?」
幼馴染と体育教師からの声を背中で受け取めると、
ひゅん!
「うわっ!!!」
満員の状態の東京武道館の観客席から、万物の一つが投げつけられてきたのだ!
飲み物が入ったボトル、食べ物類、観戦道具一覧、壊れたグラス、プライドの欠片、そして、推しが負けたことに対する怒りと不満―――
ひゅん!
ひゅん!
ごと!
「―――いだっ!!!」
「あのガキを逃がすな!!!」
「喰らえ!!!」
「おらぁ!!!」
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
「やべぇ!逃げろ!!!」
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
全速力で走りながら、僕は何とか投擲物を避ける。
目的地は場外。
「僕は無罪だ!信じて―――」
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
ごと!
「―――いだっ!!!」
自らの潔白を主張しようとしても、相手は聞く耳を持たない!
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
――――――――――――
―――――――――
――――――
「……ここまで来れば、安全だろう……」
数回程度、体の一部に投擲物が直撃した後に、何とか、東京武道館のアリーナから逃げ去った。
丁度受付に到着。
「……ひゅ〜」
額に滲んだ冷や汗を拭いながら、乱れた呼吸を整えていると、
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
「―――うわぁ!!!」
どうやら、会場の外にでも逆ギレしたファン達が僕を追いかけてきているらしい!
「いたぞ!!!」
「仕留めろ!!!」
「生きて帰すな!!!」
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
「―――ぐはっ!!!」
「……」
「……って、今のは当たりそうになっただけ、だったな……」
急所に投擲物が掠められそうになりながら、僕は外へ出ていった。
ひゅん!
ひゅん!
ひゅん!
――――――――――――
―――――――――
――――――
「―――何処に行ったんだ!?」
「俺達はこっちを探す!!!」
「それなら、私達はあっち!!!」
「……」
僕は駐車場の隅っこの方で隠れて、それから、
「ど、どうやら収まったようだ……」
茂みから姿を現した。
そして、僕は朝の時と同様に、変装をして、帰宅した。
「つ、疲れたな……」