第4話 フォルとシア
会場はキャパ1万6,000人を誇る城ホール。そのアリーナだけを贅沢に使った、大阪での最後のライブ。父が用意してくれた最高の舞台に、フォルは赤い瞳を輝かせる。
これまで良くて1,000人程度だった会場とは比べ物にならない広さの会場を、自分のファンたちが埋め尽くしてくれている。
グッズも、単色しか出せないサイリウムとは違って7色に光るペンライトだ。曲の雰囲気に合わせて揺れるペンライトの波を見ているだけで、フォルは胸がいっぱいだ。
さらに嬉しいことに、シア達が来てくれている。
もうすでにフォルは、第三校には郵送で退学届けを提出済みだ。このライブ後には東京へ帰るため、もうシアには会えない。ライブも当日券はなく、シア達が来られる可能性もない。
そう思っていただけに、独特のリズムで揺れるシアのペンライトを見たときには思わず泣きそうになった。
フォルもシアと同じく、魔獣が世に現れてから生まれた天人だ。
まだ人類に魔法がなく、追い込まれるだけだった当時。希望ある運命と物語にすがる人々の想いが集約して生まれたのが、天人『シア』。そして、暗い世の中を明るく照らす歌と踊りを望む想いから生まれたのが『フォル』だ。
だからかもしれないが、フォルの中には生まれたときから「人を笑顔にしたい」という圧倒的な想いがあった。
歌って、踊って。魔獣によって暗く落ち込んだ世界を、まさに神として、明るく照らさなければならない。そんな使命感が、フォルにはあった。
だが、受肉する前はただのマナの塊でしかなかったフォルだ。どれだけ歌おうが踊ろうが、目の前で暗い顔をする人々を笑顔にすることはできない。
たまにぼんやりとフォルの存在を感知できるものが居たとしても、大抵は泣きわめくか逃げられてしまうばかり。笑顔になど到底できない。
生まれたばかりのフォルが途方もない無力感に包まれるまでに、そう時間はかからなかった。
いったいなぜ、自分は存在しているのか。人々の想いを受けて生まれたくせに、肝心の人々に何もしてあげられない。そんな自分が存在する意味とは、いったい何なのか。
フォルが自身の存在意義を疑い、それでも答えを求めて捜し歩いていたそんな折――
――フォルはシアと出会った。
自分と同じく天人としての孤独を抱え、雑踏の中で膝を抱えたまま俯いていたシア。人々に見向きもされない彼女を見た瞬間、フォルは自分と“同じ”だとすぐに気づいた。
「ねぇ、あなた……」
「は、い……?」
自分の呼びかけに反応してくれる人が居る。自分を認知してくれる存在が居る。たったそれだけのことが、フォルにとっては何よりの救いだった。
――目の前でうつむくシアを笑顔にしたい。
その一心でフォルが即興で1曲歌い始めた瞬間にシアは顔から悲壮感を消し、2曲目を踊り終えるころには目をキラキラと輝かせていた。
フォルが初めて救った人。初めてフォルに笑顔を見せてくれた人。同時に、無力感に打ちひしがれていたフォルを救ってくれた人。それが、フォルにとっての「シア」なのだ。
他でもないシアが、フォルに歌と踊りの存在意義を教えてくれた。歌と踊りで人を笑顔にできるのだと教えてくれた。フォルに、改めて生きる意味をくれた。
そんなシアに自分が依存していたことにフォルが気づいたのは、改変の日。受肉したまさにその日のことだ。
シアは大阪で、フォルは東京で受肉した。またしても“ひとりぼっち”になったその瞬間、フォルの頭を埋め尽くしたのはシアだ。
シアとの声を聴きたい。笑顔を見たい。話しかけてほしいし、笑いかけてほしい。
――会いたい。
受肉してから16年抱え続けた想いはこの春、成就した。
16年ぶりに会うシアは、フォルの知るシアのままだった。変わってしまった自分に、それでも変わらず接してくれる。純粋で、可憐で、強くて優しい。
思い込んだら一直線という危うさも相変わらずで、だからこそ、自分が一緒に居て守ってあげなければならない。そう思っていた矢先のこと。
『私、好きな人が居たんです――』
そんなことを言われてしまった。いや、それだけであればフォルも「そうなんだ? どんな人?」と単なる恋バナで終わらせることができただろう。
天人とは無縁な圧倒的青春ワード『恋』。そんなものはシアの勘違いに違いない、と。シアお得意の“思い込み”だ、と、言い切ることができた。しかし、
『――いえ。「居る」と。未練がましくも現在進行形で語るのが、誠実……ですね』
そう語るシアの顔を見せられた瞬間、フォルの中で“何か”がはじけた。
この頃からだろうか。フォルの中にあるシアへの感情が「触れたい」に変わったのだ。
肉欲。性欲。恋と同じでフォル自身が否定しようとした人間らしい欲望を、自分が抱いている。他でもない、自分を救ってくれたシアに。
それにフォルが気づいたのは、シアが最初のライブに来てくれたあの日だ。
シアが自分のことを想って来てくれた。自分だけを見てくれている。嬉しい。そう思っている自分に気が付いた瞬間、フォルは自分自身に絶望した。
というのもシアと会って以来フォルは、人々ではなく、シアに笑顔になってほしいと思ってライブを行なっていたことに気づいたのだ。
(私は、みんなを笑顔にするためにアイドルをしないといけないのに……)
ファンの中には、関東から遠征に来てくれている者も多い。
高価なチケット代金と、危険な長距離移動。2つの犠牲を払ってこの場に居るのが、フォルのファンたちなのだ。
だというのにフォルはファンのことを考えず、自分の想いを優先して、シアだけのことを見てしまっていたのだ。
これ以上ないほどのファンへの裏切りだ。
多くの人々を笑顔にしなければならない存在として。また、お金を払ってもらっている1人のプロアイドルとして、フォルは自分自身が許せなかった。
だからこそフォルは、シアと距離を取ることに決めた。
フォルはシアが大好きだ。もはや愛していると言ってもいい。
だが同時に、やはりファンのことも大切に思っている。
過去に一度。たった一度とはいえファンを笑顔にできなかっただけで、トラウマになってしまう。それくらいには、ファンのことも大切で、大好きだ。
天界でフォルを救ってくれたのがシアであるのと同じように、天人としての人生でフォルを救ってくれたのは他でもない、家族やファンといった人間たちだ。
どちらの“大好き”も大切にするには、どうしてもシアから距離を取らなければならないのだ。
シアの声を聴くたびにフォルは安心してしまうし、シアに見つめられるとドキドキしてしまう。お願いをされると世界中を敵にしてでも叶えたいと思ってしまうし、会うたびに、受肉したせいか、いかがわしい欲望も湧き上がってくる。
何より、愛しのシアに想いを寄せられながら、身のほど知らずにも拒否したという人間――神代優が、疎ましくてうらやましくて仕方ない。
シアが彼と一緒に居るところを見るたび、幸せそうなシアなの姿にほっこりする反面、隣にいる優を殺したくなる。
だが優を殺すとシアは責任感の余り後追い自殺を死にかねないため、手を出せない。ならば、と、〈歌〉と〈踊り〉の権能で優を魅了しようとしたが、彼にはなぜか権能が通じない。
仕方がないためシアの経験を歌にして、シアがどれだけ優のことを思っているのか。歌い聞かせても、全然響いている様子がないから救えない、と。
シアが側に居るというだけで、アイドル活動を支えてくれている養父やファンの人々のことをそっちのけでアレコレしてしまう。せっかくライブを楽しみに来てくれた人々を、裏切り続けてしまうことになるのだ。
だからフォルはシアとの連絡を絶ち、第三校からも離れる。
――絶対に私の歌と踊りでみんなを笑顔にして見せる!
そんな使命感を胸に、踊って、ファンサして。あっという間の10曲――約1時間だった。
だが、さすがにこれだけ歌って踊れば、体力自慢のフォルでも息が切れる。こんな状態では人々を笑顔にできないため、休息も兼ねてMCを行なう。
「みんなー! 楽しんでくれてるー!?」
「「イェーイ!」」
息切れをしているなんて姿を見せることも、フォルは自分に許していない。
いつだって余裕で激しい踊りと歌をこなす。見てくれる人々を1秒たりとも不安にさせることがない。人々が求めているのはそんな“完ぺきアイドル”だと思っているし、フォル自身、そんな自分を見て欲しいからだ。
そして完ぺきなアイドルは、MCでさえもうまくこなす。
「ほんとに盛り上がってくれてるー?」
「「イェーイ!!!」」
「……聞こえないなぁ?」
「「「イェーイ!!!」」」
「うん、めっちゃ聞こえた、おおきに!」
普段は標準語で話すフォルの流暢な大阪弁に、会場が湧く。
正直、自身の権能が効力を発揮しないMCの時間が、フォルは大の苦手だ。
自分がなにを言っても笑われるか無視される。そんな小学校の頃の経験を持つ者として、自らの発言で人を楽しませる自信など持てるはずもない。
ゆえにフォルは、世に会話術と呼ばれるものもたくさん学んだ。
どうしたらファンは、自分の話に興味を持ってくれるのか。楽しんでくれるのか。
表情の作り方や“間”の取り方。身振り手振りなどを、鏡の前で、ボイスレレコーダーの前で、自撮りした携帯の映像の中で、これでもかというほどに練習している。
時には観客に振る話題作りのために外地の観光名所へ行ったこともあるし、有名なお店の食べ物は絶対に食べて感想をメモしておく。
ただし、“人懐っこくも孤高”という天人アイドルとしてのイメージを損ねるわけにもいかない。例えば友人とカフェでランチをしたことも、友人とショッピングをしたことも、友人と秘密の女子トークをしたことも。
楽しい思い出は全て、胸にしまっておかなければならない。アイドル・フォルはいつだって、友人など居ない孤高な存在なければならないからだ。
だから今回のMCでも、私生活には触れない。もちろん客席の中に居る、シアという“特別なファン”に触れるつもりもない――。
「フォルさん! お話があります!」
シアから声をかけられた瞬間、驚くよりも先に「あっ、シアちゃんが呼んでくれた! 嬉しい♪」となってしまう。そんな自分を、フォルは全力でぶん殴りたい。
もちろん、この場に居るファンたちが求めているのはそんな自分ではないだろうため、絶対にしないが。
奇しくも、シアがフォルに声をかけてきたタイミングはこれ以上なかった。恒例とも呼べるやり取りと、そのライブだけの特別なトーク。両者をつなぐわずかな沈黙に、シアは声をかけてきたのだ。
おかげで、マナー違反とも言うべきMCの中断にファンたちが時を止める。だからと言ってフォルも、その呼びかけを無視するわけにはいかない。今シアに対応しないのは不自然だからだ。
完ぺきなアイドルはこんな緊急事態もアドリブで乗り切る。冷や汗をかかないよう気を付けながら、フォルは驚いた顔を作ってシアに応対した。
「わっ、女の子のお客さんだ! どうしたの~?」
シアとは知り合いではなく、いちパフォーマーとファンの関係でしかない、と。会場に居る人々にアピールしながら、話を聞く姿勢を見せる。
同時に周囲の反応を探る。
ファンは、困惑している者が多いか。これもライブの演出なのか。それともただのアクシデントなのか、測りかねているようだ。
幸いだったのは、シアが女性だったことだろう。もしも男だったなら、間違いなく周囲のファンに押さえつけられていたに違いなかった。
他方、これがアクシデントでしかないことを知っているのは警備スタッフたちだ。早速、ピンマイクを使ってどこかと無線連絡をしている。恐らく現場指揮を預かるディレクターだろう。
(お願いだから、シアちゃん。変なこと言わないでよ……!)
笑顔の裏に大量の汗をかくフォルの問いかけ対して、大きく息を吸い込んで見せたシア。
割合としてはあまり多くない女性ファン、かつ、MC中に演者に話しかけるヤバい奴がいったい何を口にするのか。静寂に包まれた会場に、
「私はー! フォルさんがー! ……どぅぁいすきですぅぅぅーーー!」
全身全霊、ありったけの想いを込めたシアの告白が響き渡った。




