第6話 違和感と既視感
優たちが買い物を終えて第三校に帰る頃には、日が少しずつ西の空に消えていこうかという時間になっていた。というのも、フォルについて熱く語った首里に、シアが食いついたのだ。
『あ、あのっ! 首里さん。良ければフォルさんについて、知っていることを聞かせてもらえませんか!?』
シアの目には少し様子がおかしいようにも見えたフォル。自分の知らない親友の“これまで”について、首里が何かを知っているのではないか。尋ねたシアに、まさか首里が首を横に振るはずがない。
『分かりました。不肖、わたくし首里朱音。シア様に全てをお話します』
そこから場所をフードコートに変えて1時間以上、首里によるフォルの話は続いた。とは言え、首里が知っていたのはアイドルとしての「フォル」についてだけだ。
フォルはこれまで、東京を中心に関東で活動していたらしい。あの容姿と歌声だ。彼女がライブを行なう度に、熱狂的なファンがつくという。首里の話ではファンクラブの会員数は1万人を超えていて、知る人ぞ知るアイドルのようだ。
だが、その話を聞いて優は疑問に思った。
――なぜ、有名になっていないのか、と。
繰り返すが、フォルは天人だ。それも、【歌】と【踊り】。まさにアイドルを象徴するような啓示を持っている。彼女が歌って踊る姿は、1つの芸術の域に達するはずなのだ。
当然、表舞台に立てば一躍有名になったことだろう。
魔獣が居て、死と隣り合わせの日々を送っている現代日本は、娯楽や明るいニュースに飢えている。そんな中、芸事の女神がテレビで歌って踊るだけで、どれだけの人の心が救われることだろう。
実際、優が入学式の日に見聞きしたフォルのゲリラライブでは、多くの人がうっとりと聞き惚れてしまっていた。
そんなフォルがアイドルをやっていて、有名にならないはずがない。だが現実は、優はフォルに出会うまで彼女の存在を知らなかった。彼女の名前を知り、ネットで調べてようやくフォルのホームページにたどりつく。いわゆる地下アイドル的な存在になっている。
その理由が気になって、つい尋ねてしまった優に対し、
『口外するのが事務所NGなのよ』
首里はそう言っていた。なんでも、ライブの最後に必ずフォル本人から注意喚起があるらしい。
――1つ。ライブの撮影・保存はOK。ただし、SNSを始めとするあらゆる媒体への転載を禁じる。
――1つ。当ライブ及びアイドル「フォル」について一切口外してはならない。
――1つ。フォルについて深く詮索しないこと。
以上3つの規則を始めとして、フォルの存在が大きく公にならないように配慮がされているらしいのだ。
これらの規則について「フォルのライブを見られるのは一部の選ばれし者のみ」という、ファンが抱く特別感を運営は尊重しているのではないかというのが首里の予想だ。
『フォル様は天人。だからこそ運営は“神様売り”をしてるのね』
事務所の、アイドルとしてのフォルの売り出し方。それが“知る人ぞ知る天人アイドル『フォル』”を生み出しているようだった。
先ほど終えたばかりの首里との話を思い出しながら、優は校門へと続くエスカレーターに乗り込む。入学式の日は階段で登ることを余儀なくされたが、普段はこうして稼働していることが多い。数百段の階段と、エスカレーター。鍛錬の目的が無いのであれば、人がどちらを選ぶかなど決まっていた。
「売り出し方、か……。そういうの聞くとフォルさん、芸能人って感じするよな」
優の後ろでエスカレーターに乗り込む春樹が、天人とは別の意味の特別性を持つフォルについて呟く。それに対して「感じじゃなくて実際そうなんだが」と返す優だが、彼の思考は別の方向に向いている。
こうしてフォルについてある程度わかった中で優が気になるのは、フォルが第三校に来た事実そのものだ。
第三校は三校祭の時を始め、年に数度だがテレビの取材が入る。それは主にスポンサーや国民に研究の成果を発表するためなのだが、当然、授業風景などを映せば生徒の姿も全国に流れることになる。
もしその時にフォルがテレビに映るようなことがあれば、あの目立つ見た目だ。一瞬にして全国民が彼女のことを知ることになるだろう。
実際、フォルは三校祭に映るシアを見て第三校に来たと言っていた。ネットでは三校祭の映像を気に、シアやザスタの非公式ファンクラブがいくつか設立されたことも優は把握している。
もしフォルも同じようなことになってしまうと、アイドルとしてのフォルの売り出し方に悪影響が出てしまうのではないだろうか。
(その辺り。フォルさんはどう考えているんだ……?)
果たしてフォルは訓練学校が公的な機関であることを理解して入学したのだろうか。それ以前に、事務所は何をどう考えてフォルを第三校に進学させたのか。
気になるところと言えばもう1つ、フォルの売り出し方だ。確かに彼女の出自を生かして、ファンを選ばれし者として扱うのはありだろうと優は思う。
オタクとして、アイドルにも“一般人より少しだけ”理解がある優。強烈な売り出し方――個性でもってその他大勢のアイドルとの差別化を図る。そうすることで成功した例は、いくつもあった。
だが、フォルはそんなことをせずとも、圧倒的なルックスと歌唱力があり、ダンスもある。まっとうに売り出す方が“売れる”と考えてしまうのは、素人の考え方なのだろうか。
それになぜだろう。首里からフォルのアイドルとしての在り方を聞いた時、優はそこはかとない気持ちの悪さを感じた。忌避感、ともすると嫌悪感とも呼べるかもしれない。
「なぁ、春樹。フォルの売り出し方について、どう思った?」
「どうって言うと?」
「何かこう……。言葉にはしづらいんだが、気持ち悪い……気がする」
「優、お前。シアさんがいる前で……」
フォルはシアの昔馴染みの友人だと言う。シアにとってあまり気分のいい話ではないだろう。そう思って春樹が振り返ると、
「それ、私も思いました」
パチパチと目を瞬かせて優たちを見上げるシアの姿がある。
「シアさん!? 一応、友達なんだろ!?」
「あっ、フォルさん本人に向けた言葉じゃないんです! けど、何かこう、変と言いますか、なんと言いますか……」
どうやらシアも、優と同じような違和感を覚えているらしい。が、やはり言語化できていない。
「優も、シアさんも。アイドルを気持ち悪いって思う柄じゃないだろ?」
「「そうなんだが(そうなんですが)……」」
優とシアが声をハモらせたところで、長かったエスカレーターが終わりを迎える。所要時間は5分ほど。数百段の階段もそうだが、地上から校門まで。山の上にある第三校に行くためにどれだけの高低差を移動しなければならないかというのが、よく分かる所要時間だろう。
優たちがエレベーターから下りると、校門から3階建てのA棟へと続く開けた景色が見えてくる。ただ、この日は――正確にはこの日も――校門の前には数人の部外者の姿があった。
前年度の1月、2月と続いた魔人たちによる特派員への攻撃。もとからあった特派員不要論が、「子供を命の危険がある場所に送るなんて野蛮!」という善意と結びついた。
結果、世論は一時、特派員を育成する国立訓練学校を非難する動きになっていた。おかげで優たち学生がオンライン授業を余儀なくされたことは記憶に新しい。
春休みを経て落ち着きを見せた批判の声。だが、こうして未だに少数の活動家が第三校にやって来ていた。
そんな中、1か月も経てば優たち学生も彼らの対応には慣れたもので、何食わぬ顔で横を素通りするだけだ。何かコメントを残すと恣意的に切り取られ、偏向されてしまう。三校生たちは人権団体からの働きかけにうんざりしているのだ。
しかし、学生たちの中にも例外がいる。
「こんにちは。ちょっとお話、良いですか?」
「え、あ、はい。なんですか?」
優たちの後方。初々しい反応を見せるのは、今年から入ったのだろう新入生の女子学生だ。始業式に生活指導の教員からお知らせはあったのだが、声をかけられて平気で無視できるようになるには慣れがいる。その点、女子学生はつい反応してしまったようだった。
「新入生さんですよね? どうしてこの学校に?」
「あ、えっと。実は去年、この学校の人に助けてもらったことがあって――」
「そうなんですね。ところで、魔獣と戦うのは怖くないですか?」
「え、魔獣ですか? それはもちろん怖いですけど――」
「そうですよね! あっ、私、こういうものなんですけど……」
女子学生が擦れていないと分かったからだろうか。聞き耳を立てていた他の活動家たちが一斉に女子学生を取り囲む。
こうなっては優も先輩として、見過ごすわけにはいかない。たとえ自分が将来どんな特派員になるのだとしても、困っている人を助けるのは優が憧れるヒーローの最低条件であり、当然のことだ。
「すみません、俺たちちょっとその子に用があって……」
言いながら迷いなく大人たちの間に入って行き、さりげなく女子学生を背後に庇う優。と、そんな彼の行動を予測できるのが生死と苦楽を共にしてきたセルメンバーというものだろう。
仕方ないと苦笑しつつ、春樹も「よっと」と言いながら持ち前のガタイを使って大人たちの輪に割って入る。そのままサッカーのディフェンスの要領で大人たちを背中で押さえれば、女子学生が退避するための道が出来上がる。
最後に春樹から合図を貰ったシアが「了解です」と女子学生の腕を引いて連れ出せば、一瞬して女子学生は面倒な大人たちか解放されたのだった。
「あ、ありがとうございます」
茶色く染められたポニーテールを揺らしながら、シアに頭を下げる新入生。溌剌とした雰囲気は、そこはかとない運動部感がある。一方で、新入生にしては少し大人びているようにシアには見える。ひょっとすると、中学からのストレート組ではないのかもしれない。
と、シアが女子学生を観察していた時だ。
(……?)
シアはその女子学生に対して、妙な既視感を覚える。ただの直感でしかないのだが、シアは彼女とどこかであった気がするのだ。だが今は、その既視感の正体を探っている場合ではない。シア達の後方で、春樹と優が必死で活動家の人々を押さえてくれている。
「この場は私たちに任せて、行ってください」
「え、あ、あの。先輩……ですよね? アタシ達、どこかで――」
「すみませんがその話はまた今度。いまは、どうか」
シアが後方をちらりと見て優たちの後姿を見せたことで、女子学生もようやく事態を察したらしい。コクンと頷くと、ポニーテールを揺らしなら足早に去って行く。
ただ、悲しいかな。案の定、他の新入生たちも活動家やマスコミに掴まってしまったらしい。翌日には「特派員になるのは怖い」「不安が無いわけではない」など恣意的に切り取られた学生たちの声が、ネットの記事に掲載されてしまっていた。




