第8話 瀬戸春樹の場合
この試験。自分が勝てると確信することが大切だと、春樹は戦略を立てながら考えていた。その確信こそが、今回の作戦の肝になる。
「試験開始ー」
女性教員のフワッとした合図で、試験が始まった。
春樹は素早く〈身体強化〉して、首里のもとへ駆ける。〈領域〉を使用するにはドームをイメージした幕を創り、自分のマナを対外に拡散させる工程がある。つまり少しだけ、時間の猶予がある。
(魔法が完成する前に、首里さんの危機意識をあおって、集中力を削ぐ!)
春樹の戦いはまず、そこからだった。
走りながら忍者が登場する漫画で見たような小さなクナイを2本手元に創り出し、首里の首元、右大腿部にあるペイントボールを狙って投げる。頭上にクナイを創って落とさないのは、マナの消費を抑えるとともに、威力を確実なものにするためだ。
なるべくマナの消費を抑えつつ、近接戦に持ち込もうとする春樹。しかし、やはり相手は人間。まして首里は、勉学でも成績上位に位置している、
「ふんっ、甘いわ。見くびらないで」
首里が言ったのと同時。春樹の視界が半透明な紅色に染まる。春樹の想定よりもずっと早く、〈領域〉が展開されたのだ。同時に首里の濃密なマナが春樹のマナの凝集を阻害し、春樹が手に創っていた槍が消える。
「ちっ、じゃあ次だ」
春樹が足を止める理由は無い。むしろ止まれば、そこかしこから飛んでくるだろう創造物でハチの巣にされる。
体勢低く首里に接敵し、スライディングの要領で蹴りを放つ。狙いは右足。サッカーで行なえば間違いなくレッドカードをもらう行為だ。
それでも、首里の避け方次第ではそのまま彼女の背後に回り込める。そんな春樹の攻撃を、首里は回れ右の要領で避けた。おかげで春樹の狙いは外れ、首里の背後を取ることができない。
逆に今度は首里が中空に3つの魔力の玉を作り出し、滑り込んだ体勢で隙だらけの春樹に向けて撃ち下ろす。
「やばっ」
飛んでくる赤い球体を横に飛びつつ回避。そのままもう一度、首里めがけてなるべく姿勢を低く駆ける。彼我の距離が近いため、今度は純粋に腰で溜める右ストレート。狙いはみぞおちにあるペイントボールだ。
これは試験だ。実戦ではない。相手を倒すのではなく、それぞれの急所にある目印を破壊すれば勝利できる。実践とのその差異に春樹は賭けていた。
「これでっ!」
確信をにじませて、春樹は右腕を伸ばした。もちろん、首里は軽く身をひるがえし、避ける。もう一度中空にマナの球体を3つ創って、今度はそのまま重力に任せて落とす。
今回の試験。首里もペイントボールを破壊するだけでいいと理解していた。相手を戦闘不能にする必要はない。よって、今、彼女が狙ったのは対戦相手の自爆。
殴りつけようとする勢いのまま通り抜けていく春樹の動線の上に威力を調整したマナの弾――〈りんご飴〉を置いておけば彼が触れて、爆発する。そうすれば、手首あたりのペイントボールが弾けるだろうと思っていた。
極度の集中でゆっくりとした首里の視界が、もう少しで〈りんご飴〉に触れようとしている春樹の姿を捉える。
そう言えば、と、首里はすました表情を変えることなく考える。いま自分が戦っている名前は何だっただろうか。また、彼のマナの色は何色だっただろうか、と。
確か、黄緑色だったような。余裕のある頭で考えた首里は、そこで違和感に気付くことになる。
対戦相手の男子学生──春樹の身体から、マナの光が漏れていないのだ。
〈領域〉が展開されていても、体内でのマナ操作が阻害されることはない。そのため、〈領域〉の使用者以外は〈身体強化〉を使って身体能力を向上させ、肉弾戦を強いられることになる。
だというのに、春樹は魔法をあえて使わず、素の身体能力だけで戦っていたのだ。
どうして。考えた首里は刹那の間に結論を導く。
──マナを温存するためだ。
では、マナを温存する理由はなんだろうか。たった一度きりの対人実技試験。マナをあえて使わない理由など、限られている。
(例えば、たくさんマナを使う魔法の、タイミングを待っているとか―─)
勝利を確信していた首里が、春樹の狙いを探っていたそのときだった。
「〈領域〉!」
「なっ?!」
春樹のその声で、首里は思考を止めることになる。“選ばれし者”だけが使える〈領域〉を“一般人”は使えない。いや、使わない。そんな先入観から首里は虚を突かれた形だ。
首里の創った〈りんご飴〉が、春樹を中心として広がった黄緑色の膜に触れて、反発し合い、そして霧消する。先刻の春樹の武器が消えたときと同じで、マナの凝集が阻害されたのだ。
そして、そのきれいな黄緑色の〈領域〉が少しずつその支配範囲を広げて行く。
(行け……っ)
春樹は己を鼓舞する。
優が春樹に言った「頑張れ」。それが春樹にとっては辛いものだった。信頼する天には、絶対にかけない言葉。「春樹なら大丈夫」。彼にそう言わせられなかった自分が、何よりも情けない。
優と違って、春樹には特段、特派員になりたいという強い思いがあるわけでは無い。ただ何となく、幼馴染だった神代兄妹が行くという理由だけで、第三校に入ったのだ。
覚悟なんてない。死ぬのも魔獣も今だって怖い。しかし、あらゆる物事を完璧にこなす天と、彼女を必死で追う優。2人は、自分には何もないと思っていた春樹にとっての光だった。
小学校の頃は人見知りで、本ばかり読んでいた春樹。ある日の昼休み。
『ねぇねぇ、一緒にあそぼうよ!』
『兄さん、はるきくんが困ってるでしょ』
『だって、天とあそぶの、つまんないもん』
『ひどいっ! どう思う、はるきくん?!』
『天がおこったー! にげろー!』
そう言って優は春樹の手を取り、有無を言わせず連れだした。しかし、そうして無理矢理踏み出さされた日常は存外楽しくて、引っ込み思案だった春樹を変えてくれた。知らない世界を見せてくれ、人生を変えてくれた恩人たちでもある。
春樹は優に証明したいのだ。自分は、優が憧れる価値のある友人だと。格好良い人なんだと。天に証明たいのだ。自分は、見る価値のある人間なのだと。いつか彼女の言う直感を超えられる、そんな人物なのだと。
シアのように特別な人間でもない自分が、大好きな2人の兄妹の隣にいるために。
(イメージだ、イメージしろ! 自分の周りに、草原のような緑を! 黄緑の風が吹き荒れ、広がって行く様を! 首里さんの〈領域〉より強固に! 自分が勝つ、その姿を信じろ!)
ほかでもない春樹自身が、自分の弱さを知っている。自分だけが、優たちから一歩も二歩も遅れてしまっていることを自覚している。
だからこそ、春樹は必死で食らいつくしか無いのだ。自分の全てを投げ売って、この試験に勝って。こんな自分でも、魔力持ちに勝てるだけの力があるのだと、証明しなければならない。
「届けぇぇぇーー!」
気迫のこもった声で叫んだ春樹は〈領域〉を広げながら転身。驚いて隙を見せる首里に向かって拳を伸ばす。たった一度のチャンスを、つかみ取るために。
その後すぐ、試験に決着がついた。




