第2話 必要な儀式
もっと早く権能を使っていれば、間違いなく、犠牲は少なく済んだ。そんな天の糾弾をシアは肯定してみせる。
自分の甘さのせいで、あなたの知人が死んでしまったかもしれない。そう言っているに等しいシアの言葉に、学生たちは黙り込む。
痛いほどの静寂が、戦闘の爪痕が残る運動場を満たす。視線を向けられることに慣れているシアでさえ震えそうになるほどの視線を、肌で感じる。
今すぐ逃げ出したい。今すぐ消え去りたい。そんな弱気を、シアは胸元で握った拳で握りつぶす。
つい先ほど、叶えたい夢ができた。人々の最前線に立ち、導けるような。そんな、大好きな物語に出てくる運命の女神のようになりたい。なるのだと、決めたのだ。
自身の非を認めず逃げ出すような人物に、一体どれくらいの人々がついてきてくれるだろうか。傷つくことを恐れて嘘をつく神を、誰が信じるだろうか。
自分は、たとえどれだけ非難されようとも、罵詈雑言を浴びせられようとも、ここに立っていなければならない。
(私は、変わらないといけないんです……!)
この糾弾の場は、なりたい自分を見つけて変わろうとするシアにとっての、ある種の禊なのだった。
ただ、さすがに人々の怨嗟がこもった目を見る勇気だけは持てずに目をつぶってしまうのは、ご愛敬かもしれない。
そうして目をぎゅっとつぶって、断罪の言葉をその身に受ける姿勢を取っていたシア。彼女の耳が最初に拾ったのは、
「(あ、あれ……!? 私の想定と違う……!?)」
真正面。天が発した、焦ったような囁き声だった。
「……え?」
「(シアさん! なんで、『うん』って言っちゃうかな!?)」
今度こそ小声でシアを糾弾する天。彼女は、シアが否定する、もしくは何も言わないと思っていた。その前提で考えた今回の芝居だったのだが、先のシアの答えによって全て水の泡になった。
「(え、えっと……? 私、なにかしてしまったんですか)」
「(した。めちゃくちゃ余計なことした。……もう〜、バカ)」
「(ば、バカ!? さすがに聞き捨てなりません! どのあたりがどうバカだったのか、説明を求めます!)」
「(相変わらずめんどくさいな!? バカ真面目だって言ってるの! ってかどうするの!? このままじゃシアさんにみんなのヘイトが――)」
「シアさん、それに天も。落ち着け」
小声で何か言い争いをしていた女子2人を、学生たちが黙って見守ることしかできない中、シアのセルメンバーであり、天の兄でもある共通の知人――優が間に割って入る。
「……兄さん、邪魔しないで。今、シアさんを問い詰めてるところだから――ぁ痛っ!」
うろたえた様子から一転。兄である自分を睨む天に、優は優しく手刀をかました。
「悪者になろうとするな、天。今回も前回も。誰も悪くない。強いて言うなら、魔獣が悪い。それだけだ」
「そんなこと、私だってわかってる。だから、みんなも黙ってるんだと思う。……でも──」
優も学生たちも、続く天の言葉に耳を傾ける。
「──仲間が、友達が、好きな人が死んだ人もいるんだよ? 魔獣のせいって言っても、復讐のチャンスはもう無い。やりきれない想いも残るはず。その怒りの行き先は、さっきみたいな疑問と一緒にシアさんに行くかもしれないじゃん!」
少しずつ語気を強める天。それでも優は聞く姿勢を崩さない。このままでは大好きな妹が、今回の演習での“悪者”になりかねないからだ。
誰かのために。
今回であれば、大切な人を失った学生たちのために行動する。それをいとも簡単そうに体現する妹は格好良く、だからこそ、優は尊敬もしている。
しかし、天自身は頼られることに慣れてしまい、頼ることをしない。しかも、大抵の期待に応えるだけのポテンシャルを持ってしまっている。結果、全て自分で解決しようとし、自分自身の痛みにとても鈍くなってしまった。
なんでもできるからこそ、1人で解決しようとする。時に自己犠牲の意識すらなく、自分を犠牲にして、他者を救おうとする。その天の悪癖は、数少ない彼女の短所であると優は思っている。
つまるところ、天は自分以外を弱い者、守るべき者と考えている。一方的に頼られ続けてきた天は、無意識に、他者に期待することができなくなってしまっているのだった。だからこそ──。
「だったら! 私がみんなから攻撃されるようにした方が何かと楽なの! そうしたらシアさんも……って、やっちゃった……」
天はシアが人々の非難に耐えられる人物ではないと思っている。授業で好奇の視線にさらされて青ざめる。そんな気弱な人が、憎悪の込められた視線や言葉に耐えられるとは、とても思えなかった。
(けど、私だったら、耐えられる)
ならば、無実のシアをあえて攻撃して、人々の非難の的を自分にした方が対処しやすく効率的で、全てを丸く収めやすい。そう考えての今回の芝居だったが、ここまで言ってしまってはもう、意味がなかった。
「しくじっちゃったなぁ……。ここからどうやって――んにゃ?!」
「天さんっ!」
どうやって学生たちの負の感情を鎮めようか。おくれ毛を指で遊ばせながら計画を練り直す天の小さな身体を抱きしめる影があった。
「シアさん!? 苦しい……んだけど――」
「そうならそうと、言ってください! 分からないじゃないですかっ!」
先ほどの「もっと早く権能を使えばたくさんの人が救われたのでは?」という発言が、自分を助けようとする試みだとようやく理解したシア。
同時に天が、自分が悪者になることでシアを助けようとしていたことも知る。そんな彼女の優しさが嬉しくて、つい抱きしめてしまったのだった。
「……言ったら意味無いじゃん。だから言わないようにしてたのに……って、ほんとに苦しい……死んじゃう」
抱きしめるシアの腕を叩いて、限界であることを示す天。それを受けて、ようやくシアも天を解放する。
死ぬかと思った。そう言って粗く息を吐く天を見つめて、シアは強気に笑ってみせる。
「な、舐めないでください! 私なら大丈夫です! もう、自分の足で立つ覚悟を決めましたから!」
天の手助けなど必要ないと言うように、笑顔を浮かべたシア。
「……ほんとに。ここに来るまでに、何があったの?」
運動場から弾き飛ばされて今まで、1時間も経っていない。たったそれだけの時間で、ここまで人は変われるものなのか。
珍しく余裕を失っていたらしい天を微笑ましく思いつつ、優も言葉を続ける。
「……俺も友達が1人死んだ。もっと親しい人が死んだ人もいる。それでも特派員の道を選んだ以上、俺も、死んだ人も。多分みんなも。ある程度は覚悟していたはずだ……と思う」
他人の思いを語ることに傲慢さを覚えた優。そのせいで最後の方は弱気になった彼の言葉に、しかし。
「そいつの言う通りだ! 俺のケガは俺の弱さのせいで、俺の責任だ! 勝手に背負うな!」
足を木の板で固定している男子学生が声を上げる。それに続いて、
「そうです、悪いのは魔獣ですよ!」
「シアさんも、天ちゃんも、悪くない! 友達とか抜きにして、本気でそう思う!」
そうだ、そうだと賛同し、擁護する声が広がって行く。
やがて、そもそもしょぼくれているからこんなことになったという話になり、どうして生き残ったことを喜ばないのかという声が上がり始める。
前を向こうとする彼らの前には、“悪者”などいない。そもそも、必要ない。
大切な人を失った悲しみや怒り。生き残った喜び。それらの想いは全て、魔法を強化する糧になる。
しかし、出来ることならば。優は周囲の人々も含めて、“楽しい”や“嬉しい”といったプラスの感情を糧にしてほしいと思う。
「今はみんなで生き残れたことを喜ぼう。天も、シアさんも。だろ、春樹?」
「ん? お、おう。そうだな! 良いこと言うな、優!」
優の確認に、そう歯を見せて笑った春樹。思えばこういった人間関係の調整は春樹が得意とすることだったはずだ。
「……春樹、何かあったのか?」
「いや。ちょっと疲れてたのかもな。気にすんな!」
無理をしているようにも見えなくはないが、そんなものかと納得しておく優。代わりというわけでは無いが、まだ表情が晴れない天に聞いてみた。
「そう言えば天、シアさんにもう1つ何か聞こうとしてなかったか?」
「あー……、それは大丈夫。多分、わかったから」
あの時、天が聞こうとしていたのは、どうして優を権能の対象としたのか。兄の死を願ったのか。
しかし、よく考えると。先週の女子会や今朝の反応などから見て、シアが優を殺そうとしたとは思えない。
そして先週は、覚悟が足りずに使わなかったという権能。それを使わせるほどの心境の変化をもたらしたのは、間違いなく兄だ。
それほどまでに、シアの中で兄の存在が大きかったと言える。
と、なると。無意識かどうかは不明だが、権能を使う時に優を想像、もしくは気にしていたと思われる、その理由は──。
天の中で導かれる答えは1つしかない。そして、それを当人の前で聞くのは、無粋というものだった。
「そうか? ならいいが」
そう答える兄は気づいているだろうか。優自身が思っている以上に大きな影響を、シアという1人の女の子に与えたのだということを。
天は思う。人は理屈ではなく、感情で動くのだ。たとえ今回出た犠牲がシアのせいではないと理屈では分かっていても、各々の感情がついてくるかは別の話だ。
シアに感謝を告げる学生たちの背後には、沈痛な表情で下を向いたままの学生たちも少なからずいる。
今回は、シアが天の予想を超えたせいで失敗に終わったが、やりきれない彼らの暗い感情を昇華・発散させる、ある種の儀式は必ず必要になる。
天は兄のように、理想に生きることはできない。けれども、そんな自分だからこそ、理屈っぽいくせに理想家の兄を支えられてきたとも思っている。
(いや、もうほんとに。これからのこと、どうしよっかな?)
特派員になるという兄の理想を叶えるべく。今後について、天は静かに思考を巡らせていた。




