第5話 茜差す空の下
テラス席で会った銀髪の天人との奇怪な現象。その混乱から立ち直った優は、混乱を沈めてくれた張本人であるシアに、改めて向き直る。
夕日に照らされる、シアの白いワンピース。透け感のある黒いカーディガンの袖が、風に揺れる。節約のためにあまり服を買わないシアが持っている、数少ない勝負服でもあった。
彼女が手に持っているトレーには、先ほど見た銀髪の天人が飲んでいたものと同じような、ヨーグルト系の飲み物が乗っている。スムージーだったか、ラッシーだったか、優が思い出していると。
「そ、そんなことより! オホン。……お呼び立てしてすみません」
トレーを手に、最寄りの席に着いたシアが話す態勢を整える。
銀髪の天人がどこへ消えたのか少々気がかりだった優も、今はシアとの話の方が大切だろうと、気持ちを切り替えることにした。
「気にしないでください。大事な話があるんですよね?」
「はい。――私が優さんに使用した、権能についてです」
そう言って、暗み始めた空の下。シアは優に【物語】の啓示と権能について話し始めるのだった。
「俺が“主人公”、ですか?」
彼女の話を聞いた優の第一声だった。
「はい。なので、これについては間違いなく。私のせいで、優さんにはこれからたくさんの困難が降りかかると思います」
シアが選んだたった1人に、主人公としての人生を歩ませる。シアが優を助けるために使用した〈物語〉の効果だった。そのたった1人にだけ、世界を変えてしまうほどの力が集中し、働く。致命傷だった優を治療できたのもそのおかげだとシアは語った。
「主人公に、困難……。まさしく、物語らしい力ですね」
優は笑うが、まだシアの表情は晴れない。
「優さんを助けたい。そんな私の我がままのせいで……。すみません」
出会って何度目だろう。シアが優に頭を下げる。それでもシアは顔を上げて優と目を合わせ、必至に思いを、言葉を紡ぐ。
「ですが私は、誰よりも優さんに、生きていて欲しかったんです。たとえこの先、〈物語〉の権能に制限があるとしても」
「制限、ですか……?」
「はい。先ほど言いましたが、〈物語〉の効果を受けることができるのは、私が選んだたった1人の人物……優さんしかいません」
つまり、神代優という人物が生きている限り、シアはこの先、他の人物に〈物語〉の権能を使うことができない。それが、シアの言う〈物語〉の権能の“制限”だった。
「俺だけが、シアさんの権能の力を……?」
「はい。ただ、その……。優さんの意思を確認せずに巻き込んでしまったので……。改めて、すみません!」
椅子に腰かけたままではあるものの、机に頭をぶつけそうな勢いで頭を下げたシア。そんな彼女の姿に、
「いやいや! 謝らないでください、シアさん!」
思わず椅子から立ち上がって、シアに顔を上げさせる。優としては自分の不手際のせいで格好悪く死にかけ、助けてもらったのだ。シアに感謝こそすれ、非難するのは見当違いというものだろう。
「むしろ、俺の方こそ。貴重なシアさんの力を使わせてしまって、申し訳ないというか、ありがたいというか……」
苦笑しながらそう語る優の言葉に、ようやくシアも顔を上げる。彼女の顔に浮かんでいるのは、安堵の表情だ。
もし優に「勝手なことを」と非難されようものなら、シアは自責の念でふさぎ込む自信があった。もちろん優がそんな人物ではないと頭では分かっていても、どうしても緊張していたのだ。
(やっぱり、優さんは優しい……)
冷たい飲み物が入ったストローに口を付けながら、冷静さを取り戻す。なお、いま彼女が飲んでいる者はスムージーでもラッシーでもなく、バニラシェイクだった。
「シアさんこそ。その……俺で良かったんですか?」
自分も席に戻りながら、貴重な権能の力を使ってもらっても良かったのか。申し訳なさそうに尋ねる優を、シェイクから口を離したシアが慌ててフォローする。
「いえいえっ! 優さんだから、私は権能を――ん?」
そこまで言って、シアはふと。緊張が解け、冷静さを取り戻した頭で考えることになった。
権能を使えるたった1人。その大切で、かけがえのない1人に優を選んだ。その事実と想いを茜差すオシャレなテラスで伝える。これではまるで――。
一気に全身が熱を帯び、誤解されかねない自分の言動を釈明する。そもそも、このテラス席を選んだのは優だと、今のシアに考える余裕はない。
「――え、えぇっと! その! これは何というか、なんということも無くて! だから優さんが責任だとか何かを感じる必要はないです!」
「は、はい……」
慌てたように突然まくしたてたシアに面食らった優も、うなずくことしかできない。
「むしろ私が責任を負うべきですよねっ! こう、何か……何かして欲しいことは無いですか!? 優さんの人生を変えてしまった、せめてもの償いを……」
私にできることなら、何でもします。そう付け加えたシアに、優はその必要が無いことを伝えようとする。
しかし、ふと、考える。償い。シアはそう言った。恐らくこのまま何も提示しなければ、責任感の強い彼女は優に会うたびに罪悪感を感じることになるのではないか。であれば、何か要求をしてあげた方が良い気もする。
しかし、優の中には助けてもらった感謝しかない。彼女の負担になるようなことは、お願いしたくない。
少し考えた末、シアにわがままを言ってみることにした。
「……では、この先。俺にほんの少しでも良いので“期待”していてもらえると助かります。俺が頑張る理由になるので」
無色で魔力も低く、実力も足りない。自身がまだまだ“足りない”ことを知る優にとって“誰かに期待してもらえている”という事実。それは、この先、特派員になるという夢に向かって足掻くときの、何よりの励みになる。
今日、改めて突きつけられた本物の特派員たちとの距離。魔獣との戦闘後だというのに、同級生のために行動する余裕すら見せた憧れの妹との差。自分と違って本当に覚悟を決めていて、前を向いていた同級生たち。
風呂場で感じた覚悟の甘さと無力感から立ち直るためにも、優はそのきっかけが欲しかったのだ。
シアは天人で、とびきりの美人だ。そんな彼女に少しでも期待してもらえると言ってもらえたなら。たとえ現金だと言われようとも、優は頑張れる気がした。
そうして苦笑しながら言われた優の言葉に、シアは。
「……期待、ですか? 私が優さんに、期待を?」
「はい。特派員としてまだまだな俺ですけど、その、頑張るので……」
その綺麗な濃紺が印象的な目を丸くて驚く。自信が無く、後ろ向き。そんなお願いを、まさかあの神代優からされるとは全く思っていなかった。
外地にいる時とは別人のように頼りない目の前の少年。案外、自己評価が低く、気の弱いこの姿こそ、彼の本質なのかもしれない。となると、外地での彼は、自分を、誰かを守りたくて頑張っていただけということになる。
感情が薄く、常に冷静で、的確に指示を出す。そんな人間離れして見えた神代優という少年にもきちんと感情があり、自信を無くすこともある。それでも“理想”であろうと努力するただの1人の人でしかったのだ。
シアの中で神代優という少年の評価が改められる。そして、ただの『格好良く頑張る男の子』でしかなくなった優のお願いに、シアは真正面から答える。
「わかりました、そのぐらいの事、何でもありません! むしろ、期待なんか通り越しちゃって、信頼しています!」
彼女にとって優は既に頼れる存在なのだ。しかも、自分が優を信頼していると気づかせたのは、優自身だというのに。
「なのに、その優さんが期待して欲しい、なんて……。それに、外地にいる時とのギャップが、可笑しくて……ふふふ」
「それは、なんというか……」
目線を逸らしてしどろもどろに答える優がさらに可笑しくて。
「もう、無理、です……ふふっ、あはははっ!」
そうして、もうすぐ見えなくなる太陽の、その最後の光を浴びながらお腹を抱えて笑うシア。
「ぁ……」
初めて見る、シアの、心から笑った姿。目端に光る雫を溜めたその笑顔は美しく、可愛く、何よりもきれいに見えて。優は思わず息を飲む。
そんな彼女に信頼していると。そう、恥ずかしげもなく言われた言葉が嬉しくて。同時に、揚げ足を取られる形になったのに、シアに見惚れている自分が無性に恥ずかしくもあって。
「……笑い過ぎです」
せめてもの抵抗として優は格好悪く、愚痴をこぼすことしかできなかった。
そうして、茜差す空の下。優とシア。2人の間に権能という名の強固な絆が結ばれる。“選んだ者”と“選ばれた者”。その何物にも代えがたい関係に2人が悩むことになるのは、少し先の話――。




