第5話 ちょっとした変化
自分から積極的にコミュニケーションを図る。そんな優の試みは、翌朝から始まった。
とはいえ、もともと人付き合いが得意というわけでもない。大人数を相手にするのではなく、例えば食事の際に同席した門下生数人であったり、廊下でたまたま鉢合わせた、同じ月の型の修行に励む門下生であったり。少人数を相手に、話しかけることにした。
自分には大勢の人を守る器用さも、力もないと思い知った優。改めて身の程を弁えながら、自分に合ったやり方を模索していた。
そうして、挨拶から始まる一言二言のやり取りの中で――。
「俺が常坂さんの恋人……ですか?」
門下生たちの間でまことしやかに囁かれている噂を、ようやく聞きつけるのだった。
「ああ、そうだ! そこんとこ、どうなんだよ!?」
そう言って優に凄みを聞かせるのは、やや浅黒い肌をしたガタイの良い青年男子だ。彼の名前は鶴城響。10歳の時から8年間、常坂の道場に通う門下生の1人であり、現在は絶賛、月の型の免許皆伝を目指して修行の真っ最中だった。
時刻は朝の8時前。場所は月の型の修行が行なわれている大方丈へ向かう道中のこと。優が、修行で見かけたことのある年の近そうな男子に話しかけたのだった。
「え、違います」
「はぁ? すっとぼけてんじゃねぇ! あの魔剣一刀流唯一の免許皆伝者。世界最強と言っても良いあのお嬢が、知らねぇ奴連れて来たんだぞ。……しかも男!」
「いや、そう言われましても。違うものは違います」
「あ゛ぁん……?」
淡々と噂を否定する優に、鶴城が顔を寄せる。ワックスで固めているツンツン頭が優のおでこを突き刺してこそばゆいが、それでも優は真正面から鶴城の目つきの悪い四白眼を見返す。
魔人マエダをほうふつとさせる粗野な言動。見る者を威圧する風貌。どれをとっても“不良”という言葉を連想させる鶴城に、優が臆することは無い。今さら人相手に恐怖しているようでは、魔獣を相手にする特派員などやっていられなかった。
「ところで、鶴城さんは常坂さんのことが好きなんですか?」
「……は?」
威圧に動じることなく、むしろなぜか会話を続けてきた優の態度に、鶴城が固まる。
鶴城がこれまで出会ってきた人々は、彼と接するとすぐに怖がってどこかへ行ってしまう。一部の女子は、逃げることも出来ずに腰を抜かして半泣き。道場に通う子供たちなど、ギャン泣きで逃げていった。
しかし、本当は、鶴城もただ緊張していただけだった。どう接していいか分からずどうにかひねり出した声が「あ゛ぁん?」で、コミュニケーションの基本である“目を合わせて話す”を実践すれば脅しているようになってしまう。ただそれだけのことだ。
そんな鶴城に唯一、普通に接してくれたのが、お面アリ状態の久遠だ。こんな強面の自分にも、普通に接してくれる「お嬢」の器のデカさに鶴城が惚れ込んでいるのは事実だが――。
(こ、コイツ、すげぇ……。俺を見ても驚くどこか、話しかけてきてくれやがる……っ! さすがお嬢が認めた男だ!)
同じように普通に接してくれる優のことを、鶴城は認める。もっと言えば、一瞬で好きになっていた。
「なんとなくそうなのかなって。どうなんですか? 常坂さんのこと、好きなんですか?」
「ば、ばっか、オメェ。それこそ、んなわけねぇだろうが。お嬢はお嬢、俺たち門下生の憧れだってんだ」
頬を染め、頭をかいて否定する鶴城。優も会話のネタとして振っただけで、特段、鶴城の恋路に興味はない。優の頭の中は今、とりあえず会話を続けることで一杯いっぱいだった。
「あ、そうなんですか。それで、えっと……、なんでそんな噂が?」
「し、知るかよ。ただ、食堂でおばちゃんどもが話してるのを聞いたんだ。『ついに久遠ちゃんにも春が~』ってな。老人どもも『あとはお世継ぎだけだな』とか言ってたぜ」
「世継ぎって……」
自分が知らない間にもの凄い速さで浸透・成長している噂。しかしこれも、道場という、閉鎖された空間だからだろうというのも優はよく知っている。なぜなら、同じく閉ざされた空間である第三校でも同様に、優とシアが恋仲であるという噂が広まったことを知っているからだ。
なんなら、今もなお、シアのクラスを中心に噂がくすぶっていることを知っている。優としては少しずつ外堀を埋められているような気分だった。
(そう言えば、シアさん。大丈夫……なのか?)
鶴城の言動と恋の話から、巨躯の魔人マエダとの戦いを思い出す優。あの時、優はシアに告白された。しかも、それはもう情熱的に。しかし、優はシアの想いを断った。正確には、断ろうとした優をシアが止めたのだ。
それ以降、告白の件は、優とシアの間で、なんとなく触れてはいけないような状態になってしまっている。特に、告白された側である優からその話題に触れるのがマズいということ。それは、告白の件について春樹に相談した時にきつく言い含められていた。
(春野の件はさすがに偶然だと思うし、俺も実力不足だったが……)
とはいえ、もし本当にシアの【運命】や【物語】の啓示が、彼女の“嫉妬”を機に意図せず効力を持ってしまうのだとすれば、優が誰かを好きになるたび、厄介事が起きるかも知れなかった。
ただ、そのことについて優がシアを恨むことは無い。
(俺が、シアさんの啓示の影響から大切な人たちを守れるくらい、強くなれば良い)
優が守りたい人の中にはシアも居る。もう二度と、シアが自身の啓示を呪うことが無いようにという意味でも、優は強くならなければならなかった。
決意を固めて、鶴城と共に大方丈に到着した優。部屋の隅にある紫色の座布団を手に取り、一番後ろに陣取って瞑想を始めようとする。が、そんな優に話しかけてくる中年の女性2人組が居た。
「ねぇ、ちょっと、神代くん!」
「聞きたいことがあるんだけど、いいかしら!?」
1週間以上修行をしていて初めてのことに、素で驚いてしまう優。また、普段あまり接しない年代の相手にどう接して良いのかを迷ってしまう。
しかし、噂に飢えたご婦人方の遠慮のなさは、良くも悪くも優を無理やり会話という土俵に立たせる。
「イケメン……ではないけれど、近くで見ると可愛い顔してるわね。お肌もつやつや。いま、いくつ?」
「今は16ですが、し、4月で17です」
「まぁ、もうすぐお誕生日!? おめでたいわ! 久遠ちゃんと一緒の学校の子よね、どうしてうちに来たの?」
「あ、えっと。春休み中に一皮むけたくて――」
「きゃあっ! 一皮むける、だなんて! ねぇ、池田さん?」
「そうね、黒田さん。外から来た子を総師範がすんなり受け入れたところから見ても、あの噂、本当なんだわ」
「あ、いや、いまのは言葉の綾で――」
1つの質問に答えれば3つの反応が返ってきて、2つの会話が挟まったと思えば、話題が変わっている。その様子にふと既視感を覚えた優は、
(なるほど。母さんを扱う感じでいけばいいのか)
同じくマシンガン口撃を得意とする母・聡美のことを思い出す。そうして式の解法さえ分かれば、あとは応用だ。会話に置いて良かれないよう懸命に食らいつきながら、優は噂を丁寧に訂正していく。そうして話しているうちに、僕も、うちも、私もと、優を囲う輪が大きくなっていた。
「そう、妹さんが……。大変ね。あっ、飴ちゃん食べる?」
「なんだ、話してみれば普通の子だな。久遠のお嬢が初めて連れて来た客人だから、てっきりやべぇ奴だと思ってた」
「それな! しかも、こう、無色のマナだし。笑わないし。近寄りがたい感じだったから、てっきり話しかけちゃダメな奴かと」
「な? お嬢と同じで“特別”扱いしないとなんかな、とか思ってたよな」
無色のマナ。畏怖や差別の対象にもなりかねない単語が出て、優の身が一瞬強張る。が、なぜか門下生は無色のマナであることを怖がる様子はない。その理由を尋ねた優に帰ってきたのは、
「えっ、だって。俺らには〈月光〉があるからさ。無色だろうが何だろうが、関係なくない? な?」
「うん。むしろ、そういうやつにも対処できるように、僕たちは月の型で修行してるわけだし。殺れるもんなら殺ってみろって感じ」
月の型門下生による、強気な返答だ。そして、言われてみれば、久遠も初めて会った時、無色であることを気にした様子が無かったことを思い出す優。
(なるほど、月の型を習得してる人にとって、無色のマナのアドバンテージなんてあってないようなものなのか……)
ここに居る人たちが優を、無色のマナを恐れないのは、そもそも恐れる理由が無いからだった。
「神代くん。もしかしてだけど〈感知〉苦手なんじゃない? 良かったらおばさんが色々教えてあげようか? ……色々と、ね」
「ちょっと明内さん! うちではそういうのダメって言ってるでしょ! やるならよそでやって、よそ!」
口々に好き勝手なことを言い合う。その騒がしさの中で、優には1つ、分かったことがある。それは、ほんの少し自分から働きかけるだけで、状況は変わるということだ。
もちろん“よそ者”であったり“久遠の恋人・婿”であったり。根も葉もないうわさのおかげで、門下生たちが「神代優」という人物に興味を持っていたことも大きい。ただ、これが、全く知らない人物であれば、1週間もあれば興味は下火になる。
しかし、下積みの修行の中で、多くの門下生にとって優が“顔見知り”の存在となった。顔と名前を知っていて、ここに居る門下生たちの憧れと注目の的でもあるあの常坂久遠が連れて来た人物だ。
変わり映えしない修行の日々を過ごす門下生たちにとって、外からもたらされた未知は劇薬となる。
優が数人の門下生に自分から話しかけた。
たったそれだけのことだが、“神代優と話しても良い”というその空気は、1週間以上をかけて興味でパンパンに膨れていた風船を爆発させる最後の一押しになる。
こうして、良くも悪くも静かだった優の修行に、これまた良くも悪くも賑やかさが加わるのだった。




