第9話 困難
「お疲れ、春樹。めっちゃ格好良かった」
試験を終えて帰ってきた春樹を優が労う。優が掲げる腕に自身も腕を重ねた春樹は、歯を見せて人好きのする笑顔を見せた。
「そりゃ、よかった。……勝てたらもっと、良かったんだけどな」
「それは否定できないな」
「これで仮免交付は先延ばしだ〜……」
足を伸ばして地面に座り込んだ春樹が、苦々しい声を漏らす。
そう。先の対人試験。善戦はしたが、春樹は負けてしまったのだ。
〈領域〉を展開して、首里の大きな隙を作ることに成功した春樹。しかし彼は〈領域〉に集中しすぎるあまり〈身体強化〉をし忘れていた。しかも、常に気を張って体力的にも精神的にも限界を迎えていた。
結果、決定打と呼ぶにはあまりにも貧弱な拳をすんでのところで首里が掴み、攻撃を阻止。そのまま首里が春樹の手首にあったペイントボールを破壊したことで、試験は幕を閉じる。
春樹への仮免交付は夏休み中にある補習が終わるまでお預けとなった。
「はぁ……」
あぐらをかき、晴れ渡った空にため息を漏らした春樹の顔はしかし、明るい。
ヘマこそしてしまったが全力は尽くした自信はある。実際、もう少しで勝つことができたのだという手応えもあった。
(首里さんも天と同じ魔力持ちだ。オレが天と並ぶためには、いつか──)
太陽に向けてかざした手のひらをぎゅっと握る春樹だった。
と、そうして敗北と成長をかみしめていた春樹にふと、影が差す。
「驚かされたわ。まさか〈領域〉を使うなんてね」
そう言って声をかけてきたのは、赤みがかった腰まで届く長い髪を揺らす首里だった。吊り上がった勝気な目は変わらないが、いつもより心なしか、物腰が柔らかい。
だからといって彼女が春期に会いに来たのかと言えば、そうではない。春樹と、彼を労う優のそばにいた女子学生──三船と木野に会いに来たのだ。その際、たまたま春樹が近くに居たために、気まぐれで話しかけたに過ぎなかった。
「お疲れ、首里さん」
立ち上がった春樹がそう言って対戦ありがとう、の握手を求める。その手を一瞥した首里は、
「あ、そういうのはいいわ」
と冷たくあしらう。それでも春樹との会話自体は続けるようで疑問を口にした。
「……どうして〈創造〉で何かを創って、攻撃してこなかったの?」
そう春樹に尋ねる首里の顔は、ひどく冷めきっている。
というのも、実は首里の中には春樹の奇行に大方の予想がついているからだ。それは春樹が、対戦相手が女子だから手加減をしたのではないか、というものだ。
もしそんなフェミニズムによる手加減をしたのだとすれば、首里としては不本意極まりない。女であるというだけで春樹が手加減をたのだとすれば、身のほど知らずも甚だしいと首里は鼻を鳴らす。
確かに首里は不意を突かれて、春樹に大きな隙を作られてしまった。もし魔獣が相手であれば、致命的なまでの隙だった。
(けれど……)
必ず急所──今回で言えばペイントボール──を避けて身を切らせる代わりに、反撃する自信はあったのだ。
その自分の気概を、“女だから”という理由だけで手加減され、奪われたのではないか。春樹を見る首里の冷ややかな目には、そんな落胆の色が見え隠れしていた。
しかし首里の予想とは裏腹に、春樹から返ってきたのはひどく気の抜ける内容だった。
「決まってる。ただ単に、思いつかなかった……忘れてただけだ」
「……は?」
春樹の言葉の意味がすぐには理解できず、思わず呆けた声を出してしまう首里。だが自分を見る友人たちや春樹、優の視線を受けて、すぐに表情を取り繕う。
「そ、そう……。まあ、どんな武器で攻撃されたとしても、私なら防いでいたでしょうけど。瀬戸にそれだけ聞きたかったの。手加減されたのかと思って」
「それは無いから安心してくれ。そもそも理由が無いからな」
きちんと全力で戦った。そう語る春樹の屈託のない笑顔は、首里を納得させるに十分だった。
「そう。なら、良いわ」
本当に疑問を聞いてみただけの首里は、特に別れの挨拶もせずにその場を後にする。そんな彼女の代わりというわけでは無いだろうが、
「では神代優。また」
「じゃあね、神代くん! お友達も」
三船が行儀よく一礼を、木野が愛想よく笑顔で手を振って去って行くのだった。
「……で? 春樹はこの後どうする。着替えてくるか?」
そんな優の問いに少し悩んで見せた春樹は、
「そうだな。情けないが、もうマナがカラカラだ」
天を見上げて苦笑してみせる。
短時間とはいえ、マナの消費が激しい〈領域〉を使ったのだ。決して魔力が高くない春樹のマナの残量は、少しふらつく程度まで減ってしまっていた。
結局は優に情けない姿を見せることになってしまった春樹。これでは優からの信頼を勝ち取るにはまだまだ遠いなとうつむきそうになる彼に、優が何気ない顔で言う。
「情けなくは無いだろ。春樹が頑張った証なんだ。誰も笑わないって」
そんな優の言葉がお世辞でも何でもないことを、幼馴染である春樹は知っている。そして、そんな友人の言葉だけで、魔力持ち相手に足掻いた自分の努力は無駄ではなかったのだと、救われたような気持ちになってしまう。
春樹も、本気で勝ちたかったのだ。たとえ望み薄だったとしても、勝利への道筋は見えていた。だというのにヘマをやらかして、チャンスを不意にした。
(あっ、やべ、泣きそうだ……)
込み上げてきた涙で、春樹は自分が思っていた以上に“勝ちたい”と思っていたこと──本気だったことを知る。
春樹は“優たちと一緒に”特派員になりたかったのだ。
しかし、負けてしまった。補習が終わるまでの微々たる時間の差とはいえ、神代兄妹が特派員で自分だけが特派員ではない状況になってしまう。
それが今の自分と兄妹の埋めがたい差に思えて、春樹は一層、泣きそうになる。
このままでは親友に情けない姿を晒すことになると判断した春樹は、早々にこの場をあとにすることにした。
「フォロー、サンキュな。じゃあちょっと、着替えついでに休んでくるわ」
「そうか。ただ、俺の試合はまだだ。だから、できれば応援に来てくれると助かるんだが」
「優……。オマエな」
本当にこの幼馴染は格好良いのか情けない奴なのか、春樹は分からなくなる。いや、春樹も優と長い付き合いだ。優秀すぎる妹がいるからか、優は自分のことになると謙虚というか気弱になることも知っている。
優は、自分の弱さを知っている。簡単にはヒーローになれないことを知ってしまっている。だからこそ彼は、自分を肯定してくれる人を必要としている。誰からでも良いというわけではない。優が認めているその人物からの期待に飢えているのだ。
つまり、先ほどの「見に来てほしい」旨の発言は、優が春樹を認めてくれている証左にほかならない。
だが、だからこそ──。
「行けたら行く」
春樹は優を甘やかさない。なぜなら優にはもう、1人で立つには十分な覚悟と力があると思っているからだ。
優を支えるばかりでは、春樹は自分のことに集中できない。強くなれない。兄妹に並び立つことができない。
「それ、来ないやつだろ……。薄情な親友め」
「応援してもらったのに、悪いな。いやまぁ、これに関してはまじで。行けたら行くわ」
恨み節の親友を置いて、春樹は1人、歩き出す。少しでも早く負けてボロボロの顔と心を治して、親友の試合を応援しにいくために。
7回目、8回目と過ぎていく仮免試験。
緊張感を長引かせつつ、優は1人、心を落ち着かせようと試合を見ていた。そんな彼のもとに、着替えを済ませた天が戻って来た。てっきりそのまま寮に帰ると思っていた優としては、あまりに心強い応援者だ。
「兄さん、まだなんだ」
「まあな。ついでにシアさんも、ザスタも呼ばれてない。嫌な予感しかしない」
言いながら、優はシアに言われたことを思い出す。
約1か月前。茜差す3カフェで、シアは優に〈物語〉の権能について話してくれた。
強力な影響力を持つ権能を使って、あの日、シアは優の致命傷をたちまち治療してみせた。
しかし、大きな力には当然、相応の代償がある。シアは優の命を助ける代わりに、優の人生が代償になっている可能性が高いと話していた。それゆえに、
『間違いなく。私のせいで、優さんにはこれからたくさんの困難が降りかかると思います』
『私の我がままのせいで……。すみません』
シアはそう言って、謝ったのだ。
“困難”。何とも曖昧な文言だ。例えば今回の試験でシアかザスタと当たったなら、それは間違いなく優にとっての困難だろう。あるいは、人に魔法を使いたくない優にとって、この試験そのものが困難ともいえる。
考え出すと、何が権能のせいなのか、分からなくなる。ともすればこのすべてが、優を救った〈物語〉の力の代償なのかもしれない。
「――なるほど。これは確かに、シアさんが悩む理由がわかるな」
「え、急にどうしたの? 大丈夫、兄さん?」
冗談めかして言う天の言葉に、彼女がそばにいたことを思い出す優。
妹には――天にだけは。悩んだり、クヨクヨしたり、そういった格好悪いところを見せたくはない。
「大丈夫だ。なんでもない」
必死に取り繕う優だったが、相手が悪い。
天は誰よりも優と付き合いが長い。見栄を張る兄の内情など、手に取るように分かる。それは彼女が自他ともに認める天才だからという前に、神代優の妹だからだ。
そして、誰よりも努力を惜しまない天は、自分の前で格好良く在ろうとする兄の“努力”も無駄にはしない。
今回は兄の見栄を尊重し、クヨクヨ悩んでいる兄をみないことにしてあげる。自分が見てあげている。それだけで兄が頑張れることを、天は知っていた。
「……そっか。ほら、また抽選始まるみたい。今度こそ、呼ばれるかもよー?」
そうしてアナウンスされた名前に、優の名前はまたしてもなかった。
その代わりに、今回の試験最後の目玉になるだろう好カードに会場が沸く。
シア対ザスタ。
2人の天人による対人戦が、始まろうとしていた。




