第3話 当然のこと
2023/03/21 改稿・修正
優が人間の反応があった場所に行ってみると、背を丸めたまま動かない男子学生を見つけた。
「……大丈夫ですか?」
「だ、誰だ?!」
怪我でもしたのかと思った優が声をかけると、その男子学生は素早く立ち上がる。
その震える手には、淡いオレンジ色に輝く両刃の剣が握りしめられていた。
へっぴり腰に、覚束ない足取り。明らかに怯えた様子の男子学生だったが、相手が魔獣ではなく優であると分かると、安心したように息を吐いた。
「良かった……人か」
「俺は神代優っていいます。良ければ臨時で、セルを組みませんか?」
優は自分から名乗って、協力を仰ぐことにする。男子学生も〈探査〉を使用して、魔獣が迫っていることを知っているはず、というのが優の予想だ。
「おれは相原……って、神代優って言ったか?」
「はい。魔力持ちの神代天の、兄です」
有名な妹の名前を借りながら、優は自分を紹介する。その説明を受けた相原は、
「ああ、魔力が低い方か……」
露骨に肩を落とした。その言動に少しだけ――ほんの少しだけ引っかかりを覚えつつも、時間を無駄にしたくない優は下手に出る。ただし、いろんな意味で敬語は要らないだろうと判断した。
「ああ。だから、俺より魔力がある相原とセルを組みたいんだ。魔獣が迫っている以上、お互いにメリットになると思う」
正確に言うなら“ソロで活動する方がデメリットが大きい”となる。100に迫る魔獣が周囲に居る以上、死角があればそれだけリスクが高まる。もし一般人でしかない優や相原が魔獣と多対一になどなれば、生存は絶望的だ。
多くの面で複数人で行動する方が合理的。特派員になろうとしている相原はそのあたりも理解できている。そう優は思っていた。
しかし、
「いや、でも、魔力が低い奴は足手まといになるだけだしな……」
なぜか相原は躊躇してみせた。
現状、自分のことを嫌ってもない限り、組まない理由は無い。そして、自分と相原は初対面。嫌われる理由は無いと、優としては思いたかった。
(まずいな……)
こうしている間にも、魔獣はエサを求めてこちらに来ているだろう。加えて優のマナは無色だ。仲間からも使用した魔法が見えない以上、事前の話し合いや連携を確認する必要性が高かった。
早く話し合いを前に進めたい。そんな優の焦りが、裏目に出る。
「俺の我がままだ。でも、早く作戦を決めておきたい。俺のマナは無色なんだ」
普段であれば時と場所を選んで慎重に言うべき無色だということを、軽々しく口にしてしまう。結果、それはさらに議論を後退させることになった。
「無色……お前、無色のマナなのか?! 犯罪色の!?」
優がやってしまったと気づいても、もう遅い。
「信頼していない味方の攻撃が見えないって、怖いんだぞ!?」
外地に1人だった孤独感と、出会った人物が無色のマナだという混乱とでヒステリックに叫ぶ相原。恐怖と混乱とでやや過剰に反応してしまってはいるが、本来、無色のマナは嫌悪と恐怖の対象だ。
(そう。それが当たり前。当然なんだよな……)
気落ちしそうになった優の脳裏に、ふと、シアの言葉が蘇る。
『優さんは、優さんです!』
無色であることを、出会って間もないシアがこともなげに受け止めてくれたこと。それが、自分の中で油断を生んでしまっていたのだと、優は今になって気付く。それでも、シアの言葉で優が救われた気持ちになったのもまた、事実だ。
自分は、自分。シアの言葉を胸に、優は根気強く、相原の説得を続ける。命がかかっているのだ。どれだけ手間を惜しんででも、優としては複数人で行動したかった。
「相原の行動に俺が合わせる。だから、信じてくれ」
「合わせる? 信じろ? こんな短時間で無理だろ! お互いのためにもソロの方が良い――」
その時。ふと、カサカサ、と。いつか聞いた音がした。その音に続いて、ブンッという羽音も聞こえてくる。
「な、何の音だよ……」
言った相原が、怯えるように周囲を見渡す。
やがて、木の間を浮遊しながら姿を見せたのは、羽の生えた人のこぶし大ほどの、ハエのような魔獣だった。
目はなく丸い口と無数に並ぶ鋭い歯。血管の浮き出た流線形の身体は脈打ち、深くしわの入った体は人の脳に見えなくもない。
背中に生えた2対4枚の羽根を高速で震わせて飛ぶ魔獣の足。その黒い節足は、優が先ほど見た巨大な魔獣に生えていたもの。いや、生えていたように見えたものだった。
(そう、だったのか……)
この時になって優はようやく、運動場に落ちてきた蛇の魔獣が、実は死に瀕していたことを知る。蛇の魔獣は、今、森に100体は居るだろうこのハエの魔獣に捕食されそうになっていたのだ。蛇の魔獣の胸元でカサカサと動いていたあの黒い足は全て、蛇の魔獣という獲物にむらがるハエの魔獣だったのだ。
(だから、蛇の魔獣は痛みに悶えて、落ちてきたのか)
あのまま地面に激突していれば、確実に死んでいた。発生させた下降気流は攻撃ではなく、地面に叩きつけられまいと――生きようと――した蛇の魔獣の余波だ。そして、自らの身体を食べてまで、蛇の魔獣は生き残ろうとしていたのだった。
全てはそう、目の前に居るハエの魔獣から逃れるために。
「結果的に、マナの爆発のおかげで蛇の魔獣はハエの魔獣を追い払ったってことか……」
「お、おい、神代優! どうすんだよ!? どうすりゃいいんだよ!?」
なるべく冷静に状況を分析しようとする優と、震える手で魔獣に剣を向ける相原。そんな男子学生2人を前に、カサカサと。ハエの魔獣は繊毛が生えた節足を擦り合わせている。人という餌を前に手を合わせるようなその仕草は、優の中にある生理的な嫌悪感をそれはもう引き立たせてくれた。
魔獣と接敵した以上、逃げるか戦うか。選択肢は2つに1つだ。
もし逃げるとなると背後。外地の深くへと歩を進めることになる。助けが来るまでの時間稼ぎはできるだろうが、まず間違いなく魔獣も追い立ててくる。
(それに、この前の演習と違って、今は助けを待っても救援が来るかどうかも分からない……)
現状、自分が生き残るためには、戦う以外の選択肢が無いように、優には思えた。
だから相原と協力して魔獣討伐に当たりたかったのだが、協力を得ることは出来なかった。そのことに関して、優に、相原だけを責めるつもりはない。
(俺がもう少し信頼してもらえる人だったら良かったんだろうが……)
コミュニケーション能力不足と、焦り。また、日ごろの行ない。日頃の努力を怠っていた自分も悪いと言うのが、噓偽りのない優の本音だった。
いずれにしても、共闘ができない以上、このままここに居ては相原の邪魔になりかねない。
(ど……うする?)
こんな時、優が自身の行動の指針とするもの。それは、やはり、自身の理想とする格好良いヒーローの姿だ。震えて、冷静な判断が出来ていない様子の相原を、優はちらりと見遣る。
自分自身の非力は、誰よりも優が知っている。例え小さな魔獣が相手でも、きっと自分は手を焼くだろうことも知っている。いや、捕食されてしまう可能性の方が高いだろう。
(だが、俺がなりたいのは……)
自分が求める理想を思い浮かべた優は、すぐに心を決める。
「……相原。あっちが内地の方角だ。まずは落ち着いて。〈探査〉を使って魔獣との戦闘を避けながら学校に戻って、助けを呼んで来てくれ」
この場は自分が請け負い、相原を逃がすことを優先する。この時の優に自己犠牲の意思はない。今の相原に魔獣の相手をさせることと、自分が魔獣を相手にすること。どちらの方が勝算が高いのかを、可能な限り客観的に判断してのことだった。
そんな優の言葉で、“帰るべき方向”と“魔獣と戦わなくて良いこと”を理解した相原は、これ幸いとばかりに優の指示に乗っかる。
「わ、分かった! じゃ、じゃあこの場は任せたぞ、神代! 死んでも恨むなよ!?」
相原はすぐに身をひるがえし、一目散に走り去って行く。
(俺の方こそ。頼むから、死なないでくれよ、相原……)
覚束ない足取りで森に消える同級生を見送ることも無く、優は目の前に居る魔獣へと集中することにした。