第13話 命の譲歩
戦闘の余波を受けないよう、少し離れた場所に西方の身を移動させていたシア。
彼のもとへ向かうその短い時間も無駄にはできない。
「俺の時と同じでシアさんの〈運命〉で治せませんか?」
「傷を完全に治すことはできないと思います。せいぜい延命程度しか――」
「それで大丈夫です」
と、優が言ったところであおむけに寝かされた西方がいる場所にたどり着く。
戦場になっていた中央会館前の空き地。少しでも雨に打たれることが無いようにと、その片隅に植えてあった木の下に西方はいた。
「西方、悪い。待たせた」
そんな優の言葉かけに、しかし、西方は一切の反応を示さない。
胸は上下しておらず、口元に手を持って行っても呼吸している様子はない。
心音も――しなかった。
「そんな……」
「――まだだ。まだ、諦めるな」
優の言ったそれは西方と自身に向けたものだった。
たとえ望み薄だとしても。長嶋を助けた時のように、諦めなければどうにかなるはずだと。
「そう……ですよね! 確か、西方さんは、自分のバッグにメモがあると」
「そこに蘇生処置の方法もあるかもしれません。それに果歩ちゃんの様子も気になります」
果歩を探せなかったと言っていた女性の魔人。
恐らく西方が荷物とともに大ホールへ移動させたのだと推測できた。
とにかく一度、拠点に戻ろうと優が言おうとしたタイミングで、
「優、大丈夫か?!」
春樹たちのセルが帰って来た。すぐに彼らも倒れている人影に気付く。
「西方?! 何があった?!」
「瀬戸さん、恐らく、アレのせいだと思います」
お面を被った常坂の指した先には変態中の魔人がいる。
見かけだけでもう5mほどの肉塊に成長しており、未だ膨らみ続けている。
「察しの通りだ。魔人の襲撃があって、西方が負傷した。果歩ちゃんと荷物は無事だと思う」
「負傷、ね」
優の状況報告に小さく呟いた天。その瞳には地面に寝かされた生気のない西方の姿が映っている。
「オレ達も魔人の襲撃に遭った。天が倒したんだが、それなりにマナを使った。で、オレたちも探索の時に〈探査〉を使っててマナが減ってる。多分全員、半分も無い。代わりに探索は全部終わらせた」
春樹も簡潔に任務の完了を告げ、情報交換は終了。
魔人の男が人質として利用していた女性の遺体を、西方の横に下ろした。
そして、改めて作戦を話し合う。
魔人はもうすでに10mほどになっており、膨張を止めた身体は手足を形成し始めていた。
「無事かどうかも含めて果歩ちゃんの様子が知りたい。それに西方の手当てもしないとだ。シアさんを治療に回すとして、何人かで囮を――」
「待って」
兄の方針に、待ったをかける天。
「私と兄さんだけならともかく、助からない1人のために、6人の命を懸けさせるわけにはいかない」
「より多くの命をってやつか、天? なら7人……いや女の人を入れると8人の命を救う方が多い。そうだろ?」
兄の屁理屈に天はゆっくり首を振る。
「違う。もう命の最大数は果歩ちゃんを入れて6でしょ。第三校が近くて、かろうじて生きていた長嶋さんの時とは話が違う」
優の言う無意味な作戦を実行すれば、妹である自分以外、兄は全てを失ってしまうと確信している天。
彼女にとって最優先は優。可能なら彼の理想を支えてあげたい。
しかし、天にとっては春樹やシア、常坂もかけがえのない大切な友人だ。
このままでは全てを取りこぼした末に兄は空虚な存在になってしまう。
彼には純粋に、仲間に囲まれて、夢を追い続けて欲しい。
だからこそ、天は優の理想を否定する。
「でも、あの時みたいにどうにかなる――」
「優。悪いが、オレも天と同じ意見だ」
食い下がる優にとどめをさしたのは春樹。
いつもは背を押してくれる彼の裏切りに、優は非難の目を向ける。
「こうなった時点で、オレ達は選ばないといけないんだ」
「春樹まで……。常坂さんは、どう思う?」
冷え切った頭はいやに冷静で、優に現実を突きつける。
チーム全員の意見を聞こうと、今度は常坂に話を聞く。
「時間は限られています。賢明な判断を」
顔を魔人の方へ向けたまま、優に決断するように促す。
お面のせいでその表情は見えない。
それでも、いつものたどたどしさを失った張りのある声は、ここが戦場であることを告げている。
「……シアさんは?」
彼女にも確認しなければならなかった。
先ほど優が言った「諦めない」という言葉に、彼女は頷いてくれた。
どんな時でも味方でいると言ってくれていた彼女の、その意見を。
「私も、可能であれば西方さんを助けたいです。だって――」
だって西方さんの告白にまだ、きちんとした返事をしていません。
続きそうになった言葉に、自分自身で首を振ったシア。
「ですが今は、他に優先するべきことがあると、思います。西方さんの手当ては、その後に……」
歯切れ悪く、それでも意思を示す。
「あとは優だけだ。悪いけど覚悟を決めてくれ」
「言っとくけど、西方君を見殺すんじゃないから。もうすでに、死んでるんだもん」
生き返らせないだけであって、見殺すのではない。良心の呵責に苛まれる必要はないと、天がフォローする。
「時間があまりありません! 早く!」
切羽詰まった常坂の声が優の耳朶を打つ。
「……そう、だな」
ここでなおも食い下がるほど、優は愚かではなかった。
理想を叶えることが出来ない己の実力不足を、ただただ恨むことしか出来ずにいる。
しかも、現状、足を止めて後悔する時間もない。
「――だが」
それでも。
西方のために、できることはあるはず。
「魔人や魔獣に西方やその女性を食わせるわけにはいかない。2人は死守だ。絶対に!」
魔人がこれ以上力を付けないようにという合理的な理由をもって、優は最大限の譲歩をする。
そこから5人で作戦を詰めていく。
その間、優はどこか現実味のない、夢でも見ているような気分になっていた。
ふと、優の頬を撫でたのは冷たく、湿った風。
次いで、ぽつりと頬を伝う水滴があった。
見上げたそこには真っ黒な雲がある。
「天気予報は晴れだったのにな……」
昼に西方と並んで見上げていた背の高い雲が、列を成してやってきていた。




