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「見ている神がいないなら、この物語は『  』です」  作者: misaka
【歌】第三幕……「前程万里」

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第1話 弱さゆえに

 春野を殺した憎き闇猫を追う優。彼我の距離は10mほどだろうか。右手に大堰川。左手に建物と森が見える石畳の道を走りながら、優はもう少しで手の届きそうな距離にいる闇猫を観察する。ただ、疲労と寝不足で冷静さを欠いた優の頭は、自分に都合の良い情報だけを選び取る。


 例えば、闇猫が足を引きずっているということ。そうでなければ、たとえ〈身体強化〉をしていようとも、人間が猫の走力に敵うはずもない。間違いなく闇猫が手負いであり、傷を修復できないほどに消耗していることを示していた。


 また、優の〈感知〉の隅をかすめた時に感じた闇猫のマナの残量は、良くて天人レベルになっている。優にお尻を向けて走り続ける闇猫からは、以前に感じた圧倒的強者の威圧感も、恐怖も感じない。


 もし普段の優であれば、「なぜ?」を考えただろう。ただこの時の優は、


 ――今なら自分でも闇猫を殺せる!


 そんな根拠のない確信を抱くだけだ。最終試練で培われた魔獣を殺せるという“自信”が、悪い方に働こうとしていた。


『ニ゛ャッ』


 小さく鳴いた闇猫が、身体の大きさを成猫サイズへと変化させる。そのわずかな隙をついて優が一気に距離を詰めるも、武器が届く範囲――2mには届かない。ただ、確かに距離は縮まった。距離にして5mほどになっただろうか。


『ニャ♪』


 追いかけてくる優を挑発するように鳴いて、左へと方向転換をした闇猫。そこは山中にある神社へと続く傾斜の緩やかな坂だった。


「待て!」


 闇猫の主戦場でもある遮蔽物の多い山中へといざなわれている可能性にも気づかないまま、優も懸命に闇猫に追いすがる。


 ただ、冷静さを欠いている優にも一部、冷静な思考がある。10年以上人類を脅かしてきた黒の名前を冠する魔獣が、理由はともあれひどく弱っているのだ。恐らく、史上最も討伐しやすいタイミングなのではないかと優は考えている。だからこそ、闇猫を追う。


 非力も無謀も、優は百も承知だ。それでもヒーローに憧れ続けた優の直感が、今しかないと叫んでいる。闇猫という脅威を討伐することで、弱い自分でも多くの人々を――日本国民を守ることができるかもしれない。


 普段は強烈な理性によって抑え込まれてきた幼いころからの夢――“ヒーローになりたい”という優の願望が、今は強く表に出て来てしまっていた。


 坂道を抜け、その先にあった小さな神社も抜けて。細い道を抜けた優と闇猫がたどり着いたのは、黄土色の地面をした開けた場所だった。


 かつては野生の猿を見ることができる「猿公園」として有名だったその場所には、倒壊した建物と――


「「「「ウギッ?」」」」


 数えきれないほどの猿が居た。人が居なくなってもなお、猿にとっては憩いの場として猿公園は機能していたらしい。時刻はもうすぐ夕暮れ。赤く染まり行く今日という日を、猿たちはいつものようにこの場所で終えようとしていた。


 そんな折、唐突に姿を見せた優と黒い猫に動きを止める猿たちに対して、


『ニャン♪』


 巨大化した闇猫が大きな前足を振り下ろす。瞬間、断末魔の悲鳴と共に猿たち数匹が闇猫に捕食された。


 その光景に時を止めてしまった猿たちが次の“犠牲者”となり、逃げ始めた猿の一団もまた犠牲者に変わる。たった数秒の出来事だ。たったそれだけで、闇猫は20を超える猿たちを捕食し、マナを補給したのだった。


 ただ、捕食のために闇猫が足を止めてくれたおかげで、優もようやく追いつくことができた。


「――ふぅっ!」


 血のついた前足をのんきに舐めて毛づくろいをしている闇猫に、透明な刀で斬りかかる。が、闇猫もまた周囲にマナを漏らす〈感知〉の状態だ。優の刀は見切られ、小さくなることで避けられてしまう。


 それならばと返す刀で空中に居る闇猫に斬りかかる優だが、


『ニャ♪』


 楽し気に鳴いた闇猫は、その小さな口で優の刀を咥えてみせた。真剣白刃取りの口バージョンと言ったところか。


 そして、優が振り切った刀の勢いを利用してクルクル回転しながら後方に跳ぶと、倒壊した建物の上に着地。すぐに巨大化したかと思えば瓦礫に猫パンチをして、壁や屋根の残骸を優に向けて飛ばしてきた。


「くっそ……っ」


 凄まじい速度で飛んでくる大小さまざまな瓦礫を、懸命の避ける優。ただ、小さな木くずなどはどうしても避け切れない。幸い、木片それ自体に殺傷能力自体はほとんどないため、目を守りながら道着や頬をかすめるものについては仕方ないと割り切ることにした。


 と、そうして優が飛んでくる瓦礫に気を取られているうちに、気付けば闇猫の姿が見当たらなくなっている。


 逃げたのではない。身体の大きさを瞬時に変えたことで優の五感を欺ているのだ。すぐに優が周囲を見回してみると、左後ろの〈感知〉の範囲に反応があった。


 とっさに避けると、それは闇猫が蹴飛ばした瓦礫だ。


(最初に周囲に瓦礫を飛ばして、“武器”を散りばめたわけか)


 飛んで行った瓦礫は対角線上に落ち、またしても闇猫が蹴飛ばして使う武器に変わる。しかも四方八方から飛んでくることになる瓦礫を避けるためにはどうしても意識を割く必要があり、その間、闇猫への注意がおざなりになってしまう。


 どこまでが闇猫の計算なのかは優にも分からないが、遊ぶようにして敵を狩る闇猫らしい戦い方のようにも思えた。


 持ち前の素早さを持ってして広場を駆け回り、前後左右から瓦礫を飛ばしてくる闇猫に、それでも優は果敢に前に出る。


 たとえ姿をすぐにはとらえられずとも、瓦礫を飛ばしてきたということはそこに闇猫がいるということでもある。そのため、


「――そこか」


 音がして瓦礫が飛んできたその瞬間、その方向に駆け出す。瓦礫との距離が近くなる分、避けることも難しくなるのだが、動体視力と反射神経だけは姉弟子である久遠をも凌駕する優だ。避けるべき大きな破片だけを避けて、前へ前へと進む。


 すると、子猫のサイズになって瓦礫に隠れるように移動する闇猫の姿があった。


 再び捕らえた怨敵の姿。小さく息を吐いた優は、全力で接近を試みる。が、猿たちを食べて補充したマナで身体を修復したのだろうか。先らかに先ほどよりも数段キレを増した動きで、闇猫は広場を縦横無尽に駆け回る。


 こうなると、普通の人間対猫の追いかけっことなる。魔法があるとはいえ人間の身体能力には限界があり、生物としての走力の差にはいかんともしがたい溝がある。結局、優が闇猫に追いつくことは叶わない。それどころか、


『ニャ、ニャン♪』


 距離を開けられては闇猫に瓦礫を飛ばされ、避ける。そんな防戦一方の戦いを優は強いられるようになる。加えて、もともと体力や気力が限界を迎えていたこともあって、優は少しずつ、少しずつ余裕がなくなり始めた。


 最初は避けられていた大きな瓦礫も次第に服をかすめるようになる。魔獣の牙を通さない頑丈な道着だが、それは瓦礫に引っかかっても破れてくれない――かすめた瓦礫の勢いをもろに受けると言うことでもあった。


 闇猫のパンチの勢いに負けて空中で割れ、優の左右を挟むようにして飛んできた木の板。優自身は避けたものの、道着の裾が瓦礫に引っかかって引っ張られた。そうして態勢を崩した優のもとへまたしても瓦礫が迫り、今度こそ優は避け切れずに被弾する。


 乾いて軽くなってくれていたおかげで衝撃そのものは大きくないが、ささくれだった断面が優の額を浅く広範囲にわたって切り裂いた。


「っつ……」


 確かな痛みに顔をしかめる優だが、痛みのおかげでまたしても思考が冴えた気がする。実際は落ちていた思考力が命の危機に瀕して元に戻っただけなのだが、戦闘中の優がそのことに気付けるはずもない。


(ただの切り傷だ。動きに支障は――)


 ない。そう考えようとした優の目元に、額から血が伝ってきた。生物として反射的に目をつぶってしまった優。それが、勝負の分水嶺となる。


 微かに、それでも確実に生まれてしまった優の隙を、“人間狩りの達人”でもある闇猫は逃がさない。


 目元を拭って優が目を開けたその時には、目の前に巨大化して前足を掲げる闇猫が居た。


 肉球がある場所には鋭い牙が並ぶ口が見えており、踏みつぶしと食事を同時に行なえるようになっているらしい。


 これまではどうやって闇猫を狩ろうかと考えていた優だったが、死を直感してようやく勘違いを正すことになる。魔獣と人間は、前者が狩る側。後者が狩られる側なのだ。


(……一体、いつからだ?)


 自分()()()が闇猫を殺せると思うようになったのは。春野という大切な人を失って、自分の弱さを知ったつもりになっていたのは、いつからだろう。死を前にした優は、ひどく落ち着いていた。


 どうやったら生き残れるのか、など、この状況では議論の余地もない。これまでとは違って、助けに来てくれる仲間は居ないのだから。


 ただ、この状況を生み出したのは優だ。助けてくれる仲間が居ない状況で、無謀にも闇猫に挑んだのは、他でもない優自身なのだ。無色で、誰よりも弱い自分だからこそ、きちんと仲間を頼る場面を考えるべきだったというのに。


 常坂家での修行と最終試練を経て、強くなれたと思った。1人だけでも、最低限は戦うことができる考え方と精神力を手にしたと思った。ただ、そうして得た自身が“(おご)り”に変わっていたのかもしれないと、ようやく優は思い至る。


 ただ、後悔はしていない。かつてないほど弱っていた闇猫を殺そうと判断したことは、間違っていなかったはずだというのが優の見解だ。目と鼻の先にあった常坂家の人々を頼る選択肢もあったが、呼びに行っている間に闇猫は逃げてしまっていただろう。


 この場に居たのが特派員の誰であっても、同じ選択をしたと優は信じている。ただ、結局のところ。


(俺が弱かったのが、原因か……)


 この場に居るのが天であれば。シアであれば。あるいは、正規の特派員であれば、人類悪を討つ絶好のチャンスを逃すことは無かっただろう。


 自身を見下ろす金色の瞳を見ながら、優はただ立ち尽くす。


(そうか。これがあの時、春野が見た光景――)


 茜色に染まる空の下。想い人と同じ最期の景色を見られて、良かった。そうして笑おうとした優を待つことなく、無情にも闇猫が腕を振り下ろす。物語のように懺悔や謝罪の言葉を残させてくれるほど、現実は甘くない。


 骨が砕け、肉がつぶれる音がしたのち、野生の猿たちが憩いの場としていた広場には、無機質な静寂だけが残った。

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