第6話 春樹と天
一方。外地演習が始まってすぐ。春樹は天とセルを組んで、外地を歩いていた。
「あっ! ここ、休憩するのにちょうど良さそう!」
そう言って、タタタッと天が駆け出す。着ている服は中学時代にも使っていた少し大きめの上下青の長袖ジャージ。成長を見越した両親の期待もむなしく、中学時代の天の身体的な成長はかなり控えめだったと言えるだろう。
「こんな場所もあるんだな……」
天の向かう先にある少し開けた空間を見て呟いた春樹は、学校のコンビニで新調した黄緑色のジャージだ。先週着ていた中学時代の青いジャージは、止血の際に血を吸ってしまっていた。ちょうど小さくなっていたこともあって、今回、買い替えたのだった。
2人が今いるのは境界線から150m付近の場所だ。そこは木が何本か倒れてできた、ギャップと呼ばれる少しだけ開けた場所になっていた。晴れた日であれば、陽光が地面までしっかりと届き、背の低い草木へその恩恵を与えていたことだろう。
「あっははっ! 見て、春樹くん! 毛虫いる! きっしょい!」
落ち葉に引っ付いていた毛虫を見せつけて、無邪気に笑う天。周囲への警戒もないように見える幼馴染の姿に、春樹はやれやれと苦笑することしかできない。
「ほんと、天と優は正反対だよな」
先週は優と組んだ春樹。そして今日は天。2人の外地における対照的な振る舞いに、改めて感心する。優が慎重だとするなら、天は大胆。理想主義の兄と現実主義の妹。ある意味、兄妹らしいと言えばらしいのかもしれないと春樹はバランスのとれた兄妹の姿を思い浮かべる。
そんな春樹の少し前を歩いていた天が振り返り、茶味がかった丸く大きな瞳を春樹に向けた。
「さすがに春樹くんと、だからだよ? 他の子とだったら、それこそすぐに引き返せる50mくらいが限界だったと思う」
先週、天はクラスメイトとセルを組んだ。その時は大体20m――境界線が目視できる距離から同級生の女子が離れようとしなかったため、外地の探検はお預け状態だったと言える。
「その点、春樹くんなら、わがまま言っても大丈夫だもんねっ!」
天が同意を求めるように、ニッと笑う。ここに来るまで天が行なった〈探査〉は1回だけだ。それだけで大丈夫だろうという判断のもと、目視と音を頼りに警戒を続けてここまで歩いていた。
「はいはい、存分に好き勝手してくれ。……てか、そろそろ〈探査〉しても良いか?」
「お好きにどーぞっ! 必要ないと思うけどねっ」
春樹は天ほど大胆になれない。断りを入れながら数度〈探査〉を使用して、周囲の警戒に努めていたのだった。
と、その時。いつか見た赤黒いマナが2人を通り抜けていく。ザスタの〈探査〉だ。今回は、前回のように強引なものではなく、至って普通のものだ。それは同時に、先週の攻撃的な〈探査〉が意図したものであることを示していた。
「うげっ、ザスタくんだ。……あんまり良い印象ないなー」
苦虫を噛み潰したような顔で言った天。春樹が頭を縫うことになりかけた先週の外地演習の際、どれだけ〈誘導〉してもザスタはその指示に従わなかった。その時の不満が態度に表れた形といえる。
そんな天の様子に、春樹は意外そうな顔をした。
「珍しいな。天が優以外に手を焼くなんて。というか、そもそも、気にするなんて」
「むぅ、心外だなー! 私だって、ちゃんとみんなのこと気にしてるよ?」
と、口では抗議しつつも、天には多少思い当たる節がある。というのも、天にはその人が取る行動、性格や何を考えてるのかなどが大体、分かってしまう。そのため、天にとっての“人付き合い”は、決まりきった、あるいは先が分かり切った予定調和なやり取りがずっと続いているようなものだった。
天自身は、ジェットコースターの先頭座席みたいだと、そんな例えを使うことが多い。だからと言って、特段、人付き合いを避けてもいない。先頭座席にも先頭座席なりの楽しみ方と言うものがある。ただどうしても、退屈に感じる瞬間があることを、ほかでもない天自身が自覚していた
「でも、兄さんと、あと最近知ったけど天人は特別! 視えないんだよね、何をするのかーとか。だから、面白い!」
天にとっては、優や天人が絡む時だけレールが見えなくなる。そして彼ら彼女らとなら一緒に、全力で、日常というジェットコースターを楽しめるのだ。
「今頃、兄さんたち、何してるんだろ?!」
心の底から楽しそうに、天はシアと優がいると思われる場所を見る。
整った容姿も相まって、どこか作り物のような表情を見せることが多い天。そんな彼女がこうして時折見せるありのままの顔は、優と、自分しか見ることは無いだろうと春樹は思っていた。
「……2人と言えば。土日、シアさんと何かしたのか?」
着替えるために体育館へ向かう際、シアが言った「女子会」という単語を春樹は聞き逃していなかった。
「別にー? 三カフェでお昼して、その後コンビニでお菓子買って。私の部屋で女子会しただけ」
天が言った三カフェというのは第三校に4つある食堂の1つだ。教務棟の3階にある、テラスでの食事やテイクアウトをメインにした食堂のことを指していた。
「……でもシアさん、兄さんの話ばっかするから」
ぽつりと漏らした天の呟きで、春樹は1つ得心がいった。
「だから、今日、シアさんをからかったのか?」
思い出すのは、外地演習に向かう道すがら。優とシアにセルを組ませるまでの天の発言だ。
『そしたらシアさん、「優さんが、優さんが」って兄さんを褒めちぎるから』
友人の背を押すためとは言え、天にしては少々デリカシーに欠ける発言──“イジり”だったように、春樹は感じていたのだった。
「……違うもん」
そう口では否定しつつも、天が一瞬、肉の薄い唇を尖らせたことを春樹は見逃さない。
(やっぱりか……)
彼の予想では、天は兄を取られたような気分だったのだろう。超越したような言動の奥にある、幼さ。それもまた神代天の魅力だと、春樹は断言できる。また、優と言い、天と言い、この兄妹はお互いを好き過ぎると呆れるしかなかった。
と、その時だった。
「──なに? 誰?」
表情を厳しいものに変えた天が、森に目を向ける。どうしたのかと春樹もそれにならった直後。
「見つけたぞ、神代」
空き地に姿を見せたのは、すらりと高い背丈の男子学生だった。
きりっとした目元に細いあごのライン。全体的にシャープな印象を受ける絶世の美丈夫。目や髪、服装に至るまで、全てが黒い。
黒ずくめの彼こそ、9期生が誇る2人の天人の1人。主に【試練】などを司る男神、ザスタだった。
「ザスタくん……! どうしたの、こんなところまで?」
外地に来てこれまで、一度も余裕な態度を崩さなかった天が瞬時に警戒態勢を取り、周囲に目を配る。というのも、なんとなく殺気立っているような、産毛を撫でられるような。そんな、戦闘の気配がしたからだ。
ザスタの周りにセルのメンバーは見当たらない。別行動をしているのか、早くもソロで活動しているのか。天が判断しかねているうちに、
「行くぞ」
突然、ザスタの胸元から天へ向けて〈魔弾〉が放たれた。
中心で赤い炎が燃え、その周囲を黒い瘴気が纏っているような、不思議なマナの色をしている。
「いきなりだな!?」
「ほんとに、ねっ!」
驚愕の声を上げた春樹に同意した天が〈創造〉で創り出した小さな丸い盾を右手に、一歩前へ出る。その小さな体も、丸い盾も、黄金色のマナで覆われていた。
そして正面から飛んできた赤黒い〈魔弾〉を受け止めるのではなく、爆発しない適切な角度と力加減で受け流す。方向は右後ろ。春樹がいる方と反対側だった。
軌道を逸らされ、木に当たった〈魔弾〉が大きな音を立てて破裂する。へし折られた木はミシミシと音を立てて手前――春樹と天がいる方に倒れてくる。
「春樹くん、回避!」
「お、おう!」
木の倒れる方向を慎重に見極めながら回避した春樹と天。やがて木は大きな音を立てて倒れるのだった。
「なるほど……。そういうことなんだ。それで? セルの仲間はどうしたの?」
挨拶は終わったと言わんばかりに、天がザスタに尋ねる。同級生から攻撃されたというのに、天の顔には好戦的な笑みが浮かんでいた。
他方、春樹はといえば、
(いや、天! まず聞くべきは「なんでこんな事するの?」だろ!?)
と心のなかでツッコミを入れる。しかし、天とザスタの間にある張り詰めた空気に、押し黙ることしかできなかった。
「仲間、か……。ふむ」
唐突に攻撃してきた割には特に追撃をしてくるわけでもなく、ザスタは天の立ち話に応じる。
「今は境界線付近に待機させている。嫌な予感がするからな」
「そう。じゃあ最初から、やる気満々だったんだ?」
「そうだ。お前という人間を確かめるなら早い方が良い。それに、これは俺の望みだ。──あいつらを巻き込むわけにはいかないからな!」
そう言い終えるや否や、今度は〈創造〉で創り出した幅の広い大剣を手に突貫してくるザスタ。もちろん、体を魔法で強化するのも忘れていない。
対する天も、全身を黄金色マナで覆いつつ、
「じゃあ私も巻き込まないで欲しいなっ!」
文句を言いながら、ザスタが振るう大剣の一撃を盾で受け止める。カンッという甲高い音が森に響く。が、次の瞬間、天が構えていた盾にひびが入った。
「く……っ! 春樹くんは下がってて! 私1人で大丈夫だから!」
ひとまず盾でザスタの剣を弾いた天が、春樹を戦闘から遠ざけようとする。
「でも、天! さすがに──」
加勢して、天を助けるか。それとも、身を引いて、彼女に自由な戦いをしてもらうか。
「──いや、分かった」
春樹が選んだのは後者だ。つまり天とザスタの1対1を作り出すことにする。
天が戦っている相手が魔獣なら話は変わってくるが、今回はザスタ――人だ。最悪、命まではとらないだろうという判断だった。
「ありがとっ! ……ていっ!」
再びザスタによって振るわれた重みを感じさせる剣を、小さな盾ではじき返した天。
反動でわずかにザスタが仰け反ったその隙に、天は盾の〈創造〉を解除して次の一手を打つことにした。




