第1話 編入生
夏の暑さもすぐそこといった、7月の上旬。
もうすぐ去ろうという梅雨前線は最後の力を振り絞り、天気を曇りにしている。しかし、抵抗むなしく天気予報によれば雨が降ることは無いという。数日後には梅雨明けするだろうと、優が今朝見た情報バラエティでは言っていたのだった。
優が命を落としかけた外地演習から1か月以上が経つ。
イレギュラーが続いた9期生の外地演習だったが、その後はこれといった大きな魔獣が現れることもなく、皆、外地という環境に慣れることができ始めていた。
そうして夏休みを目前に控えた学生たち。特派員候補生として着実に力をつける彼らにとって目下、最大の敵は、魔獣でも天災でもなく、期末テストだった。
耳にかかるかどうかの黒髪と黒目。最近少しだけ筋肉がついてきた優もそれは変わらない。この時ばかりは、レポートの期日やテスト範囲のことで頭が一杯だ。優は興味があることの勉学に対しては熱意を注げるのだが、勉強それ自体が好きなわけでは無い。むしろ学力に関しては、魔力と並んで、学年の下の方をウロチョロするレベルだった。
毎日7限まである授業の、水曜日の2限目前。教室移動が無いためフルに休み時間を使えるタイミングだ。これ幸いと、優は教科書を片手に、限られた時間で1つでも多くのことを暗記しようと試みる。
「えっと、縄文時代の土器がこれで、弥生時代が……」
そうして唸っている優の隣に座ったのは、短髪ですらりと背の高い好青年であるところの瀬戸春樹だ。彼はコンビニで買ってきたコーヒーを口にしながら言う。
「優、それ演習の時にもやっただろ。それよりも、現代文の小レポートはやったのか? 今日までだぞ?」
「そうだったか? ……あれ、外コミュのテストは?」
「それは来週な。俺も、さっさと発表でなに話すか決めないとだな」
日本史の教科書を開きながら国語の現代文のレポートを確認し、外国語コミュニケーションのプレゼン式のテストについて話す。ついでに、これから行なわれようとしているのは数学Ⅰの授業という。まさしく、カオスな状況だった。
少し伸びてきた髪を手で弄りながら悩む幼馴染に苦笑する春樹。
「優にとっては、魔獣よりテストが迫ってくる方が怖いかもな。補習もダメなら退学だ」
「今は、だけどな。やっぱり魔獣相手の方が俺的にはきつい。テストと違って、ミスったら死ぬからな」
「それもそうか。それで? 魔法学は大丈夫だとしても、魔法実技は大丈夫なのか?」
「正直それもやばい」
現状、優たち9期生には外国語も含めた5教科と体育、魔法系の授業があり、それぞれに課題がある。
授業によって評価の仕方も様々で、筆記テストもあれば授業内容をまとめたレポートの提出もある。体育など、平常点と呼ばれる授業の出席状況・態度・関わり合いなどのみを参考に単位取得の可否を決める授業もあった。
魔法系の授業は座学と実技、2つの観点で評価が決まる。日頃から魔法や魔獣に着いては必要以上に勉強をしている優。座学については問題ないと言い切ることができる。
しかし、実技に関しては魔力が少ないうえ無色の優には不安が残る。加えて、今回は対人方式の実技試験と公表されている。魔獣の時とはまた違った戦い方をしなければならなかった。
「――けど、これを越えれば仮免許だ」
そう。夏休みを前に、前期日程を乗り越えた学生たちには特派員仮免許が交付されることになっている。特派員として最低限のモラルと魔法を扱う技術を持っている証だ。これがあれば実質、魔法を内地でも自由に使うことが出来るようになる。同時に、以降はいち社会人として重い責任が伴うことも意味していた。
それら細々とした事情はひとまず置いておき、
――仮とはいえ、特派員を名乗ることができるようになる。
その事実が、高い高い積乱雲のようにそびえ立つテストに尻込みしそうになる優の心を奮い立たせていた。
なお、第三校は卒業すれば、高卒認定証明と正式な特派員免許がもらえる。学生の中には少数ながら一般の高校卒業者もいるのだが、彼らは特派員免許だけをとりに、第三校を受験・編入してきたということになるだろう。
そして、編入と言えばもう1つ。仮免許に意気込む優と、彼を見守る春樹に声をかける人物がいた。
「神代優くんに、瀬戸春樹くん……だよね? 初めまして」
四角い黒ぶちの眼鏡に、おかっぱ頭。気弱そうな印象の垂れた目元と、優より少し低い身長の男子学生。肩幅の少し狭いその体格は、男子にしては華奢な印象を受けた。
「お前……ひょっとして、北村の代わりに来たっていう編入生か?」
見覚えのない同級生。春樹の言葉でようやく優も、彼が補充人員であることに思い至る。
学生の“補充”。授業や任務等で欠けた人員の数だけ外部から入学希望者を募り、特別な試験を受けて合格したものを編入させる。魔獣を倒して国を守る特派員を1人でも多く排出しようと考えられた、第三校含めた訓練学校ならではの仕組みと言えるだろう。
外地演習で北村秀という名の男子学生を失っていた優たちのクラス。テストやレポートで忙しいこの時期になってようやく、編入生がやってきたのだった。
「うん。初めまして。僕は西方春陽っていいます。よろしくお願いします」
「おう、よろしくな!」
「よろしく」
西方の挨拶に春樹、優の順で応える。そこから少しだけとりとめのないやり取りをして、編入生のおかっぱ男子、西方は去って行った。
「普通、だな」
彼の後ろ姿を見つめて、優が思わず言葉を漏らす。
編入時の特別試験で重要視されるのが、特派員候補として“即戦力になるかどうか”だ。そのため、学力はもちろんのこと、魔法技能をはじめ、稀有な才能があるかどうかと言った、その人の特別性が重要視される傾向にある。
そのため、編入生たちは“個性的な人”が多いというのが、優や春樹の知る前情報だった。
その点、先ほどの会話でも。今もクラスメイト達に丁寧なあいさつ回りをしている姿を見ても、西方にクセの強さのようなものは感じられなかった。
「確かにな……。っと、それより優、そろそろ数学の準備もしとけよ」
春樹に言われて優がスマホで時間を確認してみれば、確かに授業開始までもう時間が無い。急いで広げていた教科書やレジュメをしまって、数学の準備をする。数学も数学で、優はⅠ・A両方とも赤点がちらついている。テスト前の追い込みが必要だ。そのためには。
「……ごめん、春樹。後で現代文、手伝ってくれ」
「まあ、ケガで休んだこともあったしな。任せろ」
頼りになる親友の助力を乞いながら、優は山積する課題の山を幻視する。気持ちよく夏を迎えるため。何よりも、特派員仮免許のために越えなければならないその山は、今の優1人には荷が重いものだった。
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