第1話 魔法の呪文
多くの学生が前回のイレギュラーな事態に尻込みし、境界線付近にとどまっていた。そんな事情もあって、優たちがコンクリートブロックで作られた境界線に着いた時、9期生のほぼ全員がいた。
学生たちの反応は様々だ。ある者は特派員の戦闘、またある者は初めて生で見る魔獣へ、それぞれ想いと視線を向けている。
その一方で、優は魔獣ではなく学生たちへと目を向けていた。
(天と春樹はどこだ……? それに、なんとなく、みんなの様子がおかしいような……)
天と春樹が見当たらないことに一抹の不安を覚えると同時に、学生たちの様子にどことなく違和感を覚える。
(何かが、足りないのか……? だが、何が……)
優が違和感の正体を探っていると、思わぬところから答えが飛んできた。
「どこか他人事、みたいです。いつか、それこそ今すぐに。自分たちが魔獣と戦うことになるかもしれないのに……」
やや非難めいた色を込めた目で学生たちを見ていたのは、シアだった。彼女がいま言った言葉には、啓示の影響を恐れるシアの当事者意識の強さが含まれている。今回はそれが良い方向に働いたと言えるだろう。
彼女の指摘を受けて、ようやく優も学生たちに足りないものを知る。それは、進藤たちがどうにかしてくれるだろうという安心からくる、緊張感の欠如だったのだ。
そして、それは優も同じだった。無意識に討伐を進藤たちに任せ、自分は安全圏から見守ろうとしてしまっていた。
「なるほど。確かに、そうですね。魔獣がいる場所に必ず強い人がいるわけじゃ無い……」
危うく自分も特派員候補生――弱者だからと胡坐をかいて、傍観者になりかけていたことに優は気付かされる。
確かに、落ちてきている巨大な魔獣討伐は進藤たちに任せるのが正しいだろう。だからといって、その様をただ見ているだけでは、いつまでたっても優は“守られる側”でしかない。
近いうちに“守る側”になる自分たち学生がするべきことは、新たな魔獣への警戒と、進藤たち正規の特派員から1つでも多く学ぶこと。我関せずと傍観しているわけにはいかないと、優は意識を改めることになった。
と、そうして意識を改めて視野を広げた優は、隣で厳しい顔をしているシアの存在に気がつく。短い付き合いとは言え、死線をくぐり抜け、先ほどの休憩ではある程度、言葉もかわした。
責任化の強いシアがいま何を思っているのか。優には少しずつだが、分かり始めていた、
「……シアさんにとっては、これも啓示のせいなんですか?」
これまでほとんどなかった魔獣の襲撃が、立て続けに起きている。その事実を気に病んでいるのではないか。そう尋ねた優に、シアは真剣な面持ちで頷く。
「その可能性があるかも、とは思います」
曖昧な自身の啓示によって肥大化した責任感。そんなシアの肩の荷が少しでも軽くなればいい。そう思って、
「――なら、もし、何かあったとき。シアさんが望んだ方向に運命を変えてしまうのはどうですか?」
「……はい!?」
軽く言った優。しかし、優の予想以上にシアは驚いた顔を見せる。その表情は、考えてもみなかったと言わんばかりだ。
「う、運命を、変える……。私が、ですか?」
「はい。マナは“心の正体”と言われるほど人の想いと密接に関係していると言われています。シアさんがこうしたいと強く願えば、啓示もその方向に傾くかもしれないですよ?」
運命を変える。それは、ありふれているがゆえに、シアが意識してこなかった発想だった。これまでシアは、ただ人々の運命を見守り、傍観してばかりだった。
(私が、皆さんの運命を、変える……)
優の提案をしばらく吟味したシアは、しかし。
「ですが、それは我がままです。これでも私は天人なので、誰かの運命を自分の思い通りにしてしまうのは良くありません。それに、私の力で何かができるとは思えません」
自己評価の低さが伺える、そんな言葉を返した。
その言葉が「自分を信じられない」という言葉の裏返しであるということ。それが優には痛いほどよく分かる。なぜなら優も、自分よりも他人を──天や春樹を信じて生きてきたからだ。
シアは何か信じること──頼ること──を、嫌っている。もっと言えば、信じることに臆病になっている。それは先週、犬の魔獣を討伐したあとのやり取りから伺えることだ。
それでも、知らず知らずのうちに、彼女は人を頼ることが出来ていた。本人がどう思っていようと、シアには人を信じる素質がきちんとある。
(けど、やっぱり自分は信じられない。だったら……)
自分と似ているからこそ、優はシアの自尊心の低さを改善する方法を知っていた。
「1人で解決する必要はないんです。もし1人で無理そうなら、周りの人に助けてもらえばいい。きっとシアさんになら、みんな力を貸してくれるはずです」
「それは……どう、でしょうか……」
煮え切らないシアの態度が、優にはどうもやるせない。自分が格好良いと尊敬している人物が、自分を卑下している。それは優にとって、憧れを否定されているように感じられて、どうしても許せない。
しかし、それが自分のわがままであることも、優は理解している。だからこそ、やるせなくて、もどかしい。そのもどかしさは、言葉のトゲとなって表れる。
「逆に、【運命】を司るシアさんが悪く考えれば、状況も悪くなるかもしれないということですよ?」
だから事態を、自分を悲観するのはやめてほしい。そんな優の願いは、届かない。
「それは、そう、かもしれません……」
反論もせず、きゅっと唇を引き結ぶだけのシア。その情けない憧れの人の姿に思わず声を荒らげそうになった優だったが、
「……魔獣が来ました。戦い方を勉強しましょう」
結局、何も言うことができず、運動場に目を向ることにしたのだった。
そんな優の横で、シアは1人、自分がどうすべきかを考える。
自分の願いが周囲に影響を与えるかもしれない。それは薄々シアも分かっていたことだ。しかし、だからこそ、自分は何も望まず、運命をただ受け入れてきた。
シアは天人だ。与えられた啓示を、身をもって示すことだけがたった1つの存在理由と言える。その啓示をシア自身の恣意で歪めることは、自分を生み落とした人間たちへの冒涜のようにシアには思える。
「私は、天人……」
想いと願い。2つを司る“心”を押し殺す魔法の呪文を唱えて、シアも進藤たち正規の特派員による魔獣討伐に目を向けるのだった。
頭部を下に向け、回転しながら落ちてくる魔獣。距離が近くなり、その姿が鮮明になる。
まず驚くのはその大きさだろう。まっすぐ運動場めがけて落ちてくる細長い体は、全長20m以上あるだろう。ときおり光を乱反射させる鱗が全身を覆い、細長い胴体がクネクネと波打つ。どうやら蛇の魔獣ようだった。
背中には半透明をした巨大な虫の羽が8枚ついていて、それを使って飛行していたらしい。腹部には数えきれないほどの節足が向き関係なくついていて、ある種体毛のようにも見える。しかし、意思をもってカサカサと動かされる数千の足は、見る者に嫌悪感を与えた。
「おいっ、アレが顔じやねぇか……?」
学生の1人が指さした先には魔獣の頭部と思われる部位があり、赤く光る複眼がついている。口元には蛇本来の、鋭い牙が生えた口。その上あごにはカジキマグロが持つ吻によく似た棘がついていて、獲物を刺したり切ったりできそうな鋭さがあった。
首元にえらのような、襟巻のような飾りがついていることから、水生生物を捕食したことも想像できる。
――ササササササササ……。
風に乗って聞こえてくるのは、無数に生えた節足、あるいは魔獣がはばたく際に発された気味の悪い擦過音だった。
「相変わらずですね」
「うっ……はい」
顔をゆがめた優の言葉に、シアが口元を押さえて同意する。明らかに生物として歪な彼らは、ただ見ているだけで生理的な嫌悪感をもたらす。
直近で魔獣の醜悪な姿を見た優とシアでも嫌悪感がぬぐい切れないのだ。
「「おえぇっ……」」
数人の生徒が、初めて見る魔獣のおぞましい姿に吐き気を催し、近くの森に駆けて行った。
優としては1つでも多くのことを学ぶためにも、進藤や教員、魔獣の動きを見逃したくはない。〈身体強化〉で視力を強化し戦況を観察する。
(戦闘が、始まる……!)
その時には、接敵までもう数秒と言う状況になっていた。




