第3話 独白
波乱が続いた9期生の外地演習。今回は死者6名、重軽傷を多数出す結果となった。ただ、その原因は、魔獣との戦闘ではなくマナの爆発の衝撃によるものだ。
終わってみれば、飛散したハエの魔獣それ自体の脅威度は、低かったことが判明したのだった。
その点、9期生の多くがこの時期に魔獣との戦闘を経験したこと。また、早い段階で“死”を感じ、特派員になることを再考する機会となったこと。その2点において、今回の演習は貴重な体験となる。
人としても、特派員としても、9期生は大きな経験を積むことができたのだった。
そうして終わりを迎えた、2回目の外地演習。
教務棟のそばに併設された保健センターで診察を受け、外傷・内傷ともに問題なしと医師の診断をもらった後。
帰寮してすぐ、優はユニットバスで自身の泥と不甲斐なさをシャワーで洗い流していた。
「北村が、死んだ……っ」
風呂という、誰も見ていない空間。
優は後頭部にシャワーを浴びながら、つぶやく。バスタブの排水溝に泥が流れていく様が、よく見える。
北村秀は、優のクラスメイトだった。今朝。久しぶりの登校に緊張していた優に、笑顔で手を上げてくれた友人の1人でもあった。
いわゆるお調子者と呼ばれる人種の北村は、グループワークなどで真っ先に軽口を言って、グループ全体の雰囲気を良くできる。こと集団行動においては重宝されるタイプの人物だった。
そんな友人が、魔獣の爆発の余波で木々に叩きつけられ、あっけなく死んだ。直前まで、自身の所属するセルのメンバーが事態を重く捉えないよう、軽口を叩いていたらしい。
「本当に、北村らしい……──ゔっ」
改めて特派員と“死”との距離が近いことを見せつけられた気分になる優。同時に、魔獣を見ても、死体を見ても感じなかった嘔吐感が不意にこみ上げ、バスタブのすぐ横にあったトイレに吐き出す。
ひとしきりいの内容物を吐き出して立ち上がろうとするも、
「……くそっ」
手足に力が入らず、ドンと冷たい床にしりもちをついてしまう。
もし部屋に誰かいれば、何事かと心配させていただろう。場合によっては、この場に飛び込んで来たかもしれない。
(こんな格好悪いところ……。人様に見せられるわけないよな……)
優は入寮以来初めて、個室であることに感謝することになるのだった。
格好良い自分で居たい。
理想という仮面をつけていた自分はもうどこにもいない。ここにはただ、無力で、死の恐怖に腰を抜かす、ありのままの自分だけがいる。
(こんな格好悪い状態で、シアさんに会って良いのか……?)
ぼんやりと浴室の天井を眺めながら、優は少し前の出来事を思い出す。
それは、演習後、点呼を終えて解散する流れになったときのことだ。保健室に向かおうとした優を、仕上がりに止めたのだ。そして、
『この後、少しだけお時間いいですか? 大切な話があるんです』
神妙な面持ちでそう言ってきたのだ。
それに頷きを返した優はこの後、彼女と3カフェで会うことになっていた。
(大切な話、か……)
格好悪い自分から目を逸らすように、バスタブに背を預けた姿勢で、ぼんやりと思索にふける優。
シアの言う大切な話が何なのか。優はまだ、見当がついていない。
常時であれば高校生らしく告白だろうかと邪推することもできたが、今はとてもそんな気分ではない。シアも、同級生が死んだすぐ後で青春をするほど能天気な性格をしていないだろうことは、短い付き合いだが何となく分かっていた。
(となると、演習時の戦闘のおさらいか? だが、別に今、急ぐ必要もない気もするが……)
いずれにしてもこの後、人に会うのだ。いつまでもこんなところで震えて、情けない姿を晒しているわけにはいかない。
そう頭では分かっていても、森でハエの魔獣を前にしたあの時と同じで、優の体は動いてくれなかった。
「……仕方ない」
こうなった以上、優は少し立ち止まって、自分と向き合うことにする。中学生の時にあった“暗黒期”のおかげで、彼は自分を客観視することも得意になっていた。
今は誰も見ていない。魔獣もいない。心の整理をするだけの時間はある。シャワーがバスタブをたたく音をBGMに、腕で視界を遮ることで、優はより自己分析に集中し始めた。
(自分……というより、見知った誰かが死んでしまう恐怖で今は体が震えている)
今日ほど死を近くに感じたことはなかった。その恐怖が、今の優の中にある。
また、今日は理想と現実の差を多く実感した。本当に届くのだろうか、という不安もあることに、優は気付く。
あるいは、魔獣のせいで友人が死んだ。その喪失感も、怒りも、わずかにある。
それらの感情が、戦闘の興奮と生き残ろうとする使命感から覚め、その恐怖が蘇ってきているのだろう。
優は自身の現状をそのようにまとめる。すると、少しだけ気分が軽くなったのが分かった。しかし、まだ優の臆病な手足は言うことを聞いてくれない。
「……結局は、いつものヤツ、なのか」
視界を遮る腕をどけた優は、遠くで暮らす親の言葉を思い出す。
『困ったら、立ち止まっても、逃げてもいい。何がしたいのか、どうなりたいのか、自分に聞いてみろ。それで俺は、可愛い母さんを捕まえた。そうしたら優と、これまた可愛い天が生まれた。いいことづくめだろ?』
それは、母と妹ばかり溺愛する父親・浩二の数少ない教えだ。
のろけでもあるその言葉を、優は何かに悩むたびに思い出すようにしている。程よく緊張がほぐれ、目的が明確になるからだ。
そして、自分はどうなりたいのか。自問する。けれども、優の中でいつも答えは変わらない。
──ヒーローのように人々を守り、助け、誰かに誇ってもらえるような、格好良い人間になること。
そうして自己分析をして進みたい道が見えてくると、ようやく、優の体に感覚が戻ってくる。ついでに寒さを思い出したらしい身体がくしゃみを誘発しする。その反動で体が跳ね、自由に動くようになるのだった。
「……ここまでしてようやく、か。ほんと、情けない……。馬鹿野郎、だよな」
くしゃみをした父親の口癖を真似しながら立ち上がった優は、改めて、熱めのシャワーで冷えた体を温めなおす。
(“足りない”俺に、自嘲している時間なんてない。反省をして、あとは前を向くことだけを考えろ)
やがてシャワーを浴び終えた彼が、体を拭きながら洗面台の鏡をふと見やれば。そこには、ほんの少しだけ“マシ”になった自分の顔があったのだった。




