第9話 反撃
隙をさらした優を仕留めようと武器をかざした魔人に、西方が放った〈魔弾〉が迫る。
「やるわね」
称賛の声を漏らした魔人に、〈魔弾〉が直撃する。
しかし、その直前に魔人は最優先事項――シアへの攻撃を行なっていた。
天高く放り投げたナイフが放物線を描いて2本、シアに迫る。
これも落ち着いて回避するシア。が、これでまた集中し直しだ。
爆発に巻き込まれないよう、しゃがんだ勢いそのままに転がりながら魔人から距離をとった優。
アイコンタクトだけでうまくいった西方との連係を喜びつつも“次”を考える。
「仕方ないわ――〈領域〉」
魔人の声が聞こえたと同時に、彼女を中心とした黒いマナのドームが出来上がっていく。
ちょうど西方をギリギリ範囲内に収める、半径10mほどの大きさだった。
〈領域〉は高密度のマナで一定範囲を満たし、自分以外が行なうマナの体外への放出や、放出されたマナを扱うことを阻害するための魔法。
つまり、この範囲内では〈領域〉の使用者以外、〈身体強化〉をはじめとする体内でのマナ操作以外を封じられるのだ。
加えて、〈領域〉内であればマナの動きから相手の一挙手一投足を感じ取ることが出来る。使用者は好きな場所に〈創造〉することも出来るため、死角からの攻撃もし放題。まさしく自分にとって圧倒的有利な空間を作り出すことが出来る魔法だった。
その分〈領域〉には多量のマナを使用するため、天人や魔力持ちなど、選ばれたものしか実践レベルで使用できない。
そんな〈領域〉に対抗するには、強烈なイメージをもって魔法を使用するか、あるいは、
「シアさん!」
「はい! 〈領域〉!」
同じ魔法で相殺するかの2つに1つだった。
シアのイメージを受け、白いドームが展開されていく。
やがて、黒いドームと白いドームが混ざり合う地点が生まれ、その場所ではマナが相殺し合う。
〈領域〉の範囲外となるのだった。
自身の魔法が相殺されていることを確認しつつ、魔人は自身の足元に〈魔弾〉を放つ。
〈領域〉を使用するにもかなりの集中が必要になる。今のシアには無理な芸当。
だが、女性の魔人は易々と別の魔法を使って見せた。
夏空の下。会館前の乾いた地面が爆ぜ、舞い上がる粉塵が視界を一気に悪くする。
目くらまし。そう判断した優は彼女の狙いだろうシアのもとまで一度退く。
「恐らく粉塵に紛れて遠隔攻撃を仕掛けてくるはずです」
「逃げる可能性もあるんじゃないですか?」
「……確かに。その可能性、忘れていました」
〈領域〉の使用に意識を割いているシアですら思いつく可能性を失念していた優。
戦闘のせいで前のめりの思考になっていたことを反省し、改めて粉塵に目を凝らす。
「僕が〈探査〉する!」
〈領域〉が相殺し合っている今、誰でも魔法は自由に使える。
砂塵でその精度を低下させつつも広がって行くミントグリーンのマナが魔人の位置を特定する。
「神代君の正面1時方向、5mの場所に――……って、シアさん!」
「はい!」
状況を把握しただろう西方の指示に耳を傾けるシア。
――彼女の後方で誰かが地面を蹴る音がした。
瞬間。
――ヒュン。
そんな風切り音が、今度は優の右耳のすぐそばで聞こえた。
前方から何かが飛んできたのだと彼が分かった、直後。
「――ゔぅ」
くぐもった声を誰かが漏らした。
屋内ならつゆ知らず、ここは外。風によって視界はすぐに良くなる。
「コスパはあまり良くないけれど――」
優の正面には変わらず佇む魔人がいて、何かを言っている。
「お前たちの動きを制限する方法なら、いくらでもあるわ」
濁った眼で嗤った彼女が見つめる先には、狙い違わず投げた実物のナイフによって負傷した天人が居るはずで――。
「またお前か……」
シアを捉えようとしていた果物ナイフ。例え女性でも、魔人が投げれば軽く時速100㎞は超える。
しかし。
魔人が〈探査〉の輪郭に触れたほんの少しの時間に、彼女の動きを察した西方。
そこから魔人がナイフを投げるまで2秒ほど。
シアに到達するまで0.3秒強の僅かの間に、どうにか凶刃を受け止めていた。
最初から動きが見えていれば、シア本人が避けることも、気付いた西方が〈魔弾〉で撃ち落とすこともできただろう。
が、一瞬の攻防。しかも満足に動かすことの出来ない手負いの身体。
彼にできたのは、ただ、“好きかもしれない人”に迫っていた脅威を、身を挺してかばうことだけだった。
「西方? ……西方?!」
振り向いた優の視線の先。
そこには手を目一杯に広げてシアの盾となる、西方の姿がある。
その脇腹には木製の柄が生えていて、その周囲が徐々に赤く、湿り気を帯びていく。
魔人が投げた果物ナイフは、深々と、彼の身体を抉っていた。
「西方さん……?」
おずおずと、心配そうに問いかけてくる天人の無事を確認したところで、西方の全身から力が抜けた。
目の前で頽れるその身体を、シアは素早く抱き留める。
そこで彼女はようやく、彼の腹部に突き刺さったソレを目にした。
「……え?! 西方さん? 何が――」
「えへへ……シアさんが無事で良かったぁ。がぁっ……」
「ひ、ひとまず話さないでください! ああ、血が……っ」
彼女の混乱と意識の分断から解除される白の〈領域〉。
これ幸いと忍び寄ってくるのは、悪意をにじませる黒い〈領域〉。
「止血を……でも、どうすれば……?! どうしよう?!」
ナイフを抜くべきか。得物が刺さった状態で、どうやって止血すればいいのか。
血の気が失せていく友人を生かすために、何をしなければならないか。
すぐそばで涙をこらえ、必死に考えるシアの姿にうれしそうに微笑む西方。
暗くなっていく視界。
でも、眉根を寄せてこちらを見ていてもその女の子の顔が、西方には輝いて見える。
その意味を、ようやく理解した西方。
だから今は、彼女達にとっての最善手を告げる必要があった。
「手当の仕方は、僕のカバンに……。今は、魔人を……。手当は、それか、ら……」
「ダメ、気をしっかり! お願いだから、待って……っ! 西方さんっ!」
失血と痛みで気を失いそうになる西方に懸命に呼びかけるシア。
先に魔人を倒すべきか? 手当が先か? 状況は? 油断していた?
血が。他に魔獣がいるかも。西方の体が重くなっていく。
彼女の脳内はもうすでにパニックだ。
だから。
「――殺してやる」
その憤怒のにじんだ声が。
常に冷静な彼のものだと理解するのに、かなり時間を要した。




