世代を越えた夕食での会話
「ただいまー」
4.5度寝をかました日の夕方だから、極めて頭が冴えている。
いつもより元気に自宅の玄関の扉を開けると、
「ん?」
何か、話し声が壁越しに聞こえてくる。
「それでさ―――」
「―――そうなんだ」
どうやらリビングで、姉と母が熱心に語り合っているらしい。
「何だ、何だ?」
がちゃりと扉を開けて、居間の喧騒にダイブしていった。
「ただいまー」
「あら、おかえりなさい」
「あ、鋏じゃん。ちょっと私の話、聴いてよ」
「どうしたの?」
「えっとね―――」
僕達の夕食の開始時間は普通よりも早いのかもしれない。
夕陽が窓から差し込む辺りから、食事を始めるのだ。
早速席に座り、スプーンとフォークを巧みに操りながら、食事に勤しむ僕。
「―――うそ!」
「本当よ」
「スゴイわよね」
「ふふふ……」
姉が僕に話しかけてきた。
そしてお母さんも同じような熱量で口を開いている。
最後にお婆ちゃんまでもが、笑顔という宇宙的な言語を使って、会話に参加している。
「……」
―――不思議な光景だった。
他の家庭において、家族同士で会話しながら食事を取っていくのは常識だろう。
でも普段、僕達の家族が夕食時になると、あまり会話は生まれずに進行していくのが普通なのだ。
姉と僕は額に装着しているグラスを弄りながら、もぐもぐ。
お母さんはリビングに置いてあるテレビを鑑賞しながら、もぐもぐ。
お婆ちゃんはラジオを聞きながら、もぐもぐ。
結果として、グラスとテレビとラジオの音が錯綜する、混沌とした夕食の風景。
たまに会話があったとしても、何かぎこちない。
お互い顔を向けて話すことなんか、身に覚えがないほどだ。
例えば昨日なんて―――。
「ははは。こんなネットニュースがあるんだ!」
僕はスプーンとフォークで白米を食しながら、ネットの海に彷徨う記事を見つけては、変なテンションで、わめいていた。
「ひひひ。これ面白い番組ね」
お母さんはエプロンを着用した状態で席に着席、おかずを箸で取りながら、バラエティー番組を眺めている。
「ふふふ。やっぱり歌謡曲はいいわね」
お婆ちゃんは早速夕食を済ませ、女子高生の間で流行っているスイーツに移行、ラジオから流れる昔の歌謡曲を聴いて、笑みを浮かべている。
「あ、お母さん、醤油取って―――」
と僕はグラスから目を離さずに、お母さんに頼んだ。
醤油は僕の座る場所から反対側にある。
「ひひひ。やっぱりこのお笑い芸人の人、一番面白いわ―――」
お母さんはテレビから見線を逸らさずに、僕に醤油入れを手渡しで渡してきた。
「ははは。やっぱりこのバズってる動画、最高じゃん!」
ちょろちょろ。
受け取った醤油入れを傾けて、寿司につけた。
「ふふふ。この演歌歌手……あ、鋏。それ、醤油がじゃなくて、ソースですよ」
お婆ちゃんが何か異変に気づいたらしく、ラジオを中断し、僕に注意を促してきた。
「ソース? お婆ちゃんは情報の発信源でも気になるの?」
僕はグラスの画面を見ながら、お婆ちゃんの言葉を乱暴に解釈した。
そしてなりふり構わず、醤油をかけた寿司を、口の中のブラックホールへと放り込んだ。
「もぐもぐ……」
「ありゃま……」
僕がお婆ちゃんの方を一瞥すると、何故か、口を両手で閉ざして、あちゃ〜、なんて格好をしている。
もしかして、彼女もこのマグロの寿司を食べたかったのだろうか。
でも見る限りだと、既にお婆ちゃんはデザートフェイズに移行しているはずなのに。
どうやら、食事→デザート→食事
的な循環を体に適合させていたらしい。
なんて食いしん坊なんだ。
「ソースですよ、ソース」
「ソース?どうしたの?フェイクニュースにでも騙されたの?お婆ちゃん?」
「……」
そうなのか。
今の世の中は、人生経験豊富な高齢者になったとしても、偽の情報に踊らされる事からは逃れならない時代なんだな。
どうやら、厄介な社会になってしまったようだ。
僕も将来気をつけよう。
なんてしみじみ、複雑怪奇な社会について深淵な思考を巡らせていると。
んん?
おかしいぞ?
「……変な味だ」
さっき僕が食べたのは、マグロだったはずなのに。
何故か、甘いんだ。
その、魚自体から育まれる天然の甘さではなく、人工的に作られた甘味みたいな。
妙に変だな……?
「このマグロの寿司、穴子の味がする……」
「……」
最近の寿司屋では、こういう新メニューがバズってるのかな、なんて脳内で力技を使い疑問を解決すると、
「ははは。この動画も楽しいな!ははは」
「……」
僕はグラスに意識を戻し、平和な夕食が紡がれていった。
―――こんな感じで、世代を超えた家族間の会話なんて、あまりなかったのだ。
食事中はみんな時代の殻に閉じこもって、そこから出てこない。
別にそれに慣れているから、悲しいとか、特に何も感情は起伏されないのだが。
「―――私の大学でもさ、この現代じゃんけんの話題でいっぱいだったんだよね」
「あ、僕の高校でも同じだ」
「そうなの!主婦の間でもそうだったわね、そういえば」
「ふふふ……」
でも今日は、いやもしかしたら、今日から、その悪しき習慣が絶たれることになったのかもしれない。
この現代じゃんけん、なんていう一つの遊戯のお陰で。
その時何故か、夕食を囲むリビングが一気に明るくなったような雰囲気を感じた。
それに加えて、口に運ぶ食事の一つ一つも美味に感じられる。
「ははは」
「ひひひ」
「ふふふ」
そして和やかに夕食の時間が終了。
「「「ごちそうさまでした」」」
みんなが一斉に食べ物に感謝した。
「―――いつも、ありがとね」
「うん」
夕食を済ませると、僕はお婆ちゃんの車椅子を引きながら、一緒に彼女の部屋に向かった。
お婆ちゃんは数年前から体が悪く、ずっと食事以外はベッドでごろんしている。
「よいしょっと」
体を車椅子からベッドに移動させ、僕は口を開いた。
「ねぇ、お婆ちゃんはさ、現代じゃんけん大会、出るの―――?」
「……」
少しだけ沈黙が部屋に舞い降りた。
どうやらお婆ちゃんは、何か物思いに耽っているようだ。
「―――やっぱり、懐かしいわね、その言葉」
数秒後、彼女はゆっくりと呟いた。
そして、郷愁的な色合いを帯びた目線を窓の外へと向けた。
「え?」
ど、どういうことだ?
懐かしい?
現代じゃんけんが?
「あれ?現代じゃんけんなんて知ってたの?」
僕はてっきりこの大会は初めて開かれていた思っていた。
あ、でも確か、第三回って書いてあったような気が。
つまり前にも開催されていたってことなのかな?
でも僕の記憶には全くないのだけれども。
ちなみにお婆ちゃんはグラスを着用しておらず、いっつもラジオなんていうオーパーツを使用しているのだ。
どこからそんな情報を得ていたのだろうか。
「ふふふ……」
お婆ちゃんは小さく口元に笑みを零して、驚きの言葉を発した。
「だって―――」
「―――この私が現代じゃんけんの創案者ですもの」
お婆ちゃんは、まるで仏様の如く後光を煌めかせ、床に座っている聴衆の僕に向かって、高らかに宣言した。
「う、うそ!?」
「本当ですよ」
驚いて、つい反射的に、疑いの言葉を仏様に投げつけた。
なんて罰当たりなんだ。
「うそだー?」
「本当だってば」
真偽を確かめるために、もう一度、返ってきた答えを、仏様に放り投げた。
でも仏様の双眸は、本当と告げている。
「でも、やっぱりうそ?」
「本当、だーよ」
念の為に、もう一度。
「……ふふふ」
するとお婆ちゃんは、口元を少しだけ悲しく歪ませると、
「あれはもう、とっくの昔の話、何だけどさ……」
再び懐かしさに塗れた表情になった。
目を煌めかせ、まるで遠くのお星様を眺めるように、夜空へと視線を送る。
「まさか、こんな歳になって、またあの言葉を耳にするとはね……」
「……」
僕はと言うと完全に放心状態で、上手く言葉が纏まらない。
信じられない。
お婆ちゃんが現代じゃんけんの神様だったなんて。
あ、仏様?
つまり、
てことは。
「……だったら、強かったの?」
僕は彼女のベッドの金属枠に乗り出しながら、食い入るように訊いてみた。
そうだ!
もし創設者なら、恐らく何でも知っているのだろう。
「もちろんよ。敵なんて居なかったわ」
「やっぱり!」
そうと分かれば。
「それならさ、大会出ようよ!」
「……」
賞金総額は一億円。
お婆ちゃんになら勝てるはずだろう。
しかし帰ってきた返事は意外なものだった。
「私はもう引退したからさ……」
「そ、そうなんだ……」
お婆ちゃんは何時にもなく、物寂しげな表情で呟いた。