第2話 贖罪の機会
3月8日。優が沢渡銀のもとで月の型を習い始めて、4日目。今日も今日とて、優は下積みの修行に励んでいた。
朝は朝食の準備に始まり、皿洗い。続いて洗濯、掃除を済ませ、昼食の準備。二度目の皿洗いを済ませれば、空地へ移動。重さ1㎏以上の、重量感のある木刀を手に、フッと息を吐く。
(足は肩幅で、俺は右利きだから右足を1歩前に。重心はほんの少し前を意識しつつ、いつでも動けるように固定はしない)
沢渡から教わった基本を脳内で暗唱しながら、丁寧に木刀を構える。腰辺りで刀を持ち、切先を相手の喉元に向ける。いわゆる“正眼の構え”と呼ばれるものだ。
そこから左足を一歩踏み出し、木刀の切先を、頭上を通るようにして背中側へ。そのまままっすぐに振り下ろすと、“真向斬り”になる。この刀の振り方は隙が多く常坂家では実用的ではないとされているが、刀の特性や長さを理解するためには最も効率が良い。そのため、刀に馴染みのない優はこうして、真向斬りの素振りをするよう沢渡に言われていた。
(左足を元の位置に戻して、もう一度正眼の構え。その時、足を上げ過ぎないようにすり足で……)
1つ1つの所作を丁寧に、丁寧に。脳内で言語化しなくとも動きを再現できるよう、刀という武器の基本を体に染み込ませる。そんな作業を、毎日300回ほど繰り返している優の手は、もう既にボロボロだ。豆ができては潰れ、潰れたところにまた新しい豆ができる。その繰り返しだった。
「っ……!」
木刀を振るたびに鈍い痛みが走り、これまた1日中続けるように言われている〈身体強化〉の魔法が途切れそうになる。そうして魔法の制御に思考を割けば――
「神代さま。右肩が上がっています」
――優を指導する沢渡からの檄が飛んでくる。
指摘された部分を意識しながら刀を振るおうとすると、今度は〈身体強化〉が疎かになっていることを指摘される。そんなやり取りは、優が木刀を振り下ろした数よりも多く、繰り返されていた。
しかも優にとって何が辛いのかと言えば、痛みを耐えて木刀の自主練が終わっても、待っているのは夕食の手伝い&皿洗いという水仕事だということだろう。
ボロボロの手で、洗剤を使って皿を洗う。いくら常坂家にある洗剤が“お肌と自然に優しい植物由来の食器洗い洗剤♪”を謳っている商品だとしても、その際に走る激痛は優の精神をゴリゴリと削っていた。
それでも優は、文句を言わずに修行に励む。それは、このたった数日間だけで、下積みの修行の“意味”に気付き始めているからだ。
例えば洗濯。畳む際、名前の順に洗った道着を整理しなければならない。となると、道着の胸や帯に書かれている名前を確認する必要があるのだが、作業の過程で優は自然と門下生の名前――主に苗字だが――を覚えることができている。
また、食事の準備。年齢や性別によって食事の栄養バランスを考えているため、料理を手渡す際に名前を確認しなければならない。そうすると、洗濯の時に覚えた名前と、料理を手渡す際に見る門下生の顔が一致するようになる。それも、朝昼晩と1日で三度も確認するのだ。
自然、下積みの修行4日目にして、優は常坂家に居る200人近い門下生の名前と顔を半分ほど、もう覚えてしまっていた。
そのほか、掃除は常坂家にある建物の造りや、移動経路の確認できる。食事の準備をしていればパートの人々の話を聞くことができ、常坂家だけでなく、この周辺地区の情報収集にもなる。そうして“知る”ことで、優の中にある知らない土地への緊張感を和らげ、親しみを持ちやすい土壌を作るなどの意味が込められていた。
これら細々としたことまでは、さすがに優も気付いていないものの、
(下積みのおかげで、少なからず環境への“慣れ”みたいなものは感じられるよな)
木刀を手に、少しずつ馴染みある場所となりつつある空き地を眺める優。自分と門下生たちの間にあった“よそ者”という意識が薄れていることを、優は肌で感じていたのだった。
そうして余計な肩の力が抜け始めると、より修行に集中できるようになる。言われたことを復唱し、吟味し、自分の中に落とし込む。そんな、学ぶ上で欠かせない心の余裕が生まれ始めた。
優自身、初日と2日目に比べて“自分”に目を向けられるようになっていることを実感している。ただ、不器用を自覚する優だ。こんなにも早く自分が環境に適応しつつある原因が、自身の才能であると驕ることは無い。
(これが、数百年かけて熟成されてきた常坂流のメソッド……なんだろうな)
そう謙虚に、与えられる修行について受け止め、木刀を振る。
これまで、優は自己流で研鑽を積んできた。もちろん、ネットで筋トレの方法や武器の扱いについて学ぶことも多かったが、結局はそれも、個人的な努力に過ぎない。なんの理論も実績もないそれらの頑張りが無意味で、無価値で、“偽物”であること。それを優は、春野の死によって嫌というほど思い知らされた。
そんな彼にとって、数百年と数えきれない人々によって積み上げられ、また、多くの人々を生かしてきた常坂家の剣術と修行は、間違いなく“本物”だった。
ゆえに彼は貪欲に、本物の努力――修行に励む。
今、自分がしている修行にどんな意味があるのか。どんな積み重ねがあって、今の形になっているのか。自ら考え、答えを導きながら修行を行なう。疑念を持たない優の姿勢は妄信と呼ばれるものであり、どこか危うい一方、“学習”を最適化していた。
その結果――。
(ふむ……。ひょっとして……)
胡坐を組み、半眼の状態でぼうっと優を見ていた沢渡が、静かに目を閉じる。
思考は止めず、それでいて雑念が無い。無心と呼ばれる完ぺきな集中状態で木刀を振るには、最低でも半年ほどかかるのが一般的だ。手や筋肉が刀を扱うそれになり、生活様式にもひと段落つく。そうして初めて刀の素振りに専念でき、半年以上をかけて身体に沁み込んだ動きが再現されるようになる。
しかし、沢渡の目から見て、いまの優はおよそその段階にあるように見えた。もちろん、完ぺきだと思える木刀の振り下ろしは3回に1回ほどであり、まだまだ甘い。しかし、木刀の重さに身体が振れることは無く、重心も安定している。何よりも、刀を扱ううえで最初に完成する“心構え”が、もう既に完成しているように見えた。
となれば、あとは身体に動きが馴染むのを待つだけとなる。
(もし無心の状態で木刀を振り続けることができたのなら、2週間か、あるいはもっと短い期間で刀の基本を習熟なさるかもしれませんね……)
であるならば、早々に“次”に移るのもありかも知れないと、沢渡は優の育成プランを修正することを考え始める。
敬愛する久遠から「1か月で常坂家に相応しい実力をつけて欲しい」と言われた時、沢渡は何かの冗談だと思っていた。
そのため、優には刀を扱う……自身が得意とする武器を1つ増やしてもらいつつ、月の型においてもっとも重要となるマナの拡散技術の基礎だけを学んでもらうつもりだった。それだけでも十分に1人で戦う際の幅が広がり、マナの扱いも上達する。
特派員としての経験値があることも考えると、ギリギリ、常坂家を名乗るうえで及第点の実力を身に着けてくれるかどうか、だと思っていた。
しかし、本人の才能か、あるいは狂気か。いずれにしても予想をはるかに超えるペースで教えたことを吸収する優の姿に、沢渡の中で老婆心が芽生える。
もとより、優には覚悟があった。魔力切れを起こす(=自分の首を絞めて気を失うことができる)、そんな常人をはるかに超える狂気とも呼べる意志があった。
たった16歳そこらの少年がその狂気を手に入れるまでに何があったのか、沢渡が知るはずもない。が、特派員であることを考えても、壮絶な経験をしてきただろうことは想像に難くない。今も、血が滴る木刀を何食わぬ顔で振っている優を思うと、どうしても手助けをしてあげたいと思ってしまう。
(あるいは、久遠お嬢様への罪滅ぼしかもしれませんね……)
長年、50年以上常坂家の道場に通う沢渡は、久遠が赤ん坊のころから彼女を知っていた。まだ久遠が小さかったころは、年長者組として、彼女の遊び相手兼世話役をしていたこともある。しかし、久遠が4歳の頃、状況が変わった。世界に魔獣が出現したのだ。
その時からだ。久遠が、半ば強引に、護身術として常坂家の修行に混じるようになったのは。
大人に混ざって木刀を振り、体を鍛え、体力を作る。年相応に調整された修行だったとはいえ、修行は修行だ。久遠が心身ともにボロボロになっていたのは、毎日のように彼女が浮かべていた涙から沢渡たち門下生も知っていることだった。
しかし、その頃、門下生は久遠に接することを禁じられていた。そのため、泣きつく久遠を断腸の思いで袖にするしかなかった。懐いていた相手が助けてくれない状況に絶望する久遠の表情を、何度見せつけられたことだろう。やがて久遠は誰にも頼ることがなくなり、ただ1人、黙々と修行するようになった。
『破門されてしまうかもしれない』
『所詮は、久遠は通っている道場の子。言ってしまえば赤の他人だ』
そう自分に言い訳をし続けて、沢渡を含めた門下生たちは、久遠に何もしてあげなかった。そうして、常坂家の一人娘としての重責をたった1人で背負い続けた先。
最終的に、もう1人の自分を作り出すという、ひどく歪んだ形で久遠は魔剣一刀流を修めることになったのだった。
後悔と申し訳なさが、今もなお、沢渡の中には大きなシコリとして残っている。そんな沢渡には、今の優とかつての久遠の姿が、どこか重なって見えていた。
(神代さま。どうかこの老人めに、今度こそ、苦しむ若者の手助けをする機会を下さい)
門下生の間でひそかに、久遠の恋人(=跡継ぎ)だと噂されている少年。彼がより一層、常坂家に相応しい人間となることができるように、沢渡は月の型における重要な魔法――〈月光〉を教えることに決めたのだった。




