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「見ている神がいないなら、この物語は『  』です」  作者: misaka
【物語】第三幕……「物語の始まり」
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第6話 見ている神がいなくても

 どっぷりと暮れた日の光に変わって、間接照明の暖かな光に照らさた学生寮の一室。シアは1人、教科書とパソコンを相手に、にらめっこをしていた。


 特派員になると報告書なども作成しなければならない。


 文書制作用・表計算用ソフトに加えて、今後はスライドを作ったり動画を作ったりもしなければならなくなる。それらすべての作業を、在学中に一通り覚えていく必要があった。


 夜8時ごろから初めて、かれこれ1時間ほど。うーん、と背伸びをしたシアは小休憩をとることにする。


 キッチンに置いてある瞬間湯沸かし器を使って沸かした熱湯を、水色のマグカップに注ぐ。


 カップの中で待っているのは、アッサムの茶葉の入ったティーパックだ。大人しく出番を待つそれめがけて優しくお湯を注ぐと、待ってましたと言うように、透明なお湯が透き通った茶褐色に変わる。芳醇な香りが漂い、なかなか思い通りいかない作業で(すさ)みつつあったシアの気分を落ち着かせてくれた。


 ある程度香りを楽しんだシアは、冷蔵庫から牛乳を取り出し、注ぐ。渦を巻くようにベージュ色に変わる紅茶の様子を観察し、彼女はカップを持ってパソコンの前にあるデスクチェアーに戻った。


 冷たい牛乳のおかけで程よく冷めた紅茶を一口。クセの少ない紅茶本来の渋みが牛乳と合わさって、疲れた脳と、乾いた口内を優しく温めてくれる。


 ふぅ、と小さく息を吐いたシアは将来について考える。


 窮地を何度も救われ、勇気をもらい、願いという名の“生きる希望”を手にした彼女。きっかけになった少年からもらった言葉――


『シアさんは、どうしたいですか?』


 ――を思い出しながら、改めて、自分のやりたいことを考えてみる。


(私の、したいこと……)


 ミルクティーに口をつけたシアがふと見遣った壁には、つい先ほどまで着ていた白いワンピースがハンガーにかけてある。レースの刺繡や小さいリボンがアクセントで、数少ないシアの私服。天が「可愛い」と言ってくれた、お気に入りの服でもあった。


(……まぁ、優さんは何も言ってくれませんでしたが!)


 湧き上がってきた不満を、ミルクティーと共に流し込んだシアは、


(そういえば……)


 と、演習直後の神代天とのやり取りを思い出す。


 あの時シアは、人々の悪意から守ろうとしてくれていたらしい天を、愛しさ余って天を名前呼びしてしまった。天の方に気にした様子は無かったし、友達として、認めてくれただろうか。


(もしそうなら、夢が1つ叶っちゃいましたっ!)


 名前で呼び合えるほど、仲のいい友人を作る。それは、シアの中にある、あらゆる願いの出発点でもある。友人と買い物に行って、食事をして、旅行をして。その時は、優や春樹も誘っても迷惑ではないだろうか。


 膨らんでいく夢に「そうです!」と声を上げたシアは、まだ薄っすらと湯気を上がるマグカップをパソコンの横にそっと置き、文書制作用ソフトを立ち上げる。


 そしてまっさらな白紙の文書に、自らの啓示に従うよう、ちょっとした物語を書き始めた。


 【物語】の啓示を知ろうと多くの本を読んできたシア。これまでは読むばかり、受け取るばかりだった。


 しかし、彼女は決めたのだ。自ら行動して、人々を笑顔にできるような神になりたいと。その点、自ら物語を書くことで、受け身だった自分から少しでも変われるような気がしたのだ。


 静かな部屋に、タイピングの音が弾む。先ほど、報告書やレポート課題をしている時とは比べるまでもない速度とテンポで、文字が書き連ねられていく。


 しばらくして出来上がったのは、短い物語だ。


 大きな魔獣を相手にシアが、優と天、春樹の4人でセルを組んで魔獣と戦い、窮地に陥りながらも、勝利する。そんな王道ストーリー。勢いで書き上げその物語に、リアリティなど欠片も無い。


 しかも、シアは数百、数千の本を読んできた物語のスペシャリストだ。自身の書き上げた物語が、ごくごくありふれた、ヤマもオチもない、ただの少年少女の物語でしかないこともすぐに見抜いてしまった。


 【物語】の女神を名乗っておきながら、こんな文章しか書けないのか。恥ずかしくなったシアは、バックスペースキーを押そうとした指を、ハッとして止める。


 確かに、目の前にあるのは平凡な物語だ。しかし、それは紛れもなく、シア自身の叶えたい未来でもある。それを指先1つで消してしまうことが、どうしても、シアには出来なかった。


 それどころか――。


「じゃ、じゃあこういうのはどうでしょう……」


 脳が調子づいたのか、やりたいことがどんどんとあふれてくる。これまで無理やり抑え込んできたせいか、それとも、実はただ自分が欲張りなだけなのかは分からない。ただ事実として、タイピングを進めるシアの指先は、とどまるところを知らなかった。


 夢中で物語を紡ぎ、あっという間に時間は過ぎる。シアがパソコンの横に置いていた目覚まし時計を見たときには、もう眠る時間になっていた。


 文字数が多くなってしまった『文書1』を見つめるシア。そばに置いていた紅茶も気づけば空っぽだ。息抜きのつもりが、いつの間にか本気になってしまっていたことに気付いて、シアはふぅとため息をつく。


 しかし、気分転換にはなったと思い直して椅子を立ち、就寝の準備を進める。


 底に紅茶の色が残らないよう水と少しの洗剤を入れて、キッチンのシンクに置いておく。ユニットバスの洗面台で手を洗い、歯を磨いて、最低限の肌のケアもした。


 間接照明を消すと真っ暗になる部屋。それでも、閉じたカーテンからうっすらと漏れる月明かりが、ベッドまでの道をどうにか示してくれていた。


 ベッドに入って、眠ろうと目をつむる。静かな夜。木々が風に揺れる心地よい音以外に雑音はない。目を閉じているため、視界もない。自分と世界の境界線が曖昧になり、やがて無くなっていく――。




 案の定。数分しても、私は眠れずにいました。


 紅茶のせいでむしろ頭は冴えてしまっていて、さっきまで書いていた物語の続きを勝手に提案してきます。パソコンに入ったまま、誰の目にも触れることは無いだろう『文書1』の、その続きを。


 あるいは神様が居たのなら、その文書も読まれたのかもしれません。しかし、残念ながら今のこの世界には、全知全能の神はもういません。かつて神だった私たち“天人”が居るだけです。


 魔獣が跋扈(ばっこ)する世界。人々も生きることに必死で、自分以外を見ている余裕などないでしょう。


 そう。誰も、この世界で、私たちの歩む道を見ている余裕などありません。


 きっと誰も、私たちのことを知らず、知らないうちにこの命は尽きていることでしょう。


 ――でも。


 それでも。


 たとえこの世界の誰も、私たちを見ていなくても。


 ()()()が見ていてくれるから、私たちは生きた軌跡を残すことが出来るんです。


 今はまだありきたりで、意味も名前もない、無題のままの人生でも、


 いつか、()()()が名前を付けてくれます。


 ですが、もし、私の望みが聞いてくださるなら。我がままになっていいと、言ってくださるのなら。


 もう少しだけ皆と……優さん達と、一緒に歩む暖かな日常を過ごしたいんです。たとえ、いつかは魔獣に命を散らされる運命だとしても。


 ――いつか、私たちの最期を見届けてくれた()()《・》が。


 私たちの過ごした日々に“意味”と“名前”を与え、この人生を『物語』にしてくれるその時までは。


「どうか、物語は、無題の、まま、で……すぅ……」




 溶けるように消えた祈りの言葉。


 カーテンが揺れて月明かりが差し込む。


 再び輪郭を結び、彼我の鏡界がはっきりとした部屋には、もう、少女の静かな寝息だけがあった。

※ここまでご覧頂いてありがとうございました。これにて物語は一区切りです。私の作品の品質向上のために、よろしければ評価や感想をいただけると幸いです。それらを励みとしながら、今後の執筆を続けていけたらと思います。

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