第1話 『国立第三訓練学校』
改編の日から10年が経った。
ゴールデンウィークとともに4月が終わった5月の頭。中学を卒業した優は、地元大阪の南東端。奈良県との県境の山の中にある全寮制の『国立第三訓練学校』――通称、第三校の学生寮にいた。
1学年100人。入学時、その全員に個室が与えられ、学内にあるコンビニや、山を少し下った所にあるスーパーを利用しながらの自炊生活が主となる。
「くわぁ……。ふぅ……」
朝。携帯のアラームで目を覚ました優は、大きなあくびを1つ落とす。寝癖のついた耳にかかるぐらいの黒髪をひと撫でして虚空を見つめる。
「よしっ」
ベッドが恋しくなる前に手早く立ち上がった優はユニットバスに行き、シャワーを浴びる。1日が始まるのだと体に合図する、中学からの習慣だった。
5分ほどで風呂を出た優は風邪をひかないよう体をよく拭いて、一度、部屋着に着替え直す。ここからは朝の準備だった。
前日コンビニで買っておいたパンをレンジで温めながら、乾いた喉を潤すために冷蔵庫を開ける。風呂上がりに飲むお茶のおいしさは格別だと軽やかな気持ちで冷蔵を空けた優だったが、ペットボトルには申し訳程度のお茶しか残っていない。
「買い忘れたのか……」
少し前までは母親が沸かしたお茶が当然のようにあって、4人掛けの机には温かな料理が並んでいたのに、今は食事から選択まで全てを1人で行なわなければならない。
家族というもののありがたみを感じつつ、優は残ったお茶をコップに移して小さな丸テーブルに置く。その流れでベランダに続く窓のカーテンを開けると、
「曇り、か……」
期待していた朝日は無かった。何とも締まらない一日の始まりだと優はあくびを噛み殺す。と、その時、レンジが鳴った。味の濃い総菜パンを取り出し、食べる。
静かな部屋。自分が咀嚼する音がいやによく聞こえる。15年以上家族と暮らしていた優にとって、寮で迎える1人の朝は少し寂しい。ゴールデンウィーク中に実家に戻っていたために、その寂しさも入学当初、感じていたものに近かった。
それでも、特派員になるため、全寮制のこの学校を選んだのは優自身だ。
「……よし」
1人気合を入れて、身支度を整え始める。歯を磨いて外着に着替え、今日の授業で使う教材、資料、ジャージがいるかなどを確認し、必要なものをリュックに詰め込む。
玄関横の壁にある姿見で最終確認をして、
――行ってきます。
心の中で呟いて、優は第三校へと向かうのだった。
優が通う第三校含め、国立の訓練学校は全国に7つ存在する。
そこは魔獣の駆逐を専門に行なう特別魔獣討伐派遣人員――特派員を育成することを目的に作られた、国の研究機関だ。また、魔獣・魔法に関する最先端の研究が行なわれ、最新の知識を学ぶことが出来る、3年制の教育機関でもあった。
「優、はやく次のとこ行くぞー」
授業終わり。瀬戸春樹が、座ったまま動かない優に声をかける。
優と春樹は小学校からの幼馴染だ。16歳の平均身長を地で行く優より10㎝ほど背が高く、中学ではサッカー部に所属していて、体も引き締まっている。
運動の邪魔にならないよう、自然に立つぐらいに切られた黒髪はまさに運動部系の好青年といった感じだ。
将来の夢が決まっていなかった春樹は、どうせなら優と一緒の所に行くかという軽いノリで第三校に来たのだった。
「あー、ちょっと待ってくれ。ついでに、次なんの授業だ?」
「『魔法実技Ⅰ』な。ちょっと急ぐぞ」
春樹の言葉に頷きを返し、優は荷物をまとめ始める。優たちが今居る建物と着替えを行なう体育館はかなり距離がある。移動のための休憩時間が15分あるとはいえ、着替える時間も考えると少し急ぐ必要があった。
「それにしても優。お前、授業聞いてたか? 特派員免許、取れないぞ?」
呆れ顔の春樹が、優をたしなめる。今の授業、少しぼうっとしていた優は、授業をしていた女性教員に注意されていたのだった。
なお、春樹が言った特派員免許とは、魔獣と魔法の知識を持っていると国が認めた証だ。これがあれば、特派員として国から認められ、魔獣を討伐すれば給金がもらえるようになる。
現代では特派員免許を含む一部の免許が無ければ、魔獣の襲撃などの緊急時、もしくは学校の授業等以外で魔法の使用が原則禁止されている。そうして管理しなければならないほど、魔法とは危険な力だった。
「これからは気を付ける。注意されるのは、格好良くはないからな」
自分でもしっかり反省しつつ、荷物をまとめた優は席から立ち上がった。
「格好良いか。優は変わらないな」
小学校の頃から変わらない優に、春樹が苦笑する。
今でも心の中ではヒーローに憧れている優。その影響もあって、彼は大まかに格好良いか、良くないかで物事を判断するようにしていた。節度と常識を持って、余計な感情とプライドを捨てれば、人助けやボランティアというものは存外できるものだった。
――偽善とわかっていても、誰かを助けられるような、誰かに誇ってもらえるような、格好良い人間になりたい。
例え誰に笑われようと、青臭いと言われようと、優はそうありたいと今も思っている。特派員は優にとってまさに、理想の体現者だった。
また、何より優にとって重要なこと。それは、妹であり、人としても、同じ特派員候補生としても尊敬している天の存在だ。彼女にだけは絶対に、見限られたくなかった。
「天に見損なわれるのは嫌だしな。想像すらしたくない……」
「毎度のことだが、優は天のこと好き過ぎな。このシスコンめ」
「まあ、可愛い家族だからな」
大好きな妹のことを想いながら曇り空を見上げる優。その瞳に満ちる感情は、愛情というよりは“憧れ”に近いものだった。
そうして駄弁りながら速足で歩くこと、数分。
優と春樹は着替えを行なう体育館に着いていた。いつもはクラスを4つに分けて行なわれている授業だが、これから始まる『魔法実技』の授業だけは学年全員――100人が同じ授業を受けることになっていた。
「相変わらず、すごい臭いだな」
更衣室に入るなり、優はげんなりした顔で愚痴をこぼす。第三校はかつてここにあった学校を再利用している。体育館もほぼ当時のままで、シャワールームが併設された更衣室は湿気がすごく、かび臭い。
優としてはあまり長居したくないため、さっさと運動着に着替え始める。
――やっぱ、みんなも長袖か。
チラリと同級生たちの姿を見た優が内心でこぼしたように、学生のほとんどは、長袖長ズボン姿だ。木々が生い茂る森での外地演習と事前に聞かされていたためで、優と春樹も例にもれず、中学時代のジャージを着ていた。
手早く着替えを済ませ、荷物と共に携帯を体育館においてある金庫に預ける。普通の携帯は雨や戦闘の衝撃で簡単に壊れてしまう。買い直す費用と手間を考えると、持って行かない学生の方が多い。そう、優は信じている。金欠なのは自分だけではないはずだ、と。
「よっし、行くか、優!」
ぐっと背伸びをして言った春樹に続いて、優も薄暗い体育館から隣にある運動場へと移動する。今までは中学校で行なっていた『体育』や『魔法』の授業に近い内容ばかりが行われていた魔法実技の授業。
しかし、今日からは『外地特別演習』と銘打って、少しずつ外地――魔獣が駆逐されていない場所――で魔法を使う訓練が行なわれることになっていた。
つまり、いつ魔獣と出くわしてもおかしくないということ。同時に、そこで起きる全ては自己責任となる。
「頑張ろう、春樹」
「おう」
例年、この授業中に多くの死者が出る。一度の失敗が、そのまま死に直結する。そんな緊張感に満ちた授業に向けて、優と春樹は拳を合わせた。