第4話 救われる思い
梅雨はもう少し先だというのに、今日も太陽は雲に隠れて姿を見せない。第三校の東側に広がる森には先週同様、どこか薄暗い雰囲気が漂っていた。
そんな中、9期生全員が参加する外地演習は3回目を迎えようとしている。
「先週、魔獣が出現したのは記憶に新しいと思います。ですが皆さんは仮にも特派員を目指す学生で――」
学生たちが見上げる朝礼台には、3人の教員が立っている。前回魔獣が出現したこともあって、今回は監督役の教員が増員されていた。
とはいえ、学生たちが聞かされる注意事項は、先週とほとんど変わりない。また、魔獣の出現が学生たちに程よい緊張感をもたらしたこと。外地演習も2回目となり、学生たちにも多少の慣れが生まれたことで、セル決めもつつがなく終わった。
「それでは、各員。外地演習に取り組むように」
そんな教員の指示で、学生たちは外地へと足を踏み入れた。
しかし、先週の魔獣の出現を受けて、学生たちは慎重に──臆病に──なり、ほとんどが内地に近い境界線付近で魔法の練習をしていた。
そんな中でも、境界線を離れる“勇敢な”セルもいくつかある。
「今度は俺が、〈探査〉してみますね」
「はい、よろしくお願いします」
優とシア。2人のセルは、境界線から50mほどの位置にいた。
優は前回の演習同様、青の長袖長ズボンのジャージスタイル。
他方、今日のシアは黒地にいくつかの白いラインが走る、上下シンプルなジャージ姿をしている。前回着ていた中学時代の緑ジャージは破れてしまったため、第三校のコンビニで新調したのだった。
〈探査〉を終えた優が相方のシアへ手短に情報を伝え、少しずつ前進する。そんな2人の間に、これと言って会話は無い。〈探査〉に警戒と、あまり話をする余裕が無いこと。また、お互いにまだ、距離感を測りかねていることが大きかった。
とはいえ、何事もないまま時間が経つにつれて、
(これで、良かったんでしょうか……?)
心に余裕が生まれ、考えないようにしていたことが気になってくる。例えばシアの場合、優が勢いで今回、自分に命を預けることになったのではないかという、そんな懸念がふつふつと湧いてきていた。
「えっと、優さん。優さんは私と一緒にセルを組んで大丈夫だったんですか? 私は、その、天人なので……」
魔獣がいないか周囲に目を配りながら、優に尋ねたシア。彼女の額には、激しい運動をしたわけでもないのに、じんわりと汗がにじんでいる。緊張と気まずさが入り混じったその汗は、まさにシアの心の全てを物語っていた。
そんなシアの心労の汗に、前を歩く優が気づくはずもない。
「もちろんです。啓示の影響も気にしないでください。俺から誘っておいて、シアさんと一緒は不本意だとか。そんな失礼なこと、絶対に無いですよ」
あまり表情を変えない優がシアを振り返り、少しだけ口角を上げて言う。
「むしろ、シアさんこそ。……どうして俺と? 魔力低いですし、何より──」
今度は優がシアに質問を返す。会話はキャッチボール。先ほど着替えている時に、春樹に言われた言葉を思い出した優。自分にとってもちょうどいい機会だと、優自身も気にしていることを聞いてみることにしたのだった。
「──俺は、“無色のマナ”です」
「無色のマナ……」
優の言葉をオウム返しして、立ち止まったシア。優も、彼女にならって立ち止まる。
“無色のマナである”。
その事実に果たしてシアがどのような反応を示すのか。緊張しながら答えを待つ優に、しかし、
「はい、知っていますが、それがどうしたんですか?」
シアは紺色の瞳を瞬かせて、なんともなしに聞き返してくるのだった。
「えっと、シアさん。一応教えておくと、無色は犯罪色とも言われているんですが……?」
優のマナの色は無色のマナと呼ばれるもので、その名の通り無色透明だ。魔法を使っても視認できず、人間相手には気づかれない。〈創造〉で創り出した武器もまた、透明になる。その性質を利用して、過去、無色のマナだった人物が魔法による無差別大量殺人を行なった事件があった。
しかも、無色のマナ持ちは総じて魔力が低く、特派員をはじめとした魔法系の職業には向かない。例外的に、各国のいわゆる暗殺者と呼ばれる人々に、無色のマナ持ちが多いことは有名な話だ。
(そうして付けられた蔑称が『犯罪色』や『殺人色』、だったか?)
人を殺すことに特化したマナの色。それが、無色のマナの世間一般の認識だった。
そんな理由もあって、犯罪色を持つ優は色々と避けられてきた。
小中学校ではクラスメイトたちの警戒を解くのにまず数か月、という感じだ。そして、クラス替えをして、授業で魔法を使う度に同じことの繰り返し。中学の頃には大丈夫なのだと伝えて歩み寄ることすらも半ば諦めてもいた。
無色のマナである。
それは、優にとって呪いの代名詞でもある。初めての授業を含め、優が魔法の使用を渋っていたのには、そういった事情もあったのだった。
が、しかし。
「でも、その人はその人ですよね? 優さんは、優さんです」
当たり前のことだと、シアは優に言い切って見せる。この時シアの脳裏に思い出されていたのは、先週の外地演習だ。
自身の啓示が作り出しただろう絶望的な状況。それを、この少年が──神代優が変えてくれた。
無意識のうちに、自身の右手を左手で包み込むしあ。
諦めて、死を選ぼうとしていたシアの手を取ってくれたあの温かな手の温もりを、シアは今でも思い出すことができる。しかも、偶然にも優は、シアが一緒にセルを組んでみたいと思っていた天の兄だったのだ。
──この出会いこそが、自分が密かに憧れていた出会い……【運命】なのかもしれない。
それを確かめる機会があればいいな、と、シアはあの日から思い続けてきた。
(優さんが私の運命の相手なのか……。それを今回こそ確かめます! ……方法は分かりませんが!)
そんな胸に秘めた真意は隠したまま、
「無色のマナなんて、私には関係ありません。私はあなただから、一緒にセルを組んでみたいと思ったんですよ、神代優さん」
シアは、優が無色のマナであることなど気にしていないことを伝えるのだった。
「……な、なるほど」
結果、優からすれば一緒にセルを組もうとしていた理由はイマイチ謎のままに終わる。
それでも、コンプレックスでもある無色のマナを気にしていないシアの態度に、ふっと心が軽くなる。そうして肩の力が抜けた優の脳内で、
『優さんは優さんです』
先ほどシアが断言した言葉が反響する。
無色のマナだからと警戒されてきた優。一方でシアも、天人だからと敬遠されたり、言葉や行動の裏を深読みされたりしてきたのかもしれない。自分がされてきたようなことを、優自身もしていた。シアを1人の“人”ではなく天人としてまとめ、見ていたのだ。
(結局俺も、同じことをしてしまっていたんだな)
そう、自嘲しそうになった自分を、優は首を振って否定する。
これまでも優は、数えきれない失敗をしてきた。反省こそすれ、同じ失敗を繰り返さないことの方が大切だということも知っている。思い描く理想に届いていない自分に、格好悪く、後悔して立ち止まっている時間は無い。
(だったら今、俺がするべきこと、したいことはなんだ?)
改めて考えた優は、すぐにその答えを見つける。せっかく一緒にセルを組んだなら、シアという人物をもっと知りたい、知るべきだろうと。
「──開始から30分経ちましたし、休憩にしませんか、シアさん?」
「……はい」
シアが同意したことを確認して、優は木陰に腰を下ろし、体を休める。このまま優は話し合う場を作って、もう少しだけ『シア』という人物を知ろうと思っていた。
ところが、優とは対照的に、少ししてもシアは立ったままだ。
「えっと……。シアさんは座らないんですか?」
「はい。優さんはそのまま休んでいてください。私はまだ大丈夫ですから」
張り詰めた表情で周囲を見ているシアの姿を、優はポケットサイズのパウチに入った水を飲みながら眺める。
優の目から見て、外地に来てからシアはずっと緊張感を持って行動している。会話をするときも、失礼にならない程度に優の顔を見て話す以外は、必ず周囲に目を向けていた。
緊張とは集中しているということでもある。可能なら常に集中していたいところだが、えてして上手くいかない。だからこそ、メリハリが大事なのだと優は考えている。休むべき時に休んで、必要な時に備えておく。
(やっぱりシアさん。責任感が強すぎる……よな?)
優から見て、シアは前回の魔獣の出現が自分のせいだと責任を感じている節がある。が、残念なことに、優の知るシアという天人には、かなり抜けている部分もある。
このまま気負った状態を続けたとして、あのシアが、いざという時に正しく行動ができるとは、優にはどうしても思えなかった。
どう言えば、シアは休んでくれるだろうか。優は思考を巡らせる。
誰かに何かを伝えるときは内容以上に、その伝え方が大事なのだと母親の聡美が言っていた。たとえ正しいことを言っても、伝え方次第では聞いてもらえない。それは辛いことだし、勿体ないことだとも言っていた。
どういえば、優の気持ちがシアに届くか。不器用ながら懸命に考えて、優は口を開いた。
「やっぱり、俺の気が休まりません。何かあった時に正しい判断をしてもらうためにも、休んでくれませんか?」
優が意識したのはシアの良心に訴えることだ。自分のせいで。そう考えがちな彼女の気質を、悪いと思いながらも利用することにしたのだ。そうしてまでも、優は彼女に休んで欲しかった。
そんな優の工夫が、結果的には功を奏する。
「……わかりました。では、少しだけ」
一度静かに目を閉じたシアが、ようやく緊張を解く。そして、ポケットに入れていた水分補給用パウチを取り出すと、申し訳なさそうに優の近くに腰を下ろした。