第4話 天人たちの世界
天界。異界。黄泉。あの世。幽世、彼岸……。様々な呼ばれ方で古くから人々に
観測されながら、実在が証明されてこなかった世界。それがシアたち天人の生まれた、いわゆる“もう1つの世界”だ。
しかし、その実態は多くの部分が謎に包まれている。元神様だったはずの天人が、日本だけでも300人近くもいるのに、だ。
(天人たちがあまり話したがらない。だから研究もあまり進んでいないと聞くが……)
人類は10年以上も天人と生活を共にしている。だと言うのに、彼らについての研究は遅々として進まない。
その原因の1つに『世界人神条約』がある。天人たちが人類に魔法技術を提供する代わりに人類と結んだ、天人の人権を保障する条約だ。
その条約のせいで、人類は“無理やり”彼らから事情を聴くこともできない。天人たちが口をつぐんでしまうと、人類側が強く出ることはできない状況にあった。
ふと優の脳裏に思い出される『S文書』――Documents de sorcière――の存在。日本語に訳すと“魔女文書”となるだろうか。これについてクレアは、天人たちについて書かれた文書なのだと言っていた。そして、天人たちには意図的に隠している事実があるのだ、とも。
(――なら、シアさんは?)
シアとの付き合いも1年近い。しかし、こうして振り返ってみると、優たちはシア達が住む世界への興味を持たなかった。それこそ、不自然なほどに。
天界に興味を持てなかったのが偶然なのか。それとも、権能を始めとする何らかの“力”が働いていたのか。優には判然としない。それでも今はこうして自然な流れで聞くこともできる。
クレアとノア、両名との絆の証でもある首元の徽章に触れながら、優は可能な限りさりげなくシアに踏み込んだ。
「シアさん。天界って、どんな場所なんですか?」
果たしてシアはどう答えるのか。もっと言えば、他の天人たち同様にはぐらかすのか。わずかに目を細くする優の方を見ることもなく――。
「天界ですか? そうですねぇ~……。言葉にしづらいんですが、ぼやぁ~っとしていました」
普段と変わらない様子で、天界について明かしてくれる。語られた内容はひどく抽象的で、一見すると誤魔化しているように聞こえなくもない。が、少なくとも優の目には、シアが何かを誤魔化しているようには見えない。
(って言うかシアさん。良くも悪くも嘘や隠し事が苦手だからな……)
今朝のクラス決めについてのやり取りだけでも、彼女が嘘や隠し事ができるほど器用な人物ではないことは分かる。むしろ明け透けすぎるくらいで、優としては食えない先輩の代表格であるモノを見習ってほしいものだ。
と、そうして優が踏み込んだからだろうか。順番がきてショーケースからお目当ての小鉢を取り始めた春樹も、この時になって初めて本格的に天界に興味が向く。
「言われてみればそうだな。オレももう少し天界のこと知りたいな、シアさん?」
「そ、そう言われましても……」
踏み込まれても困ると言うのがシアの本音となる。なぜならシアは本当に、天界に居た頃の記憶が曖昧だからだ。
「えっと。授業でも習いましたが、私を含め全ての天人は神様だった頃、純粋なマナの塊でした」
自身も春樹に続いてショーケースから小鉢や料理の乗った皿をお盆に乗せながら、シアはありのままを話す。
「マナというダークマター。つまりは人々の想いがひとところに集まって発生する1つの“現象”として、私たちはそこに居た……いえ、“在った”と言うべきでしょうか」
シアが意識を獲得した時、彼女にはまだ今のような肉体はなかった。ただし、優たちの住む世界を感じることもできたし、歩くのではなくフヨフヨと浮遊するような形で移動することもできていた。
ただ、今こうして世界を見ているように世界が像を結んでいたわけではない。読書を嗜むシアとしてももどかしいのだが、世界を感じていた。
「そうですね……。それこそ、〈探査〉や〈感知〉で視る世界と同じような状態でした」
世間で“魔法的な感覚”や“第六感”と呼ばれる、マナで感じる世界。それがマナ――人々の集合意識――で生まれたシアが過ごした世界だった。
「マナで視る……? ちょっとオレには分からない感覚だな……。なぁ、優?」
シアの説明に感覚的な部分が大きく、どうしても理解できない春樹。その辺りはさすが天人だと割り切って、自分と同じ人間である優に同意を求める。
しかし、春樹から水を向けられた優には、シアの言う感覚にとても覚えがあった。
(〈月光〉で視る世界、か……?)
色もなく、音もなく、ただマナの形だけがある。そんな世界で過ごしていたのだとすれば、なるほど。感覚に頼る部分が大きく、言語化が難しいというシアの説明も納得できる。優も、〈月光〉で視る世界を具体的に説明しろと言われても難しいに違いなかった。
それにしても、と、シアの説明を自分なりにかみ砕いた優。世界を感知できて、フヨフヨと漂いながら移動する。一方で実体を持たないために優たちが住む“こちら側”に触れることはできない。それはまるで――。
「幽霊みたいですね?」
「ゆ、幽霊!? 違います!」
それだけは認めない。そんな強い意志を言葉に乗せて、シアは優の言葉を否定する。
「幽霊なんて非科学的な存在、この世には居ません! 絶対に! 居たとしてもそれはいわば天人のなりそこない……。マナの集合体でしかないはずです!」
「いや、シアさん。それって結局、天人と同じじゃ――」
「ぜっ、た、い、に! 違います! 幽霊なんて居るわけないんですから! 子供みたいなこと言わないでください!」
ふいっと顔をそむけると、シアはそそくさと会計へと向かってしまった。
「そう言やシアさん。その手の話、苦手だったっけか?」
「ああ。一応、後で謝らないとな」
春樹の言葉に相槌を返した優は、『ぱりぱりチキン』の皿を手に考える。
シアは強く否定したが、在り方として天人は幽霊に近かったのだろう。あるいは、幽霊こそが天人だったのかもしれないというのが優の予想だ。
ある時は宙を漂う光の玉――「オーブ」や「人魂」など――として知覚され、ある時は「神がかり」などと言うように波長が近い存在に憑依したり、物体に宿ったりしたりしていた。
そうして人々を影から見守り、時には信託などを通して直接干渉してきた。その点、八百万の神々という考え方がある日本では比較的、神と人々の距離が近かったのだろう。
だからこそ日本人はクレア達と違い、驚くほどすんなりと、天人という存在と概念を受け入れることができた。
(いや、できてしまったと考えるべきか)
差し当たって優が今のシアとの会話で分かったのは2つ。
1つ目は、かつて神と呼ばれていた存在が実態を持たないマナの集合体であることだ。
改編の日に観測され、「マナ」と名前を付けられ、認識されるようになったダークマターの1つ。それらが何らかの過程を経て一か所に集まり、意識を持った。それが神と呼ばれていた存在だということになる。
神々はマナを通して世界を知覚し、人々の側に存在してきた。
(つまり、天界っていうもう1つの世界があるわけじゃないのか。俺たちの住む世界と同じだが別の次元で過ごしていたと考えても良い……か?)
だとするなら、神々はコミュニケーションをとることができたのだろうか。もしできるのだとすれば、マナの操作で、ひいては魔法で意思疎通をすることができるのではないか。
2つ目に分かることとして、シアには少なくとも“かつて”を語る意思があるらしい。
隠す素振りも、とぼける素振りもシアは見せなかった。ただし、シア自身が「自分は生まれて間もない」と言っていたように、自身のルーツについてはシアもあまり深くは理解していないように優には見えた。
(確か大討の時、モノ先輩はシアさんが特別、みたいなこと言ってた……よな?)
赤猿・黄猿と戦った大規模討伐任務の月夜。優は、モノと2人で話した時のことをぼんやりと思い出す。特別なシアに選ばれたからこそ、神代優は特別なのだと、モノは言っていた。シアに選ばれたからこそ、「キミなら世界を変えられるかも?」などという、優が燃える言葉を残してくれた。
天人という謎に包まれた存在を解き明かす鍵。それもまた、神々の末の娘『シア』なのかもしれない。そして優の予想が正しければ、シアと同時期に生まれたという『フォル』もまた重要になってくるのではないだろうか。
「優。後ろつっかえってるぞ?」
「んあ? あっ、すみません……」
春樹の呼びかけで、ようやく自分の状況に気付く優。どうやら思考にふけるあまり、列の流れを乱してしまっていたらしい。考え始めると、つい他のことが疎かになる。去年から変わらない、優の悪い癖だ。
後ろで「どうかしたのか?」と不思議そうにしていた男子学生に詫びをいれて、優も急いで会計を済ませる。
そのまま春樹と合流して席に戻ると、当初はフォルを取り囲むようにしてあった人垣は完全に消えていた。代わりに、周囲にあった空席が全て埋まっている。
ただ、席に座る学生たちが食事をしているのかというとそうではないらしい。テーブルの上にお盆は乗っておらず、手元の携帯をいじっている状態だ。明らかに、シアとフォルという2人の天人の会話に、興味津々といった様子だった。
「お待たせしました、シアさん、フォルさ――」
「優さん、春樹さん! 見てください!」
シア達に断りをいれながら優たちが着座するや否や、シアが濃紺の瞳を輝かせる。彼女が見せてきたのは、細長い3枚の紙だった。様々な色が使われた派手なその紙切れに書かれていた文字を、春樹が読み上げる。
「『For You! Special Live!』……?」
「はい! フォルさんのライブの特別チケット……でしたよね?」
シアが振り返ると、フォルがコクリと頷く。
「うん、そう。特別な場所で見られるように手配してもらえるはず。です」
「天人の、それも芸事を司る女神のライブチケットか……。面白そうだな」
前向きな春樹の呟きには、優も同意だ。フォルの啓示を考えると、音楽関係の活動をしていても何ら不思議ではない。
となると、関西人でもある優が気になるのはお値段だ。【歌】と【踊り】を司るだけあって、入学式で聞いたフォルの歌はまさに圧巻だった。マナの力――権能――など必要ない。聞く人すべてを魅了してしまう天性の歌声だったように思う。
そこに踊りが加われば、恐らく至高のエンタメに昇華されることだろう。
当然、人気もすさまじいだろうし、それに伴って値段も高騰していると思われる。
「興味はあるんですけどね。いくらなんですか?」
自身もさっそく手元の携帯でフォルのことを調べながら尋ねる優に、フォルから返ってきたのは意外な答えだ。
「シアの友達だし、タダで良い。……ですよ?」
「「……え?」」
良くても友情価格、そうでなくても普通にお金を払うつもりでいた優と春樹の声が重なる。そうしている間にも、食事を終えていたフォルが席を立つ。
「黒木さん……。えっと、運営の人の話だと、私は人を呼ぶだけで良いって。だから皆さんにプレゼント。……します。じゃあまたね、シアちゃん」
「えっ。あ、はい。また……」
平坦な声と変わらない表情で言い残し、フォルは足早に優たちのもとを去っていく。残されたのはあっけにとられる優たち3人と、テーブルの上に置かれた3枚の特別チケットだ。
「……シアさん。フォルさんってもしかしなくても、人付き合いが苦手なんですか?」
ぱりぱりチキンを食べる優からの問いかけに、シアは整えられたきれいな眉を垂れさせる。
「いえ……。以前はもっと活発で、それこそ天ちゃんに近い雰囲気だったはずですが……」
成長するにつれて人の性格が変わるのはよくある話だ。フォルにもそんな性格の変化があったのだろうか。キレイな白い髪が消えていった食堂の出入り口を眺めながら、シアは友人の変化に戸惑うことしかできなかった。