第9話 接敵
2023/04/02 修正・改稿。
内地に帰るまで、協力を申し出てくれた三船美鈴と木野みどりの女子学生2人。
しかし、彼女たちの協力を得るにあたって優には確認しておかなければならなかった。
「――大丈夫なんですか? 予め言っておくと、俺のマナは無色です」
三船と木野がよく行動を共にしている首里朱音は魔力至上主義者だ。魔力至上主義者にとって、総じて魔力の低い無色は軽蔑の対象でもある。
そんな人物とセルを同じくしているのだ。三船と木野も魔力至上主義である可能性は十分にあった。
そうでなくとも、無色は敬遠されることが多い。実際、優が無色だったことが決定打となり、森で出会った同級生――相原との交渉は決裂している。
表情こそ変わらないが、緊張を声に乗せて無色であることを告白した優。
彼の言葉に一度顔を見合わせた三船と木野だったが、すぐに優に向き直った。そして、
「……少なくとも神代優。あなたなら、信頼しても良いと思う」
三船が眼鏡の奥にある瞳のまなじりを下げて言う。同様に木野も、
「私も助けてもらって警戒するとか、そんな恩知らずにはなりたくないよ!」
茶色いボブカットの髪を揺らしながら、はつらつとした表情で笑う。それぞれが内地までの道のりを共にすると言ってくれ、警戒ではなく笑顔を見せてくれたのだ。
(……ああ、そうか)
優は改めて、信頼は行動で勝ち取るものだと実感する。今回は、三船たちを助けられたからこそ、優は彼女たちの信頼を勝ち取ることが出来た。
しかし、それは、優だけでは成しえなかったことでもある。
「ふふ、良かったですね、優さん。私も嬉しいです!」
そう言ってくれるシアがいるから魔獣を倒し、彼女たちの信頼を得ることが出来ている。
「シアさんのおかげですね。ありがとうございます」
「ぅえ!? わ、私ですか……? えぇっと、私、何かしましたっけ……?」
前回・今回の魔獣討伐と言い、無色を気にしないその態度と言い。目の前の天人には借りを作ってばかりで、なかなか返すことができていない。
果たして自分はシアに何ができるのか。何をすれば、恩を返すことができるのか。優が考えようとした、その時だ。
どこからともなく、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「み、みみ見つけけた。かみみみしろゆう」
優の名前を呼んで木陰からよろよろと姿を見せたのは、先ほど決別したばかりの相原だ。しかし、明らかに様子がおかしい。
そもそも優が〈探査〉で調べた限り、周囲には小さい魔獣数体とセルを組んでいると思われる人が2人いただけだった。相原が2人のうちの1人だったとして、もう1人はどうしたのだろうか。
「木野さん、早速〈探査〉をお願いしてもいいですか?」
「え? う、うん……」
きれいに整えられた芝生にも似た若草色のマナが広がって行く。
「神代ろろろ、かかみししろゆううう」
その間、相原は壊れたラジオのように繰り返し言っては、よろよろと近づいて来る。気のせいかぐちょぐちょと。湿り気を帯びた何かを咀嚼するような音も聞こえてきた。
「……あれ?」
〈探査〉をしていた木野が怪訝そうにしている。自身の嫌な予想が当たっているかもしれない。嫌な汗をかきながら、優は木野に尋ねる。
「どうでしたか? 周囲に人は?」
「うん、えっとね。人は少し遠くに何人かいるけど……目の前にいるのは魔獣だよ? でも多分、うちの学生さん……だよね?」
木野が〈探査〉の結果を曖昧に告げた時だ。相原が白目をむき、言葉を発しなくなる。やがてドサッと音を立てながら、相原が受け身も取らずに倒れた。
前のめりに倒れた都合見えるようになった相原の後頭部には穴が開いており、暗い空洞になっている。
そして、相原の頭があったその位置には、不気味に羽を鳴らして滞空する、ハエの魔獣の姿があった。
「嘘!? 魔獣!?」
驚きの声を上げたのは三船だ。彼女だけでなく、優も、シアも、木野も。その場にいる全員が、またしても現れたハエの魔獣を見つめる。
相原の脳を捕食したらしく、口元を血でべったりと汚しているハエの魔獣の身体が、ふいに、どんどんと膨らみ始めた。
「魔獣の、変態……」
先日犬の魔獣が見せた姿を思い返しながら呟いたシア。彼女の言う通り、ハエの魔獣はまさに今、変態しようとしていた。
脳みそのようだったしわだらけの身体が割れ、中から肉がこぼれ出てくる。ブクブクと膨張していく肉塊は相原の死体をそのまま飲み込んで糧とし、変異を続ける。
幸いだったのは、優たちから見て変態中のハエの魔獣が内地と反対側――東側──にいることだろう。それは、つまり。
「――シア様、神代優。逃げましょう。人を食べた魔獣は格段に手ごわいと聞きます」
三船がいち早く提案したのは、魔獣の討伐を諦めての内地への逃走だ。現状、生き延びることこそが学生の使命であり、討伐は指示されていない。
まだ特派員として未熟な自分たちに、人を食べた魔獣は手に余る。そんな、いたって冷静な判断に基づく提案だった。
しかし、そんな三船の提案に優たちの誰かが答えるよりも早く。
「人が、頭……? あれ? ――おぇ」
相原の死に様と魔獣の醜悪さを受けて、木野が嘔吐した。
優とシアが堪えられているのは、度重なる魔獣との接敵と討伐でグロさというものに多少、慣れてきているからだ。他方、三船は切迫した現状に対処することで精一杯であり、嫌悪感を抱く余裕すらないだけだった。
「木野さん、しっかり……」
嘔吐する木野を介抱しながら、三船は優とシアに、逃亡の提案を続ける。
「勾配もなだらかですし、ここからであれば、内地まで30秒とかかりません。そこには先生や先輩方がいらっしゃるはずです」
魔獣と会った時は逃げるように。先週も今回も、進藤からはそう指示が出ている。
「──私たちはまだ学生で、特派員ではありません! ここはプロの方に任せるべきです!」
そう、三船は締めくくった。
臨時とはいえ、セルのメンバーからの提案だ。優も限られた時間を精いっぱい使って、考えることにする。
三船の言うことはもっともだ。
前回の演習で相手にした犬の魔獣も、魔法を使う厄介な相手だった。実際、優は全治1週間の手傷を負わされている。
一応、優たちはその魔獣を討伐している。が、その魔獣を倒せたのは進藤が助けに来たからに他ならない。今回もうまくいくと考えるのは、さすがに安直だろう。
(内地側に逃げるべきか? ……だが)
ハエの魔獣たちは西――運動場から来ていた。現状、運動場が安全だとは言えない。それにまだ救援が来ていないことも優の中で引っかかる。
(進藤先生たちが、まだ運動場で蛇の魔獣と戦っている可能性もある、か)
まだ教員や生徒が魔獣と交戦している可能性がある運動場に、魔法を使えるようになるかもしれないこの魔獣を連れて行っていいのだろうか。
追いかけてこない可能性も考えるべきだ。その場合、今後さらに力をつけた脅威として君臨し、より多くの人々の命を奪いかねない。そう思うと、優としては、ここでこの魔獣を倒すべきだという気もしてくる。
(どうする……?)
逃げるか戦うか。優たちが悩むことのできる時間も多くない。魔獣の変態が終われば否が応にも戦うことになる。そうなったときに主力となるのはシアだ。
先週は緊急事態ということもあって、優が行動指針を決めて、目的のためにシアを一方的に利用してしまった。
しかし、今は違う。ほんの少しだけだが、時間がある。たとえシア自身が先週と同じく、指示されることを望んでいるのだとしても。優は人として、きちんと聞いておきたかった。
「シアさんは、どうしたいですか?」
シア自身の意思と、願いを。




