第11話 父子の反省
コウに攫われたシアを取り戻すための長い1日が終わった。
シアとともに実家へと戻った優。家ではすでに、風呂から上がったところらしい天が待っていた。
「ただいま、天」
「シアちゃんはまずお風呂に……あ、でもドレスを脱ぐの大変そうね。汚れてなくて良かったわ。優くんのスーツは無理だけど、これならお店に返せそう。こんな時間だけど連絡つくかしら?」
「え、あ……えっと?!」
苦笑とともに帰宅を告げた優とその背後に居る母の聡美、そして聡美に言葉の弾丸を浴びせられてあたふたするシアを見た天はただ一言。
「よくやった、兄さん」
サムズアップをしてリビングへと消えて行く。相変わらず我が道を行く妹の元気そうな姿を見て、優はようやく帰って来たことを実感した。
シアがドレスを脱ぐのに時間がかかるこということで、優が先にシャワーを浴びることになる。ボロボロになったブラックスーツを脱ぎ捨てて、その弁償代を考えつつ。優は浴室のドアノブをひねる。湯船に張られたお湯はすでに湯気を上げている。先ほどまで天が使っていたこともあって、蛇口を上げるとすぐに熱いお湯が出た。
人間には余る権能の力を利用して動かした身体。未だ、身体の奥の方に鈍い痛みがある。それは、コウを殴りつけた右手の拳も同じだった。
人に、魔法を使ったのか……。
椅子に座ってシャワーを浴びながら、優は自身の拳を見つめる。権能による全能感。コウに対して積もり積もっていた怒り。シアからの信頼。その全てが魔法となって、ほんの一瞬、優の理性を奪った。結果、優は〈身体強化〉の状態のまま、コウを殴ってしまった。
魔法を人に、使ってしまった。
俺は無色。殺人色。だから、ずっと……。
優が無色のマナであると知った同級生から向けられる畏怖の眼差し。それが苦手で、優は自分が無害であること。絶対に人を傷つけない魔法の使い方をすると対外的に示すよう努めて来た。
感情的にならないように気を配り、“万が一”が発生しないよう、〈創造〉する武器も変えたことが無い。自身のマナも、他人の心も。見えない物を見ようと想像力を鍛え、副産物として驚異的な動体視力を得た。そうして積み上げたものを駆使して、対人戦を乗り越えてきたというのに。ついに今日、自分にとっての禁忌を犯すことになった。
「ヒーローは、人を傷つけないのにな」
自嘲気味に笑った優はシャンプーを手で泡立てて、髪を洗っていく。
人に魔法を使わない。小学校の頃からずっと大切にしてきた自分との約束を破ったにもかかわらず、今の優の心はそれほど動揺していなかった。その理由も優は分かっている。
誰かのため。
任務では西方を害した魔人を倒すため。今回はシアを悲しませた天人を許さないために、優はそれぞれ魔法を使った。少しずつ「人」に魔法を使うことに躊躇いが無くなりつつある。
いつか誰か、それこそ天や春樹、シアが危機に陥った時。
俺は『誰かのため』を言い訳に、人間に対しても容赦なく魔法を使うことになるのか?
段々と自分を“何か”が侵蝕している。そう思えて、優は身を震わせる。そこでふと、『何かを失うことこそが成長――大人になることだ』と何かの本で読んだことを思い出す。『自分』を失くし、『個』を消していくことこそが、全体を重んじる『社会』にとっては大切なのだと。その本を読んだ当時の優は「そんなわけあるか」と悪態をついて別の本を手に取った。
しかし、今の自分は果たしてどうだろうか。誰も死なせないと口で言いながら仲間を失い。人に魔法を使わないと誓いながら、『誰かのために』という理由さえあれば簡単に約束を無視する。そして最後には仕方が無かったと言い訳を並べる。まだ16歳でしかない優にとって、それらは全て“汚いこと”のように見えた。
そうして、否応なく成長していく心と体に優が苦い顔をしていた時。
「入るぞー」
父親である浩二が優のいる風呂場に入って来た。
「いや、俺入ってるんだが?」
「知ってる、知ってる。なんだ、久しぶりにしょげたツラしてる息子の相談に乗ってやろうってな」
まるで優の悩みなどお見通しと言わんばかりにやって来た父親。昔から、こういったことはよくあった。やっぱり親には敵わないのだろうかと優が何とも言えない顔をしていると、浩二が湯船に張られた水面を見つめている。
「どうかしたのか?」
「……別に可愛い娘の残り湯を堪能しようってわけじゃないぞ?」
なんだ、ただの娘を溺愛する変態かと安心した優が体を洗い始める横で、浩二はシャワーで軽く身体を流し湯船に浸かる。先ほどの言葉はもちろん優を慮った浩二による、気を利かせたつもりの冗談だ。優が父の気遣いに気付くはずもなく。また、浩二も、息子の中で父親の威厳が急降下したことに気づかない。2人は親子だった。
「悩んでるんだろ? 言ってみろ」
「いや、今の変態発言からの真面目な話は無理だろ。信頼ゼロだ」
身体全体に泡を行き届かせた優はシャワーのノブを上げて、洗い流していく。そうして全身を洗い終えて立ち上がった優を、浩二はバスタブから見上げる。そこには親の記憶にあるものよりもたくましく、大きくなった息子の姿がある。
「大きくなったな……」
そう、感慨深くつぶやいてしまったことを取り繕うように、浩二は言葉を続けた。
「まあでも。俺の息子であることには変わらないからな」
「残念ながら、な。……出てくれ。狭い」
「そう言うなって。昔はよく一緒に入ってただろう?」
良く分からない父の引力に逆らえず、優は空けられた湯船のスペースに座る。家庭用のバスタブに大の男が2人。あまりに窮屈だった。
風呂場の外では天とシア、聡美の楽しそうな声が聞こえてくる。対照的に、風呂では微妙な沈黙が続く中。
「優。お前、自分の夢、忘れてないか?」
ふいに浩二が口を開く。声色こそ軽いものだったが、無精ひげの生えた顔はどこか真剣みを帯びていた。
「夢……。格好良いヒーローになること、だな。つまり今は、みんなを守れる格好良い特派員になることだ」
「そうか。忘れてないなら、良い」
「なんだよそれ……」
父親の言いたいことがわからず、優はげんなりとした顔になる。そんな息子の可愛らしい一面を見ながら。
「昔から言ってるだろ? 悩んだら、何がしたいのか、どうなりたいのか、自分に聞いてみろってな」
「そうだな。何回も聞いた。それで母さんを捕まえたって惚気も、天が生まれたって自慢もな」
口癖のように繰り返されてきた父と母の言葉。いつしか優にもその考え方は移っているのだが、優自身に自覚は無かった。
優の食傷気味な態度に、それでも浩二は頬を緩める。
「ま、分かってるなら良い。周りに影響されて、否応なく現在と自分は変わっていくもんだ。だからせめて、積み上げて来た物と、行きたい場所……未来だけは見失うなって話だ」
「……なんか急に深い話になったか?」
「そうだろ? これでも優。お前の父親だからな!」
嬉しそうにニッと笑う浩二につられて、優も思わず笑ってしまう。気づけば暗く淀みそうになっていた気分は軽くなっていて、幾分か広い視野で考えられるようになった。
そうだな。特派員になって、みんなを守る。
その未来を忘れなければ、たとえどれだけ自分が今いる場所が変わっても、自分が自分で居るための道筋になる。そんな気がする優。狭く苦しいバスタブから勢いよく立ち上がった彼は、風呂場を後にする。
去っていく成長著しい息子の背中を見ながら、久しぶりに『父親』が出来ただろうかと笑う浩二だった。




