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「見ている神がいないなら、この物語は『  』です」  作者: misaka
【歌】第三幕……「前程万里」

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第6話 3月30日

 3月30日。昼前に目を覚ました優が久遠と修行の総括を終えてから、およそ5時間後。


 優は大阪環状線の電車に揺られながら、自宅の最寄り駅である桜ノ宮(さくらのみや)駅を目指していた。とは言っても、京都と大阪を結ぶ鉄道の乗換駅――京橋(きょうばし)駅から桜ノ宮駅までは1駅しかない。時間もほんの数分だった。


 そんな短い道のりだが、実は1つだけ大きな見どころがある。それは、桜ノ宮駅到着の直前にある高架橋だ。淀川の支流にあたる『大川(おおかわ)』をまたぐために架けられたその橋の上からは、大川の両端に咲き誇る数百本の桜並木を見渡すことができるのだ。


 さすがに3月の末ともなればほとんど桜も散ってしまっているが、それでも。


 暗い色を映す大川と鮮やかな桜並木の対比が美しいその光景は優にとって、実家に帰って来たと実感する目印のようになっていた。


 と、“桜並木”を見て優が思い出すのは2時間ほど前に別れを告げた大堰川と、常坂家の道場のことだ。


 総括の後、常坂家での最後のご飯となる昼食を頂いた優。前日までギリギリの生活を送っていたこともあって、それはもう大量のご飯を食べさせてもらった。“ご飯がある”というその状況に優が心から感謝したのは言うまでもない。


 しかし、温かく美味しいご飯以上に優が嬉しかったのは、ご飯を食べている間に月の型の門下生を中心とした多くの人々に惜別の言葉を貰えたことだろう。「またいつでも来い!」という旨の言葉は、自分がきちんと常坂の門下生として受け入れられたのだと優が実感するに十分な言葉だった。


 その後、改めて各方面にお礼と別れの挨拶をしに行った優。効率的な掃除・洗濯の仕方を教えてくれた先輩が居た。魔力切れになった優を毎度のように介抱し、自室まで運んでくれた先輩が居た。優を見かけるたびに元気いっぱい挨拶をしてほっこりさせてくれた、小学生くらいの小さな先輩門下生たちが居た。


 シアが大好きな“物語”の中においては、取るに足らない人々だろう。特筆されることも無ければ、名前を挙げられることもないのかもしれない。


 それでも、優の中にある常坂家での思い出を彩るのは彼ら彼女らとの日々なのだ。辛く苦しかった修行をどうにか頑張れたのも、沢渡や鶴城といった、そばで優を支えてくれた人々のおかげだ。


 その精一杯の感謝を、優はきちんと全員に言葉にすることができた。無茶をして、無謀とも呼べる挑戦をして、命の綱渡りをし続けて。


 それでも生き残ったからこそ優は、大切な人たちに自身の成長と感謝を伝えることができた。生者の特権とも呼ぶべき、“再会”を果たすことができた。


(……まじで。なにがなんでも生き残ろうとする姿勢って大事だな)


 電車の減速に合わせて足元の荷物を拾い上げる優。その際、わずかにチャックが空いている鞄の隙間から見えたのは、常坂家で使っていた紺色の道着。そして、袋に包まれた真新しい黒帯だ。常坂家に向かうときですら着替えでパンパンだった優の鞄は道着の追加によっていよいよ閉まらなくなっているのだ。


 しかし優には、汗と努力と常坂家での日々が詰まった道着を手放すつもりはない。もし久遠たちが言ってくれなければ、優から道着の持ち帰りを申し出ていただろう。


 たとえ厚かましいと分かっていても、言ってみるのはタダなのだ。いや、たとえお金を払ってでも、想い入れ深い道着を買い取ろうと思っていた。


 しかし、ふたを開けてみれば、久遠たちの方から持って行って良いと言ってくれたのだ。


 それも、三日月の刺繍が施された黒色の帯と一緒に。


(合格……。良かったぁ……)


 優が最終試練の結果に改めて胸をなでおろすと同時に、電車の扉が開く。ホームに降り立つと、やや湿り気を帯びた春の香りが優の鼻腔をくすぐった。


 大きく重い荷物を担ぎ直してから、他の客に混じって改札へと向かう優。


 その道中に思い出すのは、先ほど考えていた最終試練の合否についてだ。


 昼食後。生還の報告と試練の合否を受け取るために、優は久遠の案内のもと常坂家の最奥にある小さな道場を訪ねた。修行の初日にも訪れたその場所には、大師範――常坂平蔵(へいぞう)が居たのだが――。


()い』


 一言だ。いかつい顔で優の顔付きを確認した大師範はただ一言そう言って、目を閉じた。


 優と久遠の「はい?」という声が重なったのは、言うまでもない。何が“良かった”のか。その答えが分かったのは、本当に最後。久遠と、彼女の母親である小夜(さよ)、そして優の指南役を務めた沢渡銀の3人が見送りに来てくれた時だった。


『神代さま、こちらを。大師範からの贈り物だそうですが……』


 そう言って沢渡が優に差し出した物こそ、道着と月の型習得の証である刺繍が施された黒帯だった。ただ、それだけではやはりまだ、説明不足だ。ありがたく思いつつも疑問符を浮かべる優に答えをくれたのは小夜だった。


『良かったですね、優さん。どうやら父は、あなたをきちんと認めてくれたようです』


 とのことだ。さらに詳しい情報を求めたのは、優ではなく久遠だ。


『ど、どういうこと、お母さん?』

『そのままの意味ですよ、久遠。大師範はこの子……神代優さんが常坂家の門下生を名乗るにふさわしいと認めたようです。それに……』


 黒帯に刻まれた三日月の刺繍を目で示しながら、小夜は続ける。


『神代さま。〈月光〉を習得なされたのですね?』


 そんな小夜の言葉に、本日何度目とも分からない優と久遠の「え?」が重なる。


 優は〈月光〉を使えたことを誰にも明かしていない。なぜなら、習得したというには再現性も低く、精度も甘いからだ。そうでなくても、様々な幸運が重なったがゆえに使えただけの技を「できる」と言い張るほど優は大胆になれなかった。


 だからこそ〈月光〉が使えたことを他言していなかった優。だが平蔵は優から何かを感じ取り、それを見抜いたということだろう。


(カッコ良すぎるだろ、常坂さんのおじいちゃん……!)


 これが剣の道に生きる達人なのかと、優の中にある中二病心がくすぐられたのは言うまでもなかった。


 だが今日、優が最も印象に残る場面に出くわしたのは、その直後。


『おめでとうございます、神代さま……!』


 優しくも厳しかった師匠・沢渡が目端に涙を浮かべて、優の合格を喜んでくれたことだ。そんな沢渡の喜びようについて優は、弟子の成長を喜ぶ老婆心によるものだと思っている。


 しかし実際には、少し違う。


 沢渡は、救われた気がしたのだ。彼がただ優のためを思って、無謀にも思える弾丸スケジュールを組んだのは噓偽りのない事実だ。しかし、自身の贖罪(しょくざい)を優に押し付けているだけなのではないかという不安も、もちろんあったのだ。


 最終試練の5日目。恐らく沢渡以上に優の帰りを待ち望んでいた者は居ない。そして、時間になっても優が帰ってこなかったことに彼ほど心を苛まれた者もまた、居なかっただろう。


 そんな弟子が、最終的にはこうして生きて返って来てくれた。ご飯をいっぱい食べ、他の弟子たちからの信頼も得て。そして〈月光〉まで習得したというのだ。


『本当に……。本当に、お疲れ様でした……っ』


 沢渡が言ったその言葉は、優にとってはただのねぎらいの言葉でしかない。しかし、沢渡にとっては自身に贖罪の機会をくれた優へのこれ以上ないくらいの感謝と、それを見事に成し遂げて見せた優への尊敬を込めた言葉だった。


 そんな内情など、優が知る由もない。


(沢渡さん……。本当に、良い人だったな)


 基本は優しく。ただ、時には好々爺とした笑顔のまま厳しく優の修行に付き合ってくれた。祖父母を知らない優にとって、今や沢渡は優しいおじいちゃん的な存在だ。


「――ありがとうございました」


 遠く、常坂家がある方向を見て、改めて自分を強くしてくれた人々への感謝を言葉にする優だった。




 ところで、優がやや駆け足に常坂家を後にしたのには事情がある。それは、今日――3月30日という日が優にとってどうしようもないほど大切な日だからだ。


 総重量5キロ以上はあるだろう荷物を抱える優だが、実家への帰路を急がない。むしろ大きく道を逸れて、今日という日に欠かせない“とある物”を買いに、町の中心地へと向かう。


 やがて甘い香りのする店にたどり着くと、ショーケースに並んだ商品を見定め始めた。


(俺と、母さんと父さん。それから……)


 多種多様な6人分の()()を買って、そのうちの1つには追加料金を払ってデコレーションもしてもらう。


「お買い上げ、ありがとうございました~」


 愛想のいい女性店員に見送られた優が自宅マンションのエントランスにたどり着いたのは、午後の5時過ぎだった。


 先ほど買った箱を揺らさないようにしながらオートロックを開けるのに四苦八苦しつつも自動ドアを開け、エレベーターを昇る。そして短い廊下を抜ければ、そこにあるのは「神代」と書かれた表札だ。


 荷物を下ろして鍵を開け、扉を開く。


「ただいま」


 正月以来、およそ3か月ぶりの我が家。その玄関に置いてある靴の数を見た優は、


「……っ!」


 わずかに目を見張った。


 玄関から最も近い位置にある自室に荷物を置いた優は“天の誕生日ケーキの入った箱”を持ってリビングへと急ぐ。


 玄関にあった靴の数は、優の物を含めて3つだ。父と母は仕事で不在。とりわけ小さい靴は、今月の頭から我が家に来た、優の新しい妹の物だろう。


 ではもう1つ。動きやすいスニーカーの持ち主は、果たして誰のものなのか。


 その答えを知るために優が開いたリビングへ続く扉の向こうには――


「お帰り、優お兄ちゃん!」


 万歳をして優を迎える()()果歩が居る。そして、つい今しがたまで彼女に勉強を教えていたらしいその人物は、




「お、お帰りなさい、優さん」




 天ではなかったことをそれはもう申し訳なさそうにしながら苦笑する、シアだった。

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