第1話 芸術音痴
5月13日の土曜日。恐らく大阪で最後となるだろうフォルのライブがある日の、お昼時。
大阪城公園駅から城ホールまでを結ぶ長い通路に、様々な飲食店街が軒を連ねる『城テラス』。その一角にある庶民向けのフレンチレストランに優たちは居た。
注文はすでに済ませており、あとは料理が届くのを待つだけ。
手を洗いに行くと言って消えて行ったのは女子2人――シアと首里だ。他方、優と春樹は荷物版も兼ねて席に居残りだ。
その手持ち無沙汰な時間を使って、優はメッセージアプリのグループチャットにあがっている動画を再生する。
「…………。…………。……ぷふっ!」
冷静でいられるよう、普段からあまり表情を変えないようにしている優。そんな彼をして思わず笑わせるその動画は、ある人物の「踊ってみた動画」だ。
「おっ。優が笑うとは珍しいな。何の動画見てるんだ?」
優と同じく暇を持て余していた春樹だ。これ幸いと覗き込んだ優の携帯に映っていたのは、ジャージ姿で踊るシアの姿だ。
チケットを譲り受けるにあたり首里が提示した条件は1つ。まずは優と春樹の決闘だ。
こちらについては、春樹の勝利で終わっている。
表向きの理由は単純で、優が〈月光〉を意識しすぎたからだ。
無色のマナという、人相手なら最高の攻撃力を持つ優。そんな自分が〈月光〉という究極の防御を手にすれば、生存確率はグッと上がるに違いない。少なくとも人や魔人相手に後れを取らなくなる。
しかし、今の自分の〈月光〉はまだまだ中途半端で、〈感知〉の延長でしかない。そう考えた優は、普段より一層〈月光〉に集中力を割いていた。
対する春樹も、無色のマナを相手にするときの絶対的なセオリーとなる〈感知〉の常時展開をしていた。
つまり、優も春樹もお互いに〈感知〉を使用していたということになる。
この瞬間、「相手に一方的に〈感知〉を強要できる」という、無色のマナだけが持つ対人戦の優位が消え去ってしまった。
そして、日ごろから首里を相手に訓練を行なっている春樹と、あくまでも魔獣との戦闘に重きを置いてきた優。対人戦闘の経験値の差はあまりにも大きかった。
だが、これでようやく優と春樹の勝敗は“五分”だ。それほどまでに、対人戦における無色のマナの優位性は大きい。“目に見えないこと”が相手に与える心理的負荷は、本人たちが思っている以上に大きいのだ。
それでも春樹が勝利した理由は、優と春樹が互いへ抱える深層心理だ。
まずは春樹。彼にとって優は“追いつくべき相手”だ。
神代家の兄妹に並びたい。これからも一緒に信頼し、助け合うことができるような関係でいたい。その一心で春樹はこれまでの任務も乗り越えてきたし、首里との特訓も行なってきた。
他方、優が春樹に抱いているのは純粋な“尊敬”だ。
器用に何でもこなし、人付き合いも上手。魔力も自分より高く、それでいて身体能力、魔法の技術も上。
そんな幼馴染に、追いつきたい。ここまでは春樹と同じなのだが、優の場合は心の奥底で「それでも春樹には敵わない」という絶対的な劣等感がある。
優にとって春樹は憧れの対象であり追いつけない相手、いや、追いついてしまってはいけない相手でもあるのだ。
もちろん優が自身の深層心理に気づくことは無いし、春樹も察しているわけではない。
それでも魔法とは、行使者の感情とイメージが大きく影響する特性を持つ。
追いつきたい思いは同じ。だが、片や肩を並べようとあがく青年と、片や追いつくことを恐れて躊躇してしまう青年。
勝率を五分として魔法という名の“想い”をぶつけ合った時、どちらが勝つのかは明白だろう。
事実、優はこれまで春樹との喧嘩に勝ったことがない。そうして積み上げられた敗北の歴史もまた「春樹には勝てない」という、優の強固な劣等感を育て上げている。
ゆえに今回も優は春樹に勝てないし、春樹は優に勝つ。
その結果を受けて優は「今度こそは!」と奮い立ち、彼を見た春樹も一層の努力を重ねる。これが、神代優と瀬戸春樹。幼馴染の2人が10年近く重ねてきた関係性だった。
そうして、お互いの努力の理由を確認する儀式でもある決闘、あるいは喧嘩を男子が行なう一方。
前売りチケットを譲るうえで首里が示したもう1つの条件。
それこそが、優たちが今なお笑いをこらえて見ている動画だ。
『長い別れを経ての奇跡の再会を果たされたお2人。からの幼馴染が考案したダンスを踊る親友。「尊い」なんて言葉では生ぬるいエモさ……コホン、感動的な動画が取れるに違いありません。あとはバックボーンを含めて家族に動画を送れば間違いなくあの人たちはチケット代以上の価値を見出すはずです。いえ、見出させてみせます』
などという長文を、早口でまくしたてた首里。表情こそ例によって冷たいものだったのが、言葉には優たちを圧倒するほどの熱量が含まれていた。
そして、お願いを聞いてもらう立場である優たちが首里のお願いを無下にできるはずもない。むしろシアは「そんなことで良いのであれば!」と、恐縮しながらも首里のお願いを聞けることに乗り気だった。
が、ここで恐らく首里にとって――実はシアにとっても――想定外だったのは、シアの圧倒的な“芸術音痴”だろう。
『こ、こうでしょうか……?』
『いえ、違います、シア様。こう、右と左を交互に……あっ、それでは同時に出ています。こう、右手がこのときは、左足がこうで……』
『右手が右で、左足が……右? あわわわわ……!?』
操り人形でももう少しスムーズに動くだろうな、と、思わせるぎこちなさで踊るシア。
彼女は“考えてから身体を動かしてしまうタイプだ。
こうすれば良いと頭で理解して身体を動かすために、ワンテンポだが遅れが生じる。一方、リズムや曲を聞くと、感覚の方は身体を別の方に動かし始める。結果として、イメージ通りに身体が動かなくなってしまうのだ。
さらに、歌の方もシアはひどかった。言い方を選ばないのなら、「音痴」となるのだろう。
『「君の、瞳に、私を映して~♪」……です』
『了解です! 「キミ~ノ、ヒト~ミニ、ワタシヲウツシテ~」ですね!』
『いえ、違います』
やり切った感を出すシアの言葉を、容赦なく首里が言葉の刃で切り刻む。
フォルを含めた女性の天人が大好きだからこそ、たとえシアが相手でも妥協できないらしい首里。まして完璧主義者な一面も持つ彼女だ。練習の時だけは遠慮することなく、徹底的にシアをしごいていた。
が、指導者の熱量に生徒が必ずしも応えられるわけではない。
『え、えぇっと……「キ~ミノ~、ヒト~ミニ~、ワタシ~ヲウツシ~テ」……?』
『違います。むしろひどくなっています』
『え……?』
音程も音階も違う。しかも、なまじ中途半端に合っていたりする部分もあるため、「ヘタウマ」や「独特の」などといった領域にも達することができない。
踊りはガチガチで、歌も絶妙に微妙。さらにシア本人に苦手意識があるがゆえに、片方を意識すればもう片方がおざなりになる。
そんなシアが歌と踊りを同時に行なえば、「どうしてそうなった?」と、つい突っ込みたくなる練習動画の完成だった。
「「……ぶふっ!」」
悪いと分かっていても、優と春樹で2人して吹き出してしまう。
「これ……優。シアさんには悪いんだが、何回見ても……な?」
「ああ。たぶん天が居たら腹抱えて爆笑ものだぞ。少なくとも永久保存版だろうな。こことか……シアさんの身体、もはや人体の限界超えてるだろ」
「それ! まじでそれだ! シアさん、相変わらず芸術関係はアレだからな~」
シアが芸術方面にからきしであることは、昨年の文化祭でも分かっていたことだ。
彼女がオムライスにケチャップで描く絵は、数百人の客が誰一人として当てられない快挙を達成している。
しかもシア本人が本気で描いていることがまた、優たちの笑いを誘ってくる。
良くも悪くも“真っ直ぐ”であるがゆえに、事あるごとに「なんでそうなるのか」と聞きたくなる。常に“面白さ”を求める妹がシアを気に入る理由が、優にはようやくわかり始めた気がする。
(本人に言ったら怒られるだろうが、見ていて飽きない人、なんだろうな)
画面の中。玉の汗をかき、悪戦苦闘しながらも懸命に踊るシアを優と春樹が眺めた時だ。
「優さん、春樹さん。何がそんなに面白いんですか?」
背後からシアの声が聞こえて、優と春樹は仲良く椅子の上で飛び跳ねることになる。そのまま2人して振り返ってみれば、腕を組み、笑顔で優たちを見下ろしているシアの姿があった。
ただし、こめかみにほんのりと青筋が浮かんでいることから、シアの心境が表情通りでないことはすぐに察せられる。
「……シアさん。お手洗いの方は?」
諦めが悪いことが自身の唯一の取り柄だと思っている優だ。まだ間に合うかもしれない、と、素早く携帯の画面を消しながらシアに尋ねる。
「はい、もうとっくに。そもそも手を洗いに行っただけなので」
「そうか、シアさん。他の客とかお店の人の迷惑にもなる。早く座った方が――」
「お2人とも?」
早く着席するように言おうとした春樹の言葉を遮って、シアは静かに優たちに語り掛ける。なお、この時にはもうすでに、シアのこめかみにある青筋がしっかりと存在感を放っていた。
「私の、歌と、踊りの、なにが、面白くて。芸術関係は“アレ”、なんですか?」
その言葉から察するに、シアはきちんと優たちのやり取りを把握しているらしい。もはや万事休す。
おもしろ動画に夢中にあるあまり〈月光〉を怠ってしまっていたことに気づいた優。だが、反省は後だ。すぐ隣、苦笑しながらこちらを見つめている春樹と目を合わせて頷き合った優は、
「――すみませんでした!」
「――すまん、シアさん!」
怒り心頭の様子のシアに向けて、素早く頭を下げる。
「人が頑張る姿を笑うものではありませんよ?」
いつになく丁寧な口調で言うシア。首里に勝るとも劣らない冷たさをにじませる彼女の言葉に、男子2人はただ「はい」と頷くことしかできないことは、言うまでもなかった。
その後、お手洗いから戻ってきた首里と合流した優たち。
「待たせたわね……って、何この空気?」
気まずそうに平謝りすることしかできない男子2人と、対面の席で腕を組んで「怒ってます!」と態度で示すシア。その光景に怪訝そうな顔を見せた首里。だが、すぐに優たちに冷ややかな目を向けると、
「……まぁどうせ、あなた達が何かしたんでしょう?」
あっさりと真相を見抜く。それが単に優たちを嫌っているからなのか、洞察力によるものなのかは分からない。が、
「シア様。こんなアホ2人は放っておいて、ライブでの段取りを再確認しておきましょう」
「は、はい!」
首里が話題を変えてくれたことで、優たちを取り巻いていた気まずい空気が霧散していく。ただし、別にシアが優たちを許してくれたわけではないらしい。
「――あっ、優さんたちへのお話は食事の後できちんとしますね」
じっとりとした目を優たちに向け、しっかりと釘を刺してくる。
ちょうど同じころ、前菜でもあるサラダが到着する。ここは“シア様”のためにも自分たちが、と、男子が手早く取り分けたところで、いよいよ作戦の最終確認だ。
「それではまず、フォルさんとの接触方法ですが――」
そう話し始めるシアに、もう怒りの色はない。切り替えの大切さは、彼女もきちんと理解しているらしい。
それでも、悪かったのは自分たちであることに変わりはない。お詫びも兼ねて、食後のデザートをきちんと奢らせてもらおうと心に決める優と春樹だった。




