第6話 一歩外に出ること
他の門下生たちと積極的にコミュニケーションを取るようになった優に、分かりやすい1つの大きな変化があった。
それは、優が月の型の修行を始めて5日目。門下生たちと交流を始めた翌日の、夕食時のこと。
「ん、んんんん、んで!? どうなんだよ、神代!?」
目の前で行儀よくお茶碗を持つツンツン頭の青年・鶴城響が、正面に座る優に目を向けた。自分から会話を切り出す。そんな緊張で鶴城の声が大きくなってしまったために、食堂にいた人々の注目が集まってしまう。
その目つきと言動から、“不良”として恐れられてしまっている鶴城。彼と夕食を共にする優の周りには、円を描くように、不自然な空席ができている。一方で、もしもの時は優を“不良”から守ろうと、殺気立つ門下生たちが数人、優の周りに控えていた。
そうして奇妙な緊張感の中で食事をしていた優が、わかめ味噌汁を飲み干して鶴城の問いに答える。
「はい、大丈夫です。今も〈感知〉、維持できています」
そう優が語ったように、早朝の瞑想の修行から今に至るまで、優は魔力切れになること無く〈感知〉の魔法を維持することができていた。
というのも、優からの歩み寄りでアイスブレイクを果たすことができた門下生たち。毎日のように魔力切れで倒れる優を心配した彼ら彼女らが、口々に〈感知〉のアドバイスをしたのだ。
『私の場合は、こう……。ふわっとして、フンッて感じ』
『僕は霧を作ろうって意識してるよ?』
『オレはむしろ何も考えていない。無心でマナをジッとその場にとどまらせる感じだ』
といったように、それぞれが持つコツを言語化していく。だが、マナの扱いは個人の感覚による部分が大きい。歩き方や手指の動かし方のように、マナは誰に教わるでもなく扱えてしまうからだ。そのため、いざ他人にマナの動かし方を教えようとすると、どうしても抽象的な内容になる傾向にあった。
しかし、幸いなことに、常坂家には200人近い門下生が居る。しかも、そのほぼ全員が顔見知りであり、家族のような状態だ。
『神代優が〈感知〉のコツを知りたがっている』
そんな噂も一瞬にして広まり、会話の口実にもなると思った老若男女が優に〈感知〉のコツを教えていった。その数、軽く100人を超える。都合、100通り以上の〈感知〉のコツを聞いたおかげで、優にとってしっくりとくる説明があった。
『マナを放出する意識じゃねぇ。その場にとどまらせるイメージだ』
そう言葉少なく言ったのが、鶴城だった。
優はこれまで、薄く広くマナを広げる――放出する――イメージを持って〈感知〉を使用していた。それは〈探査〉に近いマナの操作といえる。
しかし、鶴城の言ったそれは、どちらかといえば〈創造〉のマナの扱いに近い。自身のマナを自身の周囲に固定する。たったそれだけの意識の違いなのだが、優が鶴城と同じイメージを持って〈感知〉を使用してみれば、格段にマナの消費を押さえることができたのだった。
「皆さん、色々とコツ教えてくれたんですが、鶴城さんの方法が一番俺に合っていたみたいです。改めて、ありがとうございます」
「あ、ああ……。役に立てたんなら、良かったぜ」
いつも通り素直に感謝を言葉にした優。他方、怖がられることは多々あるとはいえ、感謝の念を向けられることは極めて稀な鶴城。優からの真っ直ぐな感謝の言葉に居ても立っても居られなくなった鶴城は残った夕食を一息にかき込み、速足で食堂を後にしたのだった。
「神代さま。明日から、敷地の外に出ましょうか」
優が沢渡にそう言われたのは、月の型の習得を始めて6日目のこと。常坂家に来て、ちょうど2週間になる日のことだった。
ここ数日、優は、朝に筋トレ、食後に瞑想。昼にまた瞑想をして、おやつ時から夕食まで木刀の素振り。食後、風呂の前にまた筋トレという、決められたスケジュールをこなしていた。雑用が無くなったぶん、心身ともに疲労困憊の日々を送っていたと言っても良い。
しかも今週の前半3日間は、魔力切れで倒れていた時間も長い。
「えっと、俺が聞くのは変かもしれませんが。大丈夫なんですか?」
素人目にも分かる弾丸スケジュールに、少しだけ弱気になってしまうのも無理からぬことだろう。
沢渡が言った「外に出る」が、敷地の外に出ることを言っているというのは、優も重々承知している。また、生活中、常に〈感知〉の状態を維持することが月の型の修行である以上、敷地外に出ても〈感知〉を維持しなければならない。そのことについても、言われずとも理解していた。
だからこそ、不安になる。
優はつい先日、ようやくコツを掴んで1日中〈感知〉が出来るようになったばかりだ。精度も甘く、到底、優自身が納得できるレベルではない。まだまだマナの制御に意識が割かれている状態であり、マナで世界を視る〈月光〉など「なにそれおいしいの?」状態だ。
そんな自分が外に出て、もし魔獣と出くわせばどうなるのか。戦闘に集中してしまい〈感知〉が疎かになるか、〈感知〉に集中するあまり戦闘が疎かになるか。そのどちらかでしかないのではないか。
顔にこそ出さないものの、内心では不安がある優の問いかけに、沢渡は首を振る。
「残念ながら、私から『大丈夫です』と神代さまに申し上げることはできません」
もちろん沢渡も、自分が無茶を言っていることは分かっている。本来なら瞑想だけで3か月程度を費やし、息をするように〈感知〉の状態を保てるようになった時点で敷地外に出る。その工程をすっ飛ばし、1週間そこらで出ようと言っているのだ。優が不安を覚えているだろうことも、理解している。
「ただし、神代さまは春休みの間に強くなりたい、と。そう久遠お嬢様におっしゃったとお聞きしております。私は、全身全霊を持って、その願いを実現させる手立てを講じているだけです」
無茶も無謀も承知の上だが、無理ではない。そう判断して、修行を次へと進めることを勧める沢渡。もちろん沢渡の提案には、彼自身の後悔――苦しむ久遠に手を差し伸べなかったこと――と、優への期待が込められていることは言うまでもなかった。
「沢渡さん……」
優しくも厳しい師範の言葉に、優は、自分が大切なことを忘れていたことに気付く。
(そうか。「できる・できない」では無くて、「やる・やらない」の話なのか)
常坂家に来た当初、優は“とりあえずやってみる”精神で様々なことに挑戦していた。そもそも常坂家の門を叩いたこと自体が、そうだ。できる・できないについて考えていれば、門外不出だと釘を刺されていた魔剣一刀流を学ぼうなどと思えなかった。
コミュニケーションもそうだ。当たって砕けろの精神で自分なりのやり方を探し、門下生に話しかけた。
(今回は外地に出ることになるから、失敗すれば命に係わるという違いは大きいが……)
それでも師範である沢渡が、今の自分に敷地の外に出ることを提案したことには意味があり、理由があるはず。少なくとも沢渡が「できる」と判断したからこその提案だろうと、優は自分にとって都合の良い解釈をすることにする。むしろそうしなければ、一歩を踏み出せないからだ。
(それに、そもそも俺にやらない選択肢はないはずだ)
最初に「入門させてくれ」と無茶を言ったのは優の方だ。沢渡を含めた常坂家の人たちは、そんな自分の要望に応えてくれているにすぎないのだと、優は自身の考えを改める。
自分からやりたいと言っておいて、いざやって見ろと言われると、尻込みする。なんて“格好悪い”のだろうと心の中で自嘲した優は、小さく息を吸って、吐いて。
「――分かりました」
顔を上げた優にはもう、迷いはなかった。
数多の不安や緊張、疑念を飲み込んで、消化して、難題へと立ち向かう糧とする。そんな優の才能に、しわが刻まれた目を細めた沢渡。どこまでも真っ直ぐな優の想いに頷いた彼は、外地での修行についての説明を始める。
「では、まず、神代さまには……」
そうして迎えた、翌日。差し当たって、優はまず30分間、常坂家のすぐ近くにある嵐電嵐山駅周辺の探索を命じられた。見送りの際、
『特派員である神代さまに申し上げるまでもないかと存じますが、魔獣と接敵した場合は必ず処理してください』
という、沢渡からのありがたい言葉も添えられて。
「ふぅ~……」
背後で、常坂家の敷地内外を隔てる大きな門が閉まる音を聞いた優が、緊張と共に息を吐く。結局、優も人の子だ。いくら覚悟を決めたと言っても、いざこうして外地に出ると、否が応でも緊張してしまう。
これまでも、優は魔法を練習するために第三校付近の森(=外地)に単身で出向くことはあった。しかし、すぐ後ろに安全な内地があるという安心感があったその時と比べると、ひどく頼りない。何より優の緊張を加速させているのが、もしもの時に助けてくれる仲間が居ないということだ。
今と同じように、外地深くで行動することは大規模討伐任務でも経験している。赤猿・黄猿のねぐらに突入して誘導した時も、優は1人だった。しかし、あの時も近く春樹やノアが居て、モノを含めた頼れる先輩も居た。言い換えれば、安心材料があったのだ。
その点、今回は外地で正真正銘の1人ぼっち。
孤独。
その単語を意識するたびに、優の心臓が早鐘を打つ。思考は鈍り、視野は暗く、狭くなっていく。耳元にあるかと勘違いするほどの心音が聴覚を奪い、とても魔法を使えるだけの余裕など無い。
が、同時にそれは、優が段階を踏んでここ――外地での完全孤立状態――まで来たということでもある。魔法の練習。外地演習。初任務で。規模討伐任務。また、ここ2週間ほどの1人暮らし。それぞれで培ってきた経験のおかげで、
(――落ち着け。まずは平常心だ)
優はすぐに、緊張状態を和らげる重要性に気付く。
(思考はクリアに。マナは温存……じゃないな。きちんと〈感知〉の状態を維持だ)
目と耳に意識を集中し、周囲に動くものの気配が無いことを確認。無色透明なマナを広げて、死角を失くす。
と、すぐに、優の右後方で〈感知〉の網に引っかかる小さな存在があった。すぐに振り向いて、その存在を掴み取る優。彼が握った拳を開いてみると、
「桜の、花びら……?」
そこには母・聡美のマナとよく似たピンク色の花びらがある。手のひらに乗るその花びらを、不意に吹いた春の風がさらっていく。自らの手から離れていった花びらを追いかけるように、優が何気なく見遣った先。
「――……っ!」
そこには、桜色に染まる春の京都の山々があった。




