第4話 三文芝居
事件が起きたのは、4月の終わり。ゴールデンウィークを目前に控える、日曜日のことだった。
日課の筋トレを済ませ、ジョギングコースにもなっている第三校の敷地を走っていた優。彼が正門の前に差し掛かろうかという頃だった。
「知らないって言ってるじゃないですか!」
悲鳴にも似た女性の怒号が聞こえてくる。
フォルのおかげで少しマシになったが、優自身も闇猫討伐者として第三校に厄介事を持ち込んでいる身だ。ひょっとすると自分関連のことかもしれない、と、急いで正門へと向かう。もちろんその間も事態は進行していく。
「まぁまぁ。少しで良いんですよぉ。フォルたんの散歩コースとか、普段使ってる道とか。それを教えてくれるだけで……デュフフ」
「きもっ!? ちょっ、触らないでっ!」
どうやら今回はフォル関係の出来事らしい。自分が発端ではないことに安堵しつつ、それでも優が現場へ向かう足を緩めることは無い。恐らく女子学生がフォルのファンに言い寄られているのだろう。
(頼むからお前らの行動でフォルさんが迷惑してることに気付いてくれ……っ!)
内心で悪態をつきながら優が現場に到着すると、案の定、数人の男性ファンが女子学生を取り囲んでいる。しかもご丁寧にチェック柄にジーンズ、大きなリュックという「ザ・オタク」という格好をしていた。
改編の日以前でさえも見かけなかっただろう古のオタクが、女子学生に迷惑をかけている。
(まるで安い漫画や小説みたいだな……)
こんな物語でも、シアは愛するのだろうか。優が悠長に考えていられたのは、自分に出番がないことが分かったからだ。というのも、女子学生の側には、友人か彼氏と思われる男子学生が居たからだ。
「おい、お前……! 美香に触んな!」
実際は、ファンの男性は女子学生に触れてはいない。だが、怖がる女子学生を守るのに必死だったに違いない。男子学生は、女子学生に向けて伸ばされていたファンの男性の腕を払うという選択肢を取った。瞬間――。
「イッテェェェ!」
男子学生に腕を払われた男性が、悲鳴を上げた。それだけではなく、その場にうずくまるようにして倒れ込んでしまう。
「えっ……は?」
男子学生としても何が起きたのか、瞬時に理解できなかったのだろう。困惑の声を漏らしながら、後退っている。
と、まるで図ったようなタイミングで、痛がる男性ファンのもとへ駆け寄る人々がいる。そのうちの数人は携帯を片手に、現場を録画するような姿勢を見せていた。
「大丈夫ですか!? 何があったんですか!?」
「こいつ! こいつが僕の腕を叩いたんだ!」
探偵が犯人を指名するかのように、男子学生の方を指さすファンの男性。
動画をうまく切り抜いて男子学生を“悪者”に仕立てようとしている。意図が見え見え過ぎて、優としては呆れを通り越して感心さえしてしまう。
ただ、このままでは予定調和として男子学生が悪になってしまう。そんな事態を見過ごせる優ではない。
「あの――」
「待ってください」
優が割って入ろうとしたところ、近くで一連のやり取りを見ていたらしい眼鏡の男性が機先を制した。休日だというのになぜかスーツを着ている男性が続ける。
「私、見ていましたよ。あなたがフォルというアイドルの行方を追って、彼の恋人にセクハラをしていたこと」
ブリッジを押し上げて、優が言いたかったこと――男子学生が悪いのではないときちんと言ってくれる。
(良かった。俺以外にも目撃者がいてくれて……)
これで事態も収束する。優が安心していられたのも束の間だった。
「だってフォルたんが……フォルたんが全然、僕たちに会いに来てくれないから!」
まるでフォルが悪いかのように言う、ファンの男性。彼の身勝手な言葉など誰も聞かないだろう、という優の予想は、なぜか頷いた眼鏡の男性によって裏切られる。
「なるほど……。その『フォルたん』というのは?」
「この子です、この子! 天人らしいんですけどめっちゃ可愛くて、歌も踊りも抜群で……」
言いながらメガネの男性に、携帯の画面を見せるファンの男。恐らく画面には、フォルの写真か動画が映っているのだろう。
「なるほど。この国立第三訓練学校に所属するフォルという天人が会いに来てくれない……。だから愛おしさのあまり、あなたはあんな行動に走ったわけですね」
やけに説明臭い眼鏡の男性の言葉に、ファンの男が頷く。
「そうなんです……。この学校、知っての通り学生たちをこんな山奥に監禁して、しかも魔獣と戦わせてるんです……。僕たち、そんな野蛮な場所からフォルたんを助けてあげたくって……」
この時になってようやく優は、眼鏡の男性もまたグルなのだと気付く。
優の予想では、彼らはいわゆる活動家――国立訓練学校反対派――の人々だ。
新年度になってからも、ごく少数ながら正門前に押しかけてはプラカードを掲げるなどしていた活動家たち。
ただ、優でも分かるほど、最近は訓練学校反対の世論は沈静化しつつあった。
きっと活動家の人々もヤキモキしていたに違いない。そんな中、フォルと、彼女を求める熱狂的なファンの動きが見られるようになった。これ幸いと騒動に乗っかり、再び、世論を傾けようとしているに違いなかった。
本当にここ最近、自分たちと関係のない外野が騒いでばかりだと優は呆れることしかできない。
きっと大人たちは、本気で学生たちを想っているに違いない。だが、学生たちからすれば自分で選んだ道だ。自らの意志で迷って、悩んで、ここに居る。
命がかかっていることも分かっている。どれだけ魔獣と相対しても、死の恐怖は必ず付きまとう。それでも特派員になろうと、この学校に来ているのだ。気遣ってくれるのはありがたい話だが、足を引っ張るのなら“ありがた迷惑”というものだろう。
「待ってください。俺もここの学生で――誰だ?」
割って入ろうとした瞬間、優は素早く振り返る。
背後からにじり寄って来た“誰か”の気配を、今もなお継続していた〈月光〉――というにはまだ〈感知〉に近い――で感じ取ったからだった。
マナの反応からして魔獣や魔人ではないことは確かだ。それをまず確認した優は、武器は〈創造〉しないでおく。
無手のまま振り返った優の視線の先に居たのは禿頭に黒い服、サングラスをかけた“いかにも”という男だ。それも、複数人居る。
明らかに優のことを意識しており、余計なことをするなら優を捕まえると言わんばかりに剣呑な雰囲気を纏っていた。
優も日々鍛えているために筋力には自身がある。が、目の前の屈強そうな男たちを複数人、取り押さえる自信は無い。
(それにこの人たち、どこかで……)
見覚えがあると言うほどではないが、最近、どこかで見たことがある気がする。優が記憶をたどりながら男たちとにらみ合う時間も、背後で“三文芝居”は続いていく。
「なるほど、監禁……。だからあの学生たちも暴力などという野蛮な行動に?」
「そうなんです! 僕たちはただ、フォルたんも、あの子たちも助けてあげたくて……。君たち、ここは危ない学校だ! すぐに辞めて、ご両親の所に帰るんだ!」
第三者として客観的に見ていた優とは違い、2人の学生たちは当事者だ。目まぐるしく変わる状況に頭が働かず、「え?」や「は?」といった、困惑の声を漏らすことしかできていない。
「なるほど。国立第三訓練学校はフォルという天人を監禁し、あまつさえ年端も行かない学生たちを洗脳している。その証拠に、先ほどの暴力的な行動が反射的に出て……おっと」
用意されていたのだろう台詞を途中でとめた眼鏡の男性。
どうしたのだろうかと優が振り返ると、メガの男は正門の向こう、男女の学生の背後へと目をやっている。優も彼に倣って見てみれば、非番の警備員と思われる初老の男性が駆けてくるところだった。
すると、先ほどまで熱心に携帯のカメラを向けていた野次馬たちを含めた多くの人々が、まるで蜘蛛の子を散らすように撤収していく。統率の取れた動きは、彼らが全員、関係者であることを物語っている。
他方、優を取り押さえようとしていた黒服の男たちも、時を同じくして駐車場がある方へと歩き去っていく。撤退のタイミングからしても、彼らが先ほどの三文芝居の完遂を見届けていたことは間違いない。
結局、大人たちは何を言うでもなく、ただ学生たちに混乱だけを残して去っていった。
「いったい、何だったんだ……?」
女子学生を庇っていた男子学生の言葉はそのまま、優の気持ちに当てはまる。
ただ、彼らが怖い思いをしただろうことは間違いない。優が声をかけようとしたところ、
「駿くん! 怖かったよぉ~……!」
「あ、おい美香、泣くなって……」
2人はそう言って抱き合い始めた。
(…………。……はいはい、お幸せに、だな)
別に心配が無駄だったとは思わないが、とりあえず自分の出る幕はなさそうだ。そう判断した優は、さっさとトレーニングの続きをすることにする。
(さっきの黒服……。あれ、フォルさんのライブ会場にいた人たちと同じ、だよな……?)
上下真っ黒のスーツにサングラスという厳つい風貌は、フォルのライブ会場ではかなり浮いていた。そのため優も印象深く、きちんと覚えている。すぐに思い出せなかったのは、あの日はクタクタに疲れてしまっていて記憶が曖昧だったからだ。
問題は、あの厳つい風貌だけでフォルの関係者だと断定できないことだろう。
要人警護の人々もあのような格好をしているし、実際、クレアと一緒にいたときは常にあんな風貌の用心棒がそこかしこにちらついていた。彼女の場合、用心棒は女性だったが。
とはいえ、時期も時期だ。フォルの関係者だということも十分に考えられる。もしそうだとするなら、騒動に割って入ろうとした優を足止めした理由――訓練学校反対派の人々と手を組む理由は何なのだろうか。
先ほどの三文芝居も、都合の良いように切り抜かれてネット上に拡散されるに違いない。問題は、芝居の中でたびたび「フォル」の名前が呼ばれていたことだ。
(運営はフォルさんを知る人ぞ知る、みたいな立ち位置にしたいはずだよな? だとすると、ネット上に拡散されるのは迷惑になるはず……。なのに、どうしてさっきの動画を撮らせた?)
ジョギングをしながら考える優だが、やはりコレと言った確証は得られない。
――自分たちの関与できないところで自分たちの情報が書き換えられ、拡散されていく。
ここ最近、優が感じるやるせなさと気持ち悪さは、第三校の学生たち皆が持っているものだ。居心地の悪さは静かに降り積もり、知らず知らずのうちに大きなストレスとなる。
そして、どうしても1人の人が抱えていられるストレスには限界がある。
こぼれたストレスは行き場を求めてさまようのだが、大抵の場合は良識という壁によって阻まれる。そんなことをしてはいけない。誰が悪いわけではない。大人としての理性が、ストレスをどうにか消化してくれる。
しかし――。
「もうやだ……。最近、こんなのばっかり! せっかく楽しい高校生活になるって思ったのに……っ!」
「くそ、またあの天人のせいかよ……っ!」
それは、優が立ち去った校門の前に立ち尽くす学生2人の会話だ。手を変え品を変え、入学式の時から続く様々なストレス。それを15、6歳の子供に我慢を強いることなど、酷なことだろう。
ましてや週明け、新入生の1人が事態に耐え兼ねて早々に退学の意向を友人に明かしたことで、事態は急変する。
ため込んでいた学生たちのストレスが、指向性を持ち始めるのだ。
こんな時、多くの場合、人のストレスのはけ口は悪人――叩いても許される人物へと向かう。
少し前から“混乱を招き入れている人物”としてどこからともなく話題に上がるようになった“彼女”が攻撃されるようになるまで、時間はかからなかった。




