第5話 目的と動機
週が明け。5月2日の火曜日。今日を終えれば、5連休を迎えるそんな日のこと。
「フォルさんが学校に来てない、ですか……」
二食と呼ばれるバイキング形式の食堂で食事をしていた優が、手を止める。彼が日本人らしい黒い瞳で見つめる先には、
「そうなんです! 一度も学校を休まなかったフォルさんが、ですよ!」
そう言って興奮した様子を見せるシアがいる。まるでフォルのことを見てきたように言う彼女。だが、ここ数日の接触で、フォルがこの学校でどのように過ごしてきたのかをつぶさに把握していた。
と、シアに反応を返したのは優の隣で同じく食事をしていた春樹だ。
「そうは言うけどな、シアさん。さすがにシアさんもあの方……フォルさんが来ない理由は大体分かってるんだろ?」
彼が言ったのは、もはや聞かずとも聞こえてくるようになったフォルを取り巻く最悪の状況だ。
とあるクラスの女子学生が昨今の第三校を取り巻くストレスフルな環境に耐え兼ね、周囲の友人に退学の意向をこぼしたのだという。友人たちの説得もあって、当該女子学生は現在、保健センターでメンタルケアを受けているのだそうだ。
そこまでは、優たちの学年でもまれに聞く程度の話だ。任務や演習で心を病んだ学生が保健センターに通う。再起するかどうかは賭けになるが、もとより強い志で入学してきた学生たちだ。立ち直る者も決して珍しくなかった。
問題は、心を病んだ女子学生の友人たちが、フォルに詰め寄ったことだろう。
『アンタがこの学校に来たせいでこうなってるんじゃない! どうにかしなさいよ!』
そんなことを言った、と、優たちも噂の中で聞いている。そしてフォルはその要求に対して、いつものように塩対応で一言。
『無理』
とだけ返したそうだ。当然、フォルの態度は女子学生の友人たちの神経を逆なでしたに違いない。掴みかかった、だったり、魔法戦になった、だったり。様々な話があるが、
『まじで言ってんの!? 1人、アンタのせいで退学しそうになってんのよ!? 幼稚園のころからの夢を諦めようとしてんの! もしそうなったら、どう責任取んのよ!?』
『それは……ごめんなさい……』
フォルの謝罪によってその場は幕を閉じたと聞く。
別に優たちはいじめがあったとも聞いていないし、世間からすると些細ないざこざ程度の認識のことだろう。
だが、学校という閉鎖された空間では、小さな声も大きく反響してしまう。しかも、逃げ出そうにも寮生活には逃げ場がない。
おそらく追い詰められたのだろうフォルは、自室に引きこもることを選んだ。そう容易に推測できてしまう程度には、最近のフォルを取り巻く状況は悪化していたのだった。
「それは、私だって、分かります……っ! ですが、どうして……。どうして!」
声にやるせなさをにじませて、うつむくシア。
「学生に迷惑をかけているファンは誰も、謝っていません……! 捕まった人たちですら、フォルさんのせいと言って、反省の色を見せていないって聞きます……! なのに、どうして、フォルさんが謝らないといけないんですか……っ!」
ついにこらえきれず、肩を震わせるシア。彼女の姿にぎょっとしたのは、今の今まであくまでも冷静に事態を静観していた男子2人だ。
感情を入れすぎては重要な真実を見落としてしまう。ゆえに努めて冷静でいた2人だが、見方を変えれば薄情者にも見えてしまうことだろう。実際、
「ぐすっ。どうして春樹さんも……優さんまで、そんなに冷静なんですか……?」
そう言ってうつむいたまま優たちを見るシアの瞳は少し、悲しげだ。
どうしてフォルという知り合いが困っているのに、2人は何もしようとしないのか。何も、してくれないのか。そう言わんばかりだ。
信じていた飼い主に裏切られた子犬のようにしょぼくれるシアに、優と春樹は目配せ1つで意思を疎通させた。
「お、落ち着いてくれ、シアさん。どうどう」
「そうですよ、シアさん。別に俺たちも、フォルさんを手助けしないとは言っていません」
「……そう、なんですか? ですが……」
優たちを見るシアの目は期待半分、疑い半分といったところだ。
当然と言えば当然で、フォルに積極的に話しかけていたシアとは違い2人は目立つアプローチをしてこなかった。当然、シアはこう思っていた。
――男子、頼りない。
と。ゆえに1人で懸命にフォルにアプローチを続けたのだが、事態は簡単にシアの手が及ばないところに転がってしまった。フォルが学校に来ないのであれば、シアが彼女にしてあげられることはもうない。
だからこそ優たちに半ば当てつけのような形でフォルが来なくなったことを伝えて、今に至っている。
だというのに、もし優たちが何か策を考えていたのだとしたら、自分は相当な“独りよがり女”になってしまう。また優に、みっともない姿を見せてしまっていることになる。
果たして優たちに何か策はあるのか。期待と疑念、ついでに恥をかくかもしれない緊張とともにシアが見つめる先で、口を開いたのは優だ。
「まず、俺たちのスタンスとしては、やはりフォルさんは悪くありません」
「そうだな。悪いのは犯罪を犯した奴らだ」
何を言い出すのかと期待していれば、男子2人から帰ってきたのはそんな言葉だ。当然、シアもついムッとしてしまう。
「そんなの当り前ですっ! なのに皆さん、寄ってたかってフォルさんを――」
「シアさん」
「ひゃいっ!? ゆ、優さん!? 手が、手を……」
優が突然、箸を持つシアの手を握ったことでシアが変な声を上げてしまう。そんなシアの目が自分を見たことを確認して、優はそっと手を離した。
「シアさんの言う『皆さん』は、誰ですか?」
「……はい?」
優の問いかけの意味が分からず、何度も目を瞬かせるシア。
「フォルさんの悪口を言っているという『皆さん』。具体的には何人で、誰ですか?」
「え? え、えっと……」
混乱もあり、少しずつ冷静さを取り戻すシア。そうして見えてくるのは“何も見えていない現状”だ。
いったいどれだけの人がフォルを嫌っていて、悪し様にののしっているのか。また、具体的な悪口の内容は何なのか。冷静になって考えてみると、実はシアは何1つ知らない。
「あ、れ……? で、ですがフォルさんの悪い噂が流れているん……ですよね?」
実際問題、フォルを見る学生たちの目は冷ややかで、腫れ物扱いをされていたのはシアもこの目で確認している。フォルの印象が悪くなっているのは事実なのだ。ただし――。
「違うんだ、シアさん。正確には、『フォルさんの悪い噂が流れているっていう噂』があるだけで、実際に誰が何を言ったのか。俺たちは見たり聞いたりしたことがない」
少しややこしい春樹の話を、シアはぬるくなったお茶と一緒に飲み込む。次第にシアの紺色の瞳には冷静さが戻り、次いで、期待の色が満ち始める。
「……もしかしてフォルさんは嫌われてなかったりしますか!?」
「いえ、そんなことはありません」
優の言葉に、椅子からずり落ちそうになるシア。彼女も亡き両親とともに、きちんと漫才文化で育ってきていた。
「き、期待させておいて酷いですよ、優さん~!」
「な、なんかすみません……。ですがフォルさんが敬遠されているのは事実ですし、騒動の元凶と考えている人も少なくないと思います」
ただ、実際に「フォルのせいで」と文句を言っている学生を優は知らない。いたとしても、本当にごく一部だろうし、おそらく周囲に漏らすことはないのではないだろうか。
なにせ、ここは特派員という公務員を養成する学校だ。もしそんな場所で“いじめ”などに発展しようものなら、それこそ退学が見えてくるかもしれない。自然、学生たちは模範的な態度をとろうとする。
それは入学した当初、シアを守ろうとした天も利用した心理だ。
(特派員は正義の味方だ。それになろうとする人なら、絶対にそんなことをしないだろうしな)
という優の理想論はともかく、第三校は普通の学校ではない。通常の学校よりもよっぽど強固な倫理観のもと、学生たちは行動している。
事実、寮それぞれに個室が与えられていながら、飲酒・喫煙・淫行など。そうした規則違反は、今のところ9期生の間では一度も確認されていないほどだ。
ただ、やはり学生だ。みんなが避けているからなんとなく避ける、程度のことはしてしまう。結果として、フォルは孤立していただけにすぎない。これこそが、優と春樹が客観的かつ冷静に分析する“現状”だった。
「えっと……。ではどうして、変な噂が? それに、どうしてフォルさんは学校に来ないんでしょうか?」
「まず噂の方なんだが、実は2人に話しておきたいことがある。……ごちそうさまでした」
食べ終わった担々麺に手を合わせた優は、日曜日の寒い茶番劇のことを2人に明かす。
「えっ、反訓練学校派の人とフォルさんのファンの方が結託していた、ですか?」
「はい、どうやらそうらしいんです。……だよな、春樹?」
優に水を向けられた春樹が、口に入っていたご飯を飲み込んで頷く。
「そうだな。町の方でもそいつらに話しかけられた奴がいるみたいなんだ。斥候係を目標にしてるやつが、練習がてら盗み聞きしたらしいだが――」
春樹の言う「町」とは、第三校の最寄り駅から1駅先にあるちょっとした都市部だ。優たちがよく行くショッピングモールもそこにある。ボウリング場やカラオケなども充実していて、三校生が近場で遊ぶならソコといった場所だった。
なお、他人の話を盗み聞きしていることについては優もシアも触れない。名も知らない“彼”のおかげで、優たちはこうして裏事情を知ることができているからだ。
「――どうやらファンは、フォルさんを退学させようとしてるらしいな」
「「な……っ!?」」
どうして、と。答えを求める前にまずは自分で考えるのが優だ。一方のシアは、驚きでしばし固まってしまう。2人のうち、先に動いたのは優だった。
「そうか。ここにいる限り、フォルさんに会えない。だったらフォルさんを退学させればいい」
芝居の中では異様なほどにフォルの名前が連呼されていた。まるで人々の攻撃の矛先を、彼女に向けたいというように。
フォルへの想いが裏返って憎しみに変わったのか、以前よりさらに暴走してそんな考えになったのか。動機のほどは分からないが、“フォルを退学させたい”という目的は理解できる。
「だが、あまりにも短絡的すぎないか?」
「オレもそう思う。犯罪を冒すだけのメリットが釣り合ってるように思えないしな。けど、実際にそう言ってたらしいんだ」
ファンの人々がフォルを退学させる理由までは、現状、曖昧な予想しか立てられない状況だった。
「ではもう片方、反学校派の方々のメリットは――」
ショックから立ち直ったシアが、ここで会話に参加する。
フォルを退学させるメリットが、反訓練学校派にもあるということだ。シアとしては友人が利用されている事実が腹立たしいことこの上ない。それでも、だからこそ、真剣に考えることができていた。
「――天人の退学者という、学校を攻撃するのに目立つ要因が欲しい、ですね?」
シアが口にしたそれは、優も春樹もそれとなく考えていたことだ。
現状、優の闇猫討伐を機に、訓練学校の存続に異議を唱える声は下火になりつつある。そんな中、希望を胸に入学した天人が、入学後すぐに退学をしたとなればどうなるだろうか。
「しかも、ただの退学じゃない。内部で学生たちによるフォルさんの無視が原因……いじめがあったせいっていう、特大の爆弾付きだ」
こうしてみてみれば、反訓練学校派の目的は非常にわかりやすい。
フォルという目立つ退学者を出し、その責任を第三校に追求する。最悪、フォルでなくてもいいのだろう。心を病んだ学生が休学・退学をするだけで、反訓練学校派は学生のメンタルケアに難癖をつけてくるに違いない。
日々、学生たちにストレスをかけ続ける。それが、反学校派の人々の目的に違いなかった。




