第5話 理想の体現者
休んで欲しい。そんな優の言葉に渋々ながらも頷いたシアは、優の隣に腰を下ろす。そして、
「なんだか、悪いことをしている気分になります」
自分の膝を抱えて、今にも降り出しそうな曇り空を見上げて息を吐いた。
そうして、どこか傲慢にも思えるほどの責任感の強さを見せるシアのことを理解しようと、優は素直に気になっていたことを聞いてみることにした。
「シアさんは、周りで起きること全部が自分のせいだと思ってますよね?」
その言葉に、紺色の瞳を見開き、優の方を見たシア。しかし、すぐに視線は自身の汚れたスニーカーのつま先へと向いた。
「いえ、そこまでは……。ですが、私は天人です。啓示を持っています。そこにいるだけで大きな影響を与えてしまいますから」
啓示。それは天人それぞれが持つ、自身が司る概念を表したものだ。言い換えれば、天人にっての存在理由でもある。天人たちは己が存在をかけて、自身が司る概念を体現しなくてはならない。多かれ少なかれ、天人であれば誰もが持っている強迫観念だった。
自身の周りで起きる全てを背負い込むほどの啓示とは何なのか。こればかりは聞いてみないと分からないだろうと、優は慎重に聞いてみる。
「……良ければ、啓示の内容を聞いてもいいですか?」
その言葉に少しだけ間を置いたシアだったが、笑わないでくださいね、と前置きをしつつ
「【運命】と【物語】。その2つだけです」
と、端的に答える。彼女の口元に浮かぶ、何とも言えない微笑み。その意味を考えながら、優は自身が感じたことを素直に言葉にする。
「運命と物語……。なんだか曖昧ですね」
「はい。私自身も、特に【物語】については分かっていないことが多いんです」
優の曖昧だという指摘にシアは相槌を打つ。その言葉でようやく、シアの微笑みが自嘲であることを優は知る。同時に彼には、また1つ、シアについて分かったことがあった。
啓示は、その数が少ない程、影響力は大きいと言われる。そして、シアが持つ啓示は2つ。しかも、その内容はあまりにも漠然としたものだった。さらには、自分でも啓示の内容がわかっていないという不安もある。シアの責任感の強さの裏にはそうしたものがあるようだった。
「自分の啓示も分からない。そんな未熟で危険な存在である私を、両親は怖がらず、大切に育ててくれました」
両親。そう聞いて、一瞬、神様にも親がいるのかと驚いた優。しかし、すぐに里親制度の話だということを察する。
──なら、ご両親にたくさん恩返しをしないとですね。
そう言おうとしてシアを見やった優は、思わず口をつぐむことになる。膝を抱えて視線を落とすシアが、とても苦しそうな顔をしていたからだ。
(そう言えば、シアさんは「育ててくれた」って過去形だったような……)
まさかシアの両親はもう。そんな優の心を見透かしたわけでは無いが、偶然にも、言葉を続けたシアが優の予想を肯定する。
「ですが、恩返しがしたくても、もう、両親はいません。だから、せめて天人として。格好良く人を助けたり、導いたりできる存在になりたい。そう思って、特派員の道を選びました」
「格好良く、ですか……」
自身との思わぬ共通点にオウム返しさてしまった優の言葉は、しかし、シアにとってはツッコミ──どの口で格好良くやねん!──といわれているようにも思える。会話の中でこのようなことを考えてしまうのは、シアが大阪で生まれ育ったからかもしれなかった。
「あ、あはは…。優さんや天さん、それにジョンさん達にも迷惑をかけてばかりで、お恥ずかしい話ですが……」
自嘲半分、照れ隠し半分でシアが乾いた笑いをこぼす。出来もしない理想を語る自分を、優はどんな顔で見ているのだろう。
横目で恐る恐る優の方を見たシアは、彼の黒い瞳と目が合った。その顔は、シアの予想していた嘲りでも、落胆でもない。
シアが言っている事の意味が本気で分からないという、無理解の顔だった。そして、シアがその表情の意味について考えるより早く、優が口を開く。
「シアさんは格好良いですよ?」
「…………。……ぅえ!?」
全く予想していなかった優からの言葉に、変な声が出てしまったシア。耳を赤くしながらもすぐに口を塞いで優を見るシアに、
「シアさんは、格好いいです」
優は改めて、同じ言葉を繰り返す。
シアが先週、責任を取って死を選ぼうとしていたことを知らない優。彼から見れば、魔獣を一撃で倒して見せるその魔法も、きれいなマナの色も、前回油断したことを気に病んで、今回は必死で挽回しようと努力する様も。人として尊敬できるし、何よりも格好良いと思っていた。
「格好いい……。こんな、私が……ですか?」
からかっているのか。あるいは、何の冗談か。そう言いたげなシアの表情と態度は先週、彼女がイノシシの魔獣を倒した時に見せたものとそっくりだ。それが可笑しくて、笑ってしまいそうになるのを必死に堪えながら優は頷いて見せる。
「はい。全てを自分のせいだと背負い込んで、それでも立ち止まらない。そして、それを解決するための努力をしようとしてるんですから」
優にとって“格好良い”は、そうありたいという目標であり、いわば理想だ。そしてシアは彼にとって“格好良い”のだ。自分の目指す理想を体現している。それを誇ってほしいと、優は思う。
シアだけではない。優が格好良いと思う天や春樹は、目に見える具体的な目標なのだ。明確な目標があるからこそ、優は彼ら彼女らから学び、前に進むことが出来る。
憧れの存在たちには、堂々と胸を張っていて欲しい。シアを褒めたのはある意味で、優のわがままでもあった。
「私が、格好いい……」
果たして、優の言葉がシアに届いたかと言えば、
(そんなはずありません……!)
そんなことはなかった。シアの不甲斐なさ、格好悪さ、弱さは、ほかでもないシア自身が知っている。
シアは確かに、命の恩人である優に感謝している。しかし、そう安易な言葉で肯定しないでほしい。優しくしないでほしい。
(そうでないと! ……弱い私は、また、あなたに頼ってしまうから……っ)
だからシアは、優の言葉を受け取るわけには行かない。
『私は、優さんのような凄い方から格好いいと言ってもらえるような人ではない』
シアがそう言おうとしたその時だった。
「……?」
シアの頬を、冷たい雫が伝う。試しに虚空に手を伸ばしてみれば、傷一つないシアの手を、いくつかの水滴が叩いた。
「──雨」
シアが漏らした声に、優も空を見上げる。ついに曇天が雨天へと変わり始めたのだ。
「前……先週の演習のこともありますし、一度戻りましょうか」
腰を上げながら言った優に、先の発言のタイミングを逃したことを察したシア。
「──了解です。ただ、移動する前に念のため、〈探査〉をしておこうと思います」
せめて今日こそは優の足を引っ張るまい。そう思って、積極的に索敵を申し出るのだった。
やがて、シアが使う白く美しいマナが木々の間を走査していく。幻想的なその様に改めて感動しながらも、優は上空の観察を行なう。
というのも、〈探査〉は地表付近を調べる魔法だ。探索できる高さは使用者によって異なり、先週、ザスタが使った力任せのものでようやく10mほど。一般人ならその半分の高さでも怪しい。つまり、上空や地中などは調べることが出来ないという性質を持っていた。
(だか、空は隠れる場所がないし、地中を移動する魔獣も数は少ない。ましてや人を食べるサイズなら、地響きもある)
つまり、目視と足から伝わる感覚で、十分に索敵可能ということだ。
そうして優が、〈探査〉だけではカバーしきれない範囲を索敵していたときだった。
「……っ!」
空を見上げていた優が、小さな影を発見する。方角は優たちから見て西――内地側になるだろう。このご時世。飛行機よりも魔獣が飛んでいる可能性の方が高い。試しに〈身体強化〉でわずかに視力を強化し、その影を見てみる。はっきりとは分からないが、少なくとも飛行機やヘリコプターではない。
(つまりは、魔獣だろうな)
それがまっすぐ。第三校の敷地に向けて落ちて来ているのを、優は目視だけでどうにか確認したのだった。。
「周囲100mほど、境界線までの道に魔獣はいません」
シアが優に報告する。対する優も、自身が見たものを伝えた。
「シアさん。恐らく、魔獣です。方角は西、第三校方向」
「本当ですか?! でも〈探査〉には……」
「今回は空からですね。魔獣も食べるために必死ですから」
〈探査〉の穴についてはシアも習っている。すぐに優の言った方向の空を見上げて、魔獣らしき影が落ちてきている姿を確認した。
(また、魔獣……)
シアの脳裏に“啓示”という単語がちらつく。
「でも、今回は大丈夫ですよね? だってあの場所には……」
魔獣が落ちて行く場所には進藤や教員たち正規の特派員がいる。彼らなら討伐できるだろうし、もし彼らでも倒せないのであれば自分たち学生が対処できる相手ではない。
それほど強力な魔獣が突然に現れるなど、あってはならない。
不安と期待、半々の顔で言ったシアの言葉に、優は苦笑するしかない。
「それこそ、“信じる”しかありませんね、シアさん?」
「信じる……? ……あっ」
優が、先週の外地演習の終わり際のやり取りを引き合いに出したことに気付いたシアが、眉を逆た少しだけ立てる。
「……優さんは、やっぱりちょっと意地悪です」
「あっ、すみません……。シアさんの緊張をほぐそうかと思ったんですが……」
慣れないことはするものじゃないと、頭を掻いた優。
「今のも言い訳ですね、すみません。えっと、どうすれば……」
普段はあまり内心を表に出さない彼が慌てる姿がなぜか可笑しくて、シアが思わずクスクスと笑いをこぼしてしまう。
口に手を添えて笑うシアに、さすがに気恥ずかしさを覚えた優。彼は、さっさとこの場を流すことにした。
「……オホン。ひとまず、境界線まで引き返しましょう。外地に残るのは危険なので」
「ふふっ……はいっ! 了解です!」
こうして2人は、〈身体強化〉を使って、ものの数秒で境界線まで引き返す。そこにはもうすでにほとんどの学生たちが居たのだが、
「あれ……魔獣か?」
「えっ!? うそ、あれがっ!?」
「待って、俺、人生初魔獣!」
その場に居る全員が、もうすでに、落ちてくる魔獣を認識している様子だった。
興味、もしくは不安。おおよそがそのどちらかを持って、空を見つめる学生たち。
他方、魔獣の落下予想地点となる運動場では、
「教員の方々。よろしくお願いします」
「「はいっ!」」
進藤含む教員たちが、準備万端で構えていた。