第11話 理想と現実
シアが使おうとしている権能の効果や範囲がわからなかったため、ひとまず近くの木陰に隠れた優は戦況を俯瞰的に見ていた。
と、シアがまさにいま対面している魔獣――相原を食べ、頭が無い人のようになった魔獣──の首から胸、股間にかけて、切れ目が入り始めた。鋭い歯とよだれが糸を引きながら、割れ目が広がって行く。それはさながら、ジッパーを開いていく様に似ている。
やがて完全にジッパーが下り切った時。人型魔獣のお腹に当たる部分には、人1人を簡単に飲み込んでしまうほど大きな口が開かれるのだった。
『ぬちゅ……ぬちゃ……』
腹部の口で何かを咀嚼するような動きを見せた魔獣は〈魔弾〉を使用する。身体の左右に2つずつ、計4つの真っ黒なマナの塊が出来上がる。バレーボールほどの大きさがある〈魔弾〉に当たろうものなら、間違いなく致命傷を負うことになる。
一方、魔獣を前にあまりに隙だらけで集中しているように見えるシア。
「シアさん、敵の攻撃が――」
優が警戒のために何度名前を呼んでも、聞こえていない様子だ。あるいはこれも、天人である彼女の考えの1つなのかもしれない。少し前の優であれば、そう考えていただろう。
（でも、あの、シアさんなんだよな〜……）
たとえ付き合いは短くとも、シアには少し抜けたところがあることを知っている優。先ほど余裕が無い様子で離れるよう指示を出していたこともあって、優は隙だらけに見えるシアが本当に隙をさらしているのではと不安になる。
（もし、俺の不安が的中しているなら、今こそ借りを少しでも返すチャンスだ）
このままではシアに4つの〈魔弾〉が直撃する。1つでも、骨折や四肢欠損など、大きなダメージになる黒いマナの塊。それが複数個被弾すれば、確実に死んでしまうだろう。
そうなる前に、たとえシアの権能に巻き込まれようと、彼女を攻撃の範囲外に逃がす。その手立てを優は考える。
（魔力も、力も無いなら、せめて考え続けろ）
そう自分に言い聞かせて、必死に思考を巡らせる。
捨て身、というわけにはいかない。もしシアを助ける代わりに自分が死んでしまうようなことがあれば、シアはまた、自責の念に囚われてしまう。最悪、強い責任感の果てに、自ら死んでしまうかもしれない。
そうならないよう、自身もシアも生き残る最善の道筋を描き、優は木陰から飛び出した。
「神代優！ シア様の邪魔をしてはいけません！」
「シアさんなら大丈夫だよ！」
三船と木野が、シアに向けて駆けだした優を制止しようとする。三船と木野は、シアは天人だから大丈夫だ、何か考えがあるだろうと、信頼していた。
しかし、と優は内心で首を振る。彼女たちの言う通り、邪魔になるかも知れない。優のせいで権能が失敗するかも知れない。それでも優は、命の方が大切だと言い切ることが出来る。
1人でも多くの人を助ける。自分の手が届く範囲で誰も死んでほしくない。そんな自分のエゴを押し付ける行為だと分かっていても、優は足を止めない。己が理想を追い求める、格好良い存在であり続けるために。
「シアさん！」
叫んだ優はありったけのマナを足の〈身体強化〉に込め、シアをめがけて跳ぶ。
「――〈運命〉」
シアが世界を変える魔法――権能を使用したのはその時だった。
静かな水面に一滴の雫が落ちるように。シアを中心に白いマナの波動が森を駆け抜ける。それは一見すると〈探査〉と同じように見えた。ただ、ほんの一瞬、時間が止まったような感覚が範囲内にいた人々にはあった。
しかし、それだけだ。目に見える変化はない。
魔獣の放った〈魔弾〉は変わらずシアに迫っており、シアはそれに気が付いていない様子。優はただその2つだけを確認した。ゆえに動きを止めることなく、むしろ加速して、
「すみません」
「え――きゃっ！」
短く断りを入れた後、優はシアに飛びついた。
驚いて体勢を崩すシアに悪いと思いながらも、正面から抱き合う形をとらせてもらう。優も思春期の男子学生だ。これまでの人生でいくら恥を捨ててきたとはいえ、常であれば赤面の1つでもしただろう。
しかし、今は危機的状況の真っただ中だ。彼の中にある格好良くありたい。人を助けたいと願うその想いは、優から恥と言う感情の一切合切を捨てさせていた。
（あとは、シアさんが戦闘を続けられるように……！）
優はシアの頭を左腕で、肩を反対の腕で抱く。そして、ヒーローに憧れた優のほんの少しの意地と、後の戦闘で主力になるシアがケガをしたり泥まみれになったりして動きが鈍らないように。
彼女を抱いたまま空中で身をひねり、優が下敷きになる形で倒れることができるよう仕向ける。その最中、極限に集中で簡単に感じる世界で、優は奥歯を噛み締める。
（俺にもう少しだけ、魔力があったら）
盾のようなものを〈創造〉し、強化した身体能力で魔獣の〈魔弾〉を防ぐという方法が、優の考え付く限りの最善手だった。
しかし、残されたわずかなマナの量から考えると、〈創造〉を使用できるか怪しいラインだった。そのため、結局はこうして抱きついて、泥臭く助ける方法しか選べなかったのだった。
踊るように立ち位置を入れ替えた優とシア。結果的に、優がシアを抱えながら後ろに倒れこむような形になる。
感覚が加速した世界で、光球と呼ぶには禍々しい黒色の〈魔弾〉がシアの背後を通り抜けたことを優は確認した。
（──良かった。無事に回避することはできたな）
あとはジョンの弟を助けた時と同様に、衝撃に備えて〈身体強化〉を背中に集中させるだけだ。そう思って体内のマナを操作した瞬間、
「あ、れ……？」
優の全身を、強烈な脱力感が襲った。思考がまとまらず、マナをうまく操作できない。それどころか視界が一気にぼやけ、徐々にブラックアウトしていく。
「最、悪だ……」
自身に何が起きたのかを、優はすぐに察した。
人はマナを使い過ぎると昏倒してしまう。『魔力切れ』と呼ばれる現象だ。
度重なる〈探査〉とハエの魔獣との戦闘によって、優自身が思っていた以上に、マナを使ってしまっていたのだ。加えて、シアを助けようと足の強化にマナを込め過ぎたのだった。
（これが、現実か……）
理想を追い求め、努力し続けた日々。その結末が、魔力切れ。生まれ持った才能による、どうしようもないほどの、努力の限界だった。
こうして優は、強化した脚力の勢いのまま、今度は強化無しの身体で受け身を取ることになる。しかも今回はシアを抱きながら後ろ向きに倒れている。背中や首をおそうだろう衝撃には、シアの体重も加わることは間違いない。
幸い、地面は雨に濡れておりぬかるんで柔らかくなっている。多少勢いをごまかすことはできるが、まず間違いなくただでは済まなかった。
近づいて来る地面を視界の端に捕らえながら、それでも優は冷静に考えていた。
（もう少し早く、〈探査〉を他人に任せておけばよかったのか？）
あるいは、なりふり構わずシアが下になる形で助けるべきだったのか。
後悔しそうになる心を、ほかでもない、優自身が否定する。そんな“仮定”に意味はないからだ。
今ここには、助けたい人――シア――を助けることが出来たという、望み通りの“結果”がある。その結果には間違いなく、一瞬の判断やシアの人となりの把握など、自分がこれまで積み上げて来たものが生かされているはずだ。そのことに目を向けないで、あまつさえ否定する必要などない。
（だから、前を向け。視野を広げて、考えろ。……諦めるな）
あとは最善の結果を求めて。自分が死なないという前提を達成するために、格好悪くあがくだけだ。
気を抜くと顔を出す弱気を抑え込むために、優は生きる理由を探す。
（例えば……。そう、天たちだ）
天と春樹の無事をまだ確認できていない今、万が一にも2人が自分を必要とするなら、駆けつけなければならない。
他にも両親たち。魔獣あふれる世界で、優や天に目いっぱいの愛情を込めて育ててくれた。その恩を、まだ優は返せていない。
天と春樹の顔を見るまで、家族や友人を守る特派員になるまでは、絶対に死ぬわけにはいかない。
（俺も、シアさんのことは言えないな……）
シアに傲慢だと言おうとした手前、自分も大概傲慢だ。そう、優は苦笑しながら、抱いているシアの頭越しに雨空を見上げる。
完全に身体が上を向いてしまったために、もう地面は見えない。それでも優は生き残るために、怪我を和らげるために、着地に合わせて優は受け身を取ろうとする。
しかし、武芸の達人ならまだしも、優はあくまでも一般人でしかない。とっさの思い付きの行動が、うまくいくはずもない。
現実は、甘くない。
「──ぐぅっ、がはっ」
優の背中を押そう強い衝撃。彼の体の中で、バキリと嫌な音がする。鼻からは鉄のにおいが抜け、肺が、溜めていた空気を全て吐き出そうとした勢いで喉が鳴る。
優の身体が、地面を跳ねた。が、不思議と、痛みはない。
シアを手放さないよう、腕に力を込める。目に映るのは日の光が届かない空の下でも輝いて見える、シアの黒い髪。そして、雨に濡れた寒さで赤く染まる可愛らしい耳と、つむじだ。
（シアさんは、大丈夫なのか……？）
きちんと自分はシアを助けることが出来たのか。それを確認するまで、自分は死ぬわけにはいかない。
憧れる存在の1人になったシアに、もう二度と「自分のせいで」なんて言わせたくない。
（生きない、と……──）
そんな優の決意は、物語であれば奇跡を生んだかもしれない。
が、悲しいほどに現実は過酷だ。人の願いも想いも、その多くが語られることなく無意味に葬り去られる。
背中に続いて後頭部を強打した優はシアを抱いたまま地面を滑り、やがて、動かなくなった。
